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自己紹介

はじめまして。いっき82(はちじゅうに)と申します。

北海道札幌市在住の男性です。

職業は「本を作る人」とさせていただいています。

まずは、私の経歴を書きます。

幼少時代

1982年、現在住んでいる北海道札幌市で、
長男として生まれました。

幼い頃は絵を描くこと、
本を読むこと(絵本、マンガ、雑誌)、
ブランコに乗ること、
砂場遊びが大好きでした。

テレビも大好きで、
特に大好きなアニメやバラエティーが
放送されていた土曜の夜と日曜の朝が
毎週待ち遠しかったです。

小学校時代

子どもの頃の夢はマンガ家になることで、
小学~中学の頃はよくノートに
鉛筆で自作のマンガを描いていました。

小学~中学の頃は、
目立ちたがり屋で、クラス委員、応援団、生徒会、
目立つことはなんでもやりました。

冗談を言って人を笑わせるのが大好きで、
あの頃は、いつもクラスメイトを
どうやって笑わせるかということで
頭がいっぱいでした。

一方で、一人で黙々と考えて何かを作るのも好きで、
学級新聞やマンガ雑誌も熱心に作っていました。
(何本ものマンガを一人で連載していた)

そんな私が学生時代に一番輝いたのは、
小学校6年生の時の学芸会です。

その時の演目はシェイクスピアの
『ヴェニスの商人』で、
私は悪役の金貸し・シャイロックを
演じさせてもらいました。

先生の厳しい指導のおかげもあって、
私の演技は学校中で絶賛されたのです。

勉強もスポーツも苦手で、冗談を言ったり、
マンガを描くことくらいしか能のなかった私が、
なぜ、一丁前に演技ができたのか、
今でも不思議に思います。

舞台に立った時の記憶は
今でもうっすら残っていて、
どうしてあの時の自分はあんなことができたのか、
もはや、同じ自分とは思えません。

中学生時代

中学生の頃にウッチャンナンチャンの番組や、
当時大ブームを巻き起きしていた
『ボキャブラ天国』の影響を受けて
「お笑い芸人になりたい」と思いました。

人を笑わせることは
中学に入ってからも変わらずに好きで、
相変わらずくだらない冗談ばかり言っていました。

仲間内では
それなりにおもしろがってもらえたのですが、
ある時、私は気づいてしまったのです。

「私には本当の友達がいない」と。

友達がいなかったわけではないのですが、
なんとなく、私は仲間内のお飾りだなと思ったのです。

場を盛り上げるだけのピエロだと。

いつも休み時間に、
教室で仲間たちが集まる場所があり、
私はいつもそこへ行って仲間たちとだべっていました。

試しに一日、自分の席から動かないで、
仲間たちの様子を見てみました。

そうすると、結果は私が想像していたとおりで、
彼らは何事もなかったように
いつも通り楽しそうにだべっていたのです。

私には目もくれません。

彼らにとって私は本当の友達ではなかったのです。

薄々、勘づいてはいましたが、
このことがはっきりした時は
ショックを受けたものです。

しばらく、学校では静かに暮らしていたと思います。

そんな時に私の心の支えになったのが、
ウッチャンナンチャンの番組や
『ボキャブラ天国』だったのです。

ビデオに録って、何度観返したかわかりません。

「本当の友達がいない問題」は
高校に入学すると、さらに深刻化しました。

高校時代

成績が悪かった私は、
当然、高校もレベルの低い学校にしか
いけませんでした。

それはそれで、勉強が楽で良かったのですが、
どちらかというと規律が厳しかった中学と比べて、
校風があまりにも荒んでいて、
最後まで学校に馴染めなかったのです。

小学~中学は目立ちたがり屋で、
教室では人一倍喋っていました。

ところが、高校でも同じような感じでいると、
いじめのターゲットにされそうでした。

ビビった私は、教室では寡黙に過ごす事にしました。

ウォークマンをしながら本を読む、
これが私の高校時代の教室での
休み時間の過ごし方です。

高校時代はちょっとしたきっかけで、
放送局に入部した時期があり、3年生になると、
目障りなクラスメイトも先輩もいないので、
放送室に入り浸っていました。

そこでようやく心を許せる仲間が見つかり、
私は彼らとラジオ番組を制作しました。

ラジオ番組と言っても、
校内放送するためのものではなく、
仲間内で回すだけのテープです。

フリートーク中心の番組で、
その頃になると、音楽も好きになっていたので、
自分たちの好きな曲を間に挟みつつ、
2時間の番組を10回ほど収録しました。

教室ではひと言も喋らないのに、
放送室ではベラベラ喋る、
放送局に同じクラスの人間はいなかったので、
両方の顔を知っている人はいませんでしたが、
傍から見ると変な奴ですね。

