なんとなく雨降り。
自分はアルコールは呑まない。体質的にも呑めない。
稀に飲む事もあるが、それは稀の稀である。
酔う事もないので高ぶることもない、ただただ、コンディションが低下するだけである。
飲み会の無駄に長い感じが無駄を感じる。
酒自体は、存在は好きである。
ただ呑めないだけ。
酒の席では結構な嫌がらせを受けたような気もするが、まぁたいしたことはない。
正直、飲み物1つをもってして、出来るやつか否かを測る人はダメだろう。
酒で仲間意識を高めたいのは理解出来るのだが、排除するのは、敵を作った方が結束が強まるからだろうか。
30人くらいの酒の席にたまに出るのだが、飲まないのは自分だけである。
組織存続の為には、飲まない人間ははっきり言って重宝されておかしくないはずなのだが、
そんな兆候は一切見られない。
年々と若者はアルコールを飲まなくなり、人口は減って来ているのだ。
だからこそ、酒が飲めない人が入った時に、
自分という存在が役に立つのだろうと思うのだが。
酒には、御神酒というものもあり、神聖視されてもいるのだろう。
だから酒を飲めない人間は邪なのであろう。
酒を飲んでイキってくる人はまだ理解出来る。
その場では多数派であるし、ここに飲めない人がいれば簡単に酒の力で上から来れる。
所詮、体質であり努力の結果で手にしたものでもなかろうに。
頭が良い割に、酒が飲めない体質だけは理解出来ない人が、私には理解出来ない。
大きな溝である。
だが、酒の場ではバカは正義なのである。
最近、ようやく無理だと気づいた。
たまに酒飲みの師に誘われて夜の町に出る。
恩義があるんだかないんだか分からないが、
とりあえずお付きする。
もちろん飲まないのだが、空気は好きである。
別な話、ふと、人が嫌いなのかなぁと、思ってしまうことがある。
理解し合えない。
カフカも言ってたな、
1人は孤独だが、2人はもっと孤独を感じると
途中、なんとなく、いい雰囲気で終わりそうなところもあったのだが台無しである。(一瞬だけか、、ん?なかったか。)
私が好きなのは純心である、知性である、
懐の深さである、優しさである。
そして、
人を否定する為に、決めつける為に、
使う為に、見下す為に、相対する。
そんな人間を私は嫌いである。
...という文章を暫く前に書いたのだが、これは人様に晒せるようなものではないなと思い、
下書きのまま眠らせていた。
それを表に出してみる。
これはこれで自分の考え方であり、noteに向き合うに辺り、隠す方がつまらない気がしたからである。
ただの言いようかも知れないが。
まぁ、好きな人はそこそこにいるし、それなりに好かれてもいます。
という適当な店じまい。
ではおやすみなさい。
END
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