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内燃 「1.漫才バンザイ!!」

「漫才バンザイ!!」
 突然、一ノ瀬が叫んだ。通りがかったカップルと足早に歩くサラリーマンがこちらをチラリと見たが、そのまま雑踏へと消えていった。
「どうもありがとうございました!」
 受け取り手のいない虚しい音は、サラリーマンのように街に溶け込んでいった。空の水色は鮮やかさを急速に失い、ビルが辺りに暗い陰を落としていた。
「今日はこの辺にしとこか。」
 そう言って、カンパ用の箱を取り上げた。サクラでいれておいた小銭以外は入っていない。いつものことだ。
 この街のお笑いに対する目は厳しいと感じる。一般人さえも、日常会話でお笑いのセンスが洗練されている。目も肥えている。街中で漫才をしていると、評論家たちに試されていると感じることすらある。
「てか最近なんで最後に『漫才バンザイ!!』って言うねん。そんな漫才あるかい。」
「そら、おれらのモットーやからな。モットーなんていつ言うても損せえへんやろ。最後は漫才バンザイ!!言うたらなんか締まること発見してん。まぁ、一丁締めみたいなもんや。」

 一ノ瀬とは中学の時に知り合った。もう八年の付き合いになる。俺とは違って、直感でものごとを決めることが多いのは、出会った時から変わっていない。そもそも俺は『漫才バンザイ!!』をモットーにしたつもりなどない。
 一ノ瀬にムッとしたものの、一度突っ走るとどうしようもないこともわかっていた。諦めて、商店街の方へ歩き出した。

 週末は、なんばの駅前広場で路上ライブをした後、そのまま反省会がてら一杯ひっかけるのが日常だった。まあいつも飲んでいるだけだったのだが。
 居酒屋『はなもと』ののれんをくぐると、大将と数人の客しかいなかった。こじんまりとしたカウンターの席に座り、「とりあえず生で」と言い、ビールを注ぐ大将と談笑し始めた。
「最近、調子はどうや。」
「全然ですね。今日も路上で漫才してたんですけど、犬すらスルーするくらいで。」
「犬は漫才わからんやろ。でも、絶対売れると思ってます。俺たちが売れたら、この店も有名なりますよ。」
「そうか、そしたら十年後、このサインなんぼで売れるやろなぁ。」
「いや、大将、売らんといてください。」
「ほな、二人は売れへんってことかぁ。」
「いやいや、俺たちは売れますって。」
「人身売買?一生奴隷か、、」
「そういうことちゃうわ!まあ、俺もお前も事務所の奴隷みたいなもんやけどな、、」
「まあまあそんなこと言わんと。はい、刺身の盛り合わせね。」
 大将は決まって、いかをサービスしてくれる。なぜかを聞くともうサービスしてくれない気がするし、なによりそんな無粋なことはできないので、元気よく「ありがとうございます!」と言って頂くことにしていた。

 一ノ瀬が「酒は漫才師のガソリンや!レギュラー満タンで!」と言いながら、二本目の熱燗を頼もうとし出したので、もう頃合いだと思った。大将におあいそをお願いし、半ば引きずり出すように一ノ瀬と外に出た。
 居酒屋を出ると、さっきまで残っていたせわしさはすっかりなくなっていた。一週間の煩わしさから解放された煌びやかな街が広がっていた。電飾が眩しい。至るところから笑い声が聞こえてくる。

 大阪ほど無愛想な街はないと思う。
 たしかに、大阪は「義理と人情の街」と言われることが多い。俺たちも例外ではなく、大将のいかはありがたく頂戴している。
 だからといって、誰にでも優しく慈愛の目を向けてくれるわけではない。むしろ、自分の知らない存在に対しては冷たさすら感じる。交差点を行き交う人々は自分のこと以外気にも止めないほど、視野が狭くなっている。
 「義理と人情の街」という輝かしい看板を掲げているが、その実を伴っていないと感じていた。名もない芸人だけがそう感じているのだろうか?
 そんなことを考えながら、大学生の騒がしい集団を白けた目で眺めていた。

