心というインターフェース

 温かい飲物が、じんとくる。

張り続けた糸を解いてくれる。

肉体と精神は、驚く程に一つである。

いつから人は心を持ったのだろう?

肉体には脳味噌があった。

それらは、寒さや暑さ、痛みや心地良さ、また、においや音、甘い苦い、美しさや醜さ、といったものを識別する。

そして、思考する。判断する。行動する。

この一連の流れの中に、心は必要なのだろうか?

受信と発信の境界面。

それが、心というユーザーインターフェース。

アップデートしないと、とても使い勝手の悪いのが心というものだと感じる。

だがそれ故に、もといそれこそが心の存在理由なのかも知れない。

しかし、何処までが脳の領分で何処からが心の領分なのだろう?

試行錯誤を繰り返し、受信と発信の齟齬を減らす作業。

人が生存確率を上げ、子孫を残していく為の改善。

ともすれば、それらはすべて脳の機能の一部だとも考えられるし、むしろそう考えるのが普通とも思える。

脳で考えれば、心は脳の中にある。
しかし、感覚的にいえば、それは胸にある概念的なものがしっくりとくる。

心とは解明されないブラックボックスなのだ。

まぁ心が何処にあるかはさておき、これが上手く作用した時、肉体と脳味噌の歯車はピシャリと噛み合って、高エネルギーをロスなく生み出すことが出来る仕組みとなっている。

心があるから、肉体と脳味噌は一体になるのだ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?