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“あつかんDRAGON”お笑いコンビで活動中!僕はおもしろいと思ったことをやり続ける!

限りある人生、お金を稼ぐことだけに使うのはもったいない。
僕の生きる道はやっぱり”お笑い”だ。

小田雄介さん

現在、“あつかんDRAGON”というお笑いコンビで活動中の小田雄介さん。通称“おだち”は長崎県の対馬で生まれ育った。大学の進路を決める時に、たまたま見た釣り雑誌が高知県の特集をしていたからという理由で、高知大学に進学。IT会社の社長と居酒屋の店長を兼任するという異色のキャリアを持つ彼は、現在、お笑い芸人として高知県日高村を拠点に活動中。

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Q:異色のキャリアを築いたようですが、これまでの経歴について詳しく教えてください。
A:大学4年の時に起業したIT会社の社長と、居酒屋の店長を兼任してました(笑)

ーーー長崎県の対馬で生まれ育った小田さんは、大学進学をきっかけに高知にやってきた。教育学部に進学し、入学当初は本気で教員を目指していた。そこから、異色の経歴を歩むことになったきっかけは、後輩が買ってきた”世界地図”だったそう。

「大学時代、同室だった寮の後輩が、突然でっかい世界地図を買ってきて言ったんです。
『小田さん!俺これからいいチャリ買って、行ったところ、全部黒で塗りつぶしていきますよ!この地図真っ黒にしますからね!』って(笑)
それからそいつ高知市内から四万十まで片道70キロくらいを、自転車で行って帰ってきたんです。途中で肉離れしたり、死ぬ思いをして帰ってきて。それなのに、やっと塗れたのが、ボールペンで点くらい。

それを横で見てて、もし、自分が今まで行ったところ全部塗ったとしても、世界から見たらしれてるなって気づいて…
『世界はこんなにも広いのに、これから受け持つ生徒が、僕が行ったことがあるこんな狭い世界の中だけの話で育つのはかわいそうだな』って思ったんです。『もっと、広い世界のことを知って、いろんな経験を積んでから先生になろう。』そう思ってまずは、働きながら生活するワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。」

オーストラリアでさまざまな経験をし世界が広がったという小田さんは、教員以外の道を考えるようになったそう。自分が知らなかっただけで、もしかしたら他にもできることたくさんあるんじゃないかと、日本に帰国し挑戦したのがビジネスコンテストだった。

「自分がやってみたいと思うアイディアが、プロのベンチャーキャピタルからみても『面白い』と思ってもらえるのか、世の中にとってどれだけ『価値がある』と思ってもらえるのか図るために出てみたんです。そしたら、なんとそのビジネスコンテストで優勝しちゃって賞金500万円もらいました。プロに『面白い』って思ってもらえるんだったらやってみようかなと、その賞金を資本金にして大学4年生の時にIT会社を起業しました。

でも、実はその時居酒屋の店長もしていたんです。社長と店長の兼任です。
それもまたいろんな偶然が重なった結果、バイト1日目で店長になったんです(笑)
オーストラリアから帰ってきて、全然お金がなかったんですよ。だから、とにかく早くバイトがしたかった。後輩が渡してくれた求人雑誌に載っていて、時給もよかった居酒屋のオープニングスタッフにとりあえず応募してみようって電話しました。実は、その求人雑誌が3〜4ヶ月前のもので、求人の受付はとっくに終わっていたんです。
でも、僕が電話した時にオーナーじゃなくて、たまたまオーナーのお母さんが出ちゃった。求人の受付が終わってるとか細かい事情をお母さんは全然知らないじゃないですか(笑)
だから、申し込んだ僕に対して『改めて連絡します』って言ってくれたんです。でも、そのあとなかなか連絡がこなかった。そりゃ求人の締め切りは終わってますもん(笑)

当時の僕は、生きていくのもやっとっなくらいお金がなかったので、折り返しの電話がない程度で諦めなかったんです。いち早くバイトしたくて1日に2回は居酒屋に電話をしてました。そしたら、『ものすごい気合入っとる奴がおるな』って思われてたらしくて(笑)