 ひとしきり歩いて、公園に着いた。高いビルも一日の疲れを癒すかのように、静まり返っていた。辺りには人気がない。
 自販機で水を買って、ベンチに腰掛けた。一ノ瀬は半分ほど水を一気に飲み、うなだれてしまった。今日も長くなりそうだ。
 それにしても、俺たちはいつまでこんな生活をしているのだろう。
「俺たちいつまでこんな生活してるんやろな。」
 突然、自分の考えていたことがそのまま耳から聞こえてきたので驚いた。その声の主は相方だった。珍しく酒に潰れていたわけではないようだ。
「この数年間、めちゃくちゃ頑張ってきたはずやのに、成功のせの字も見えへんやんか。厳しい世界やって分かってたけど、俺らがこの街にきた頃はもっと、なんか明るくて視界がパーっと開けてた気がしててん。今は何を追っかけてるんか見失ってる気分やねん。」
 いつになく弱気だ。なにかまずいものでも食ったのだろうか。
「まあ絶対漫才はやめへんけどな。」
「何当たり前のこと言うてんねん。それに秘策がこのノートにあるから大丈夫や。」

 俺たちはまだ発展途上だ。まだ芽が出ていないことは認める。それでも、自信と情熱があった。何より、成功するだけの自信と見通しがあった。
 おもむろに相方は立ち上がり、語り出した。
「俺たちが世界一面白いことを証明したんねん。漫才は、、漫才で人を笑顔にする。お客さんは俺たちを待ってくれてて、俺たちはお客さんを笑いの渦に巻き込む。そんな瞬間を夢見てる。こうはしてられへん!漫才の練習や!なんでやねん!なんでやねん!なんでやねん……」
「なんでやねん!お前ボケやろ!ツッコミの練習してどないすんねん!」

 これだけ一緒にいるが、一ノ瀬の考えていることはよく分からない。ひとまず本調子にもどったので安心だ。とにかく、俺も相方も心の内には沸々と煮えたぎる熱いものを持っている。二人でてっぺんをめざす。どんな時でも二人で歩んでいくのだ。



 その日、俺は一人だった。
 高校の同窓会に来ていた。結構な出費なので俺は全く行くつもりはなかった。一ノ瀬がどうしてもと言うので、気乗りはしなかったが、付いていくことにした。そしたら、前日になって風邪で行けないと言い出した。馬鹿は風邪をひかないというのにだ。キャンセル料も勿体無いので、渋々一人で行くことにしたのだった。

 同窓会は、大阪市内のホテルで開かれていた。会場に着くと賑やかで眩い世界が広がっていた。テーブルにはバイキングの料理が所狭しと並べられていた。そして、豪華なシャンデリアは思わず目を細めてしまうほどの存在感だった。
 高校卒業以来、同窓会に来るのは初めてなので、見たことのあるはずの顔がいくつもあった。
 ふらふら歩いていると、何人かが声をかけてくれたので、無愛想にならないように応えた。そのうち、かつての級友と会ったので、料理を取って一緒に席に着くことにした。

「花山はまだ漫才続けてんの?」
「うん。まあ続けてるで。全く無名やけどな。」
 少し言い淀んでしまった。
「はえー。すごいなぁ。俺なんか毎日、家と会社の往復でめっちゃ退屈やのに。」
「会社勤めの方がすごいと思うで。そんなん絶対できへんわ。」
 仕事の話になると、とりあえず建前でこう答えるようにしていた。それにしても、裏表のない純粋な言葉には、胸がキュッと締め付けられる。
「いやいやいや。花山は実は真面目やからな。俺みたいな事務仕事絶対できるやろ。まあ、一ノ瀬はちょっと厳しいかもせんけど、、、とにかく、夢あるやんか。俺たちはどのみち、会社と家の往復やし、辿り着くのは地獄やからな。」
 「夢あるやんか」という言葉が頭の中で勝手に繰り返された。本当に夢はあるのだろうか。実は俺たちの方が地獄に向かっているのではないだろうか……。

