萩の湯

先日、ととのうを語る会へ参加してきた。(この投稿、一度2/3が、誤操作で消えてしまい…今凹みながら書いておるところ。)一緒にいった友人からレポートしてとも言われたのでやっと書きます。

大ファンである方が主宰されていたこともあって、そして彼女が近頃「サウナでととのっている」という話を聞いて、なんだなんだ??と思っていた。

ととのうを語る会では、まず"ととのいすと”達に「ととのう」を言語化してもらった。

何もないを客観できる状態。
体も脳も「ない」を感じる。
声が聞こえなくなった。
頭の中のザワザワがなくなる。
体に集中できる。
水風呂がつめた、、、くない!
外と内の境界線がない。宇宙だったことに気付く。そして、、とけた!

そんな、ととのいすと達の言葉に不思議さと、面白さと、ほんとにーー??という気持ちが混ざったものの、何よそれ!やってみたい!という気持ちになった。

そしてそのまま私は、ととのいすと達に同行してもらい、サ活デビューをした。場所は師匠おススメの、何ともディープな街、鶯谷にある萩の湯。サウナと水風呂の温度がいいらしい。もっとおススメポイントあったような…

師匠から教わったサウナの入り方は割愛しますが、、師匠に教わった通りの入り方をしたところ、、、見事、「ととのう」体験をしたようでした。

見るものだけが見え、聞こえるものだけが聞こえた。
自分の視覚と聴覚を感じた。
思考が止まった。まるで脳死状態でベットに横たわっているような気分になった。
湯船に入れば、わきの下、足の間にあるお湯を感じた。お湯に浸かっているのではなく、お湯に触れているそんな感覚になった。
湯船の中にも水流があり、その流れに漂っているように感じた。
体中がドックンドックンするんじゃなく、自分の心臓の輪郭や動きがはっきりと感じられた。
内と外の境界線がなくなる…感覚がやってきて、まさに、溶けて、、宇宙だと感じたw
子どもの声が聞こえなくなり、モーター音だろうか、普段では拾わない音声を拾っていることに気付いた。

私も自分の中で、自分との対話を辞められない。「自分のスペースを感じる」という言葉も会の中では出たのだけれど、、、いつもいつも、タスクでいっぱいな気がする。「することリスト」作るたびに増え、「やらないリスト」は作らないから減っていかない。なんとも、手放すことや手放し方を教わってきていないんだろう。

サウナに入ることで、その思考を止め、残ったものは、自分の聴覚や視覚、そして体の感覚であった。これこそ、生きているなぁとか、体へのありがたみとかを感じた。

そうだ、もう一つあった感覚は、サウナから上がった後は頭がうぁんうぁんしていて、難聴状態であったこと。"ととのいすと”達と、スムーズにコミュニケーションが取れないという事態に、笑えたw

私は恐らく、師匠の入り方でサウナに入ることで、いわゆる「マインドフル」な状態になったのだと思う。私は実はそういう状態になることが出来ない体だと思っていた。いつも頭の中で何か考えているのに、それを止めるなど、、、そんなに私の頭や体は素直じゃないだろうな、みたいな。。

ある人はそれを瞑想やヨガみたいなもので手に入れたりするのだろう。マインドフルになるための事を一度やってみたものの、至らなかった経験もあり(一度でうまくなんかいかないよね…)それ以上またやろうとも思っていなかった。

言葉で自分をととのえてきた私が、言葉をなくした状態でととのった私と出会ったことがとても新鮮で、初めてで、気持ちのいいことだった。

サウナでととのえる。新しい方法。

そうだ!「サウナイキタイ」で近くのチェックしよう!

なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。