突然、居酒屋の方から『今から1時間以内にこれませんか?』って電話が来たんです。すぐに、行きましたね。そしたら、『君、今日から店長ね。』って。『いやいや、そんなことある!?』って感じですよね。
その日店長と料理長が喧嘩して店長がやめてしまって、『そういえばあの電話してくるめっちゃやる気あるやついるじゃん!店長にしよう!』ってなったらしいです。
まあ、そんな感じでバイト1日目で店長になりました(笑)」

ーーーその居酒屋でバイトとして働いてたのが、現在、小田さんの相方である“あつかんDORAGON”の新庄さんと、そのマネージャーを務める戸梶さん。いろんな偶然が重なり店長になった居酒屋での出会いが、思えば今に全て繋がっていたそうです。


Q:IT会社の社長と居酒屋の店長のダブルワークからなぜお笑い芸人に?
A:人生を振り返って考えた時に、やっぱり“お笑い”かなって思いました。

「なんとなく、ある実業家の対談の配信を聞いてたんです。
すると『IT化や機械化とか便利なものができたら、ひとりができる仕事量って10年前と比べたら、何十倍にもなってる。じゃあ、世界中にある仕事量がこれって決まってたら、人間って減ってしかるべきじゃないか。』って話をしていて。

その当時、僕が経営するIT会社では、婚活支援をするWebサイトやアプリの運用をしていたんです。『婚減や人口減少を食い止める』というのをミッションに会社を経営していたのに、『人間って減ってしかるべき』って掲げていたミッションを根底から覆されてしまった。

しかも、それに妙に納得してしまったんです。今自分がやるべきことは、『人口減少を食い止めること』ではなくて、『個性を見つけてその人にしかできない仕事をしていくこと』ではないかって思うようになりました。

会社が掲げているミッションに価値を感じなくなってしまった。そんな状態のまま会社を続けることは出来なかったんです…

会社のメンバーにやめたいこと、もっとやるべきことがあるのではないかと思っていること、全てを話しました。そしたら、みんな『わかった』って納得してくれたんです。
しかも、それだけじゃなくて『もし、小田さんのやりたいことが見つかって、今のこのサービスや技術を使える時がきたら、いつでもまた集まるから、辞めるんじゃなくて、会社は休眠にしよう。』って言ってくれました。その時は、本当に嬉しかったです。
今も、僕の会社はなくなったんじゃなくて“休眠中”なんです。」


そうして、会社に一旦区切りをつけ、『本当にやりたいことは?』『自分にしかできないことは?』って人生振り返った時に、浮かんだのが“お笑い”っだったそう。

「高校の時から周りの人たちに『お笑い芸人になれよ』って言われることはあったんです。自分も人を笑わせるのは好きで、文化祭でコンビを組んでネタを披露したこともありました。それくらいお笑いは好きだったけど、やっぱり厳しい世界。仕事にはしたくないと思っていました。

だけど、自分にしかできないことはやっぱり“お笑い”だと思ったんです。

そんなことを考え始めていたころにちょうど、友達の結婚式でネタを披露することになったんです。僕の居酒屋でバイトをしていた新庄と2人で漫才をしたら、それがものすんごいウケて。
”お笑い”でやっていきたいという思いが強くなりました。それを新庄に言ったら、まさかの『小田さんが本気ならやりますよ。』って言葉が返ってきた。
じゃあ、本気でやろう!って、覚えやすいように2016年1月1日を結成日に“熱燗ドラゴン”(現在は改名し“あつかんDRAGON”)として活動を開始することになりました。」

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Q:どういう経緯で日高村が拠点となったのですか?
A:応援してくれる人や、面白い人が多い、日高村全体の雰囲気がとても好きだったんです。

ーーーもともとは、路上でライブをしたり、ものまねのショーパブでネタをしたり、