「お、花山か。久しぶり。」
「海老原。最近何してんの。」
 唐突に海老原が来たので、挨拶もせず気になったことを聞いてしまった。
 海老原は俺たちと文化祭でしのぎを削った漫才コンビ・スマートスーツケースのボケ担当だった。俺や一ノ瀬とは違って、クラスの正統派の人気者だった。漫才を始めたのも文化祭の枠が余ってるから出てくれと言われて出たのが始まりだった。それでも、はじめての漫才で笑いをかっさらっていった。
 スマートスーツケースとバンバンディーゼルは文化祭の常連となり、結構なお客さんを集めた。

「俺?東京で食品会社で働いててさ。最近残業続きなんだよね。残業自体はいいんだけど、奥さんが怒ってさ。本当に怖いんだよね。あ、去年の八月に結婚しました。報告遅れたけど。」
「海老原すごいな。」
「順風満帆な生活やな。」
 周りにいた友達たちも口々に言う。俺は、無言で運ばれてきた、ムースのようなものを口に運んでいた。
「ちょっと、奥さん見せてや。」
「え、これ、白池さんやん。」
「高校時代マドンナと言われてたあの白池さんと!?」
 辺りは衝撃の事実に驚愕した。俺もその時ばかりはさすがに驚きを隠せなかった。

 海老原は周囲の言う通り、絵に描いたようような人生だと感じた。高校時代でさえ、人に取り入って笑いを取るのが得意だった。社会人になった今、会社での人間関係はもちろん上手くいっているのだろう。加えて新婚生活もきっと幸せの絶頂といったところだろう。
 ムースの口触りはとても柔らかく感じた。
「ええなぁ。みんな楽しそうで。海老原もやし、漫才続けてる花山もやし。」
「花山漫才続けてるんか。がんばってな。」
 海老原に応援されたのは単純に嬉しかったので、強くうなずいた。すると、周りのガヤが口々に言い出した。

「ちょ、花山漫才やってや。どんな漫才やってるん。」
「なんかおもろいことゆうてや。」
「俺はツッコミやからな。一ノ瀬がおらんとできん。」
「そんな寂しいこと言うなよ。花山がネタ考えてるんやろ。」
 こいつらは、俺たちが積み上げてきたものをタダで見ようとしている。それなら、まだしも批評しようとしている。俺はこういう人種が嫌いだ。自分は笑いをとりにいく度胸もないのに、人にやらざるを得ない状況を作って安全圏から眺めているやつが。そういうやつに限って、人を貶してくる。周りの同調する人も同様だ。同等の覚悟がないやつにわざわざ見せてやる義理はない。

 意地でも見せてやるまい。と思い、断り続けていると、やはり「ノリ悪」という言葉が飛んできた。やつらの常套手段だ。辺りはとてつもない雰囲気につつまれた。
 シャンデリアは相変わらず煌々と輝いていた。
「まあ、ボケ不在で漫才師におもろいこと言えっていうのも結構無理な話じゃないか。」
「まあそうなんかなぁ。」
 海老原のおかげでピンチは去ったと見えて、胸を撫で下ろした。甘ったるいムースの最後の一口を食べ終えた。なぜこんなにも辛酸を舐めなければならないのだろうか。

 後味の悪い形で、同窓会はお開きとなった。他の人は二次会に行くということで、夜の街に消えていった。俺はもちろん行く気にはなれなかった。海老原も妻が待っているということで、帰ることになったが、別々の道だった。
 ぼんやり地下鉄に乗りながら、もし一ノ瀬と一緒に同窓会へ行っていたらどうだっただろうかと考えていた。
 しばらくすると、何かを察したかのように一ノ瀬から連絡が来た。


ーー同窓会どうやった?俺おらんくて寂しかったやろ。
ーー寂しくなるかいな。なにアホなこと言うてんねん。アホの付き添いせんでよかったから羽伸ばせたわ。
ーーそんなアホアホ言われたらほんまにアホなってまうやないか。
ーー元々アホやろ。


 そんなアホなやりとりをしていると、現実に帰って来れたような気がした。

 俺たちは性懲りも無く虹色の景色をめざしてもがき続けるだろう。その行き先はもしかしたら地獄なのかもしれない。けれど、この灰色の街で生きていくには、心を無にするか、何かを追いかけるしかない。
 そんなことを考えていると居ても立っても居られない感じがして、地下鉄の中で秘伝のノートを開き、ネタを考え始めた。
 地下鉄は再び、街の地下を走り出した。

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