私の場合の話。
モヤモヤしている時って

やろうと思っているけど
やっていないことがあったり
 
思いついたことがあるのに
二の足踏んでいたり

自分の本当の思いとは違う
妥協した行為をしているときじゃなかろうか
 
そんな風にモヤモヤする前の行為に
多くの場合私達は気付かずにいるんじゃなかろうか

そして
結果としてモヤモヤした感情ばかりを扱って
外に答えを探しにいってはいないだろうか??
 
妥協した行為。
「まぁ、いいや。」「後で、いいや。」「大丈夫だろう。」「このくらいだろう。」「無難でいいや。」

この行為に及んだときにこそ
モヤモヤの正体は現れているように思います。
モヤモヤするずーっと前に
モヤモヤする行為を自分でしているんじゃなかろうか。

 
あ、自分を誤魔化していたなって。

その違和感を今まではスルーしていたように感じる。
そしてモヤモヤとする感情だけを扱っていたような。

モヤモヤを扱うよりも
誤魔化していた自分と向き合おう
妥協してしまった自分と向き合おう
本当の自分の思いと向き合おう

モヤモヤはやはりサインだ
違和感はサインだ

そのサインに気付けているか?
モヤモヤの前にある違和感に気付けているか?
その声に本当の意味で耳を傾けているか?
自分に嘘をついていないか?
モヤモヤを発散したところでまたモヤモヤするのは自分の声に耳を傾けていないからじゃないか?
 
本当の思いに蓋をしている自分こそ
そんな不甲斐ない自分と向き合い
勇気をもって自分を表現していくことが
本当の私に近づく唯一の道。

それをいかに楽しくするかが幸せに繋がる。
 
不甲斐ない自分を許して一歩踏み出すとモヤモヤは悪さなんかしないはず。 

自分の違和感にもっと敏感になりたい。



なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。