補助輪

なりたい姿がある。一歩踏み出せない自分がいる。

そんな不甲斐ない自分。かっこ悪い自分。出会いたくない自分。

でも一方で、大人になると勇気を使う場面に遭遇してないと感じてはいないだろうか?本当はどうなのだろう??

大人になるとどうも勇気を振り絞る場面ってなくなるな・・・っては考えていた。子どもの頃は部活や習い事、大会やコンクールがあって、そこでチャレンジして勝利やトロフィーや賞状をもらい、やり切った感や充実感を得ることが出来たのに。大人になるとだんだんとそういう機会は減ってくると感じるのが多くの場合じゃないだろうか。

すると「なにやってんだろ、あたし。」とか、「なにやりたかったんだっけ、あたし。」自ら取り組まなければチャレンジする機会は訪れないことに気付いて、慌てて自分探しをしたりする。

でも、チャレンジは訪れるものだろうか??チャレンジするチャンスは本当は自分で創っていないだろうか?

そう思うのはこの瞬間である。誰しも「〇〇やったらもっと上手くいくだろな。」って何かアイディアが閃いたりする。でも次の瞬間「でも、ま、いっか。」と自分で自分のアイディアを打ち消し、チャレンジするチャンスを水に流してはいないだろうか?この瞬間が自分でチャレンジするチャンスを創り、チャンスを逃している瞬間なのだと思う。

たぶん、誰にでも毎日毎日チャンスとチャレンジとアイディアは通り過ぎていると思う。でもなかなかそれに気付くことが出来ないもの。

だから、まずは自分の「ま、いっか。」にチャレンジすることがチャレンジの始まりだと思う。

ただし、「ま、いっか。」にチャレンジする前に、どれだけ自分が「ま、いっか。」を言っているかに気付くことからだ。意識し始めるとどれほど自分が「ま、いっか。」と無意識に感じているかに気付く。これが不甲斐ない自分。

それが、補助輪を外した時の怖さ。でもチャレンジ成功して補助輪ナシで乗れるようになった時に見える景色は、チャレンジした人にしか分からない。

怖さは付きまとうもの。あって当たり前のもの。取り除けないなら前に進むしかない。

なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。