あれが唯一、高校生活で楽しかった出来事です。

3年生ともなると、進路を考えなければいけませんが、
なんとなく私はお笑い芸人になる夢が
現実的に思えなくなっていました。

勉強が嫌いだったので、
進学は端から考えていませんでした。

少しでも早く社会に出る方が、
その後の将来も安泰だろうと思っていたのです。

新卒社員時代

2001年、高校卒業後、現在の職業に就きました。

本を中心とする印刷物の紙面を編集する仕事です。

もはや、この仕事とは
20年近い付き合いになりますが、
今でも私には難しい仕事でして、
1年目の頃から「この仕事、向いてないかも」
と思っていました。

実際、今でもあまり仕事が
できる方ではありません。

20年近くやってきた今でも
そんな感じなので、
新人だった頃の私は
とんでもないトラブルメーカーでした。

毎日、会社に怒られに行っているようなもので、
当然ながら、仕事を続けるべきか、
辞めるべきか、いつも迷っていました。

就職して2年が過ぎた頃、
「1年後もこんな感じだったら、
仕事をやめて、好きなことをやろう」
と決意しました。

残業や休日出勤が多く、
どんなに真剣にやってもミスが多く、
怒られてばかり。

どうせこんなにきつい思いをするなら、
好きなことをやっていた方が
いいと思ったのです。

フリーター時代

やはりと言うべきか、
1年後も状況は変わらず、
2004年に退職しました。

学生時代からの夢だった
「お笑い芸人」になるべく
上京することにしたのです。

周りの人たちからは驚かれ、
思いのほか応援してくれる人が多かったです。

しかし、上京したのはいいものの、
ホームシックに勝てず、
わずか1か月で故郷に舞い戻る
というなんともヘタレな自分でした。

東京では、浅井企画のオーディションを2回受け、
審査員の方に1回で顔を覚えてもらったことが
唯一誇れることです。

その後、あてもなくフリーターをやっていたところ、
現在の妻と出会いました。

これも人生の大きな転機でした。

フリーターの頃は、お金はないけど、
時間がたくさんある時代でした。

昔のゲームを引っ張り出してきたり、
安い中古ソフトを買ってきて、
ひたすらゲーム三昧の日々を過ごしました。

その頃に一番興味があったのは、
ゲームクリエイターのことで、
この頃に買い漁っていたゲーム雑誌や
ゲーム関連の本の多くは、
今でも大切に保管してあります。

子どもの頃に遊んだゲームを
遊び直したりもしましたが、
一番大きかったのは、
子どもの頃に知らなかったゲームを遊ぶことです。

今の自分に比べると、
興味を持つ範囲はまだまだ狭いものですが、
少なくとも子ども時代よりは
許容範囲が広くなっていたので、
興味を持てるゲームも必然的に増えていたのです。

他人から見たら不毛な時代
と思われるかもしれませんが、
間違いなく今の私の血肉になるものを
たくさん得た時代でした。

現在

2006年、もともといた会社に戻ることにしました。

身勝手に辞め、
ましてや、私がお笑い芸人を目指していたのは、
社内で知られていましたから、
戻るのは気が引けたのですが、
なんせ、働き口が見つからず、
背に腹は代えられませんでした。

色々な仕事をやってみて、
自分は何をやっても
あまりできる方ではないのだということがわかり、
結局、最初にやった仕事が
できないなりにもマシだったとわかったのです。

その後も、相変わらず仕事ができる方ではありません。

手を抜いているわけではないし、
自分なりに克服できるように
色々と努力はしてきたつもりです。

今の仕事に大きな夢は見ていません。

人に迷惑を掛けない程度に、
細々と人の役に立っていけたらいいと思っています。

2015年から趣味で
「インドア系エンタメ」に関するブログを始めました。

開設から5年ほど過ぎましたが、
アクセス数はそれほど伸びず、
調子のいい時で月間1万PVぐらいです。

もう少し読者が増えたらいいなぁと思い、
こちらのnoteにも記事を投稿することにしました。

文章を書くことが好きです。

しかし、どんなことを書けば
人に読んでもらえるのかは、
未だによくわからず、
大したことは書けないかもしれません。

仕事ではなく趣味でやっていることなので、
自分が書きたいことを書くだけです。

そんな私でよければ、
どうぞよろしくお願いいたします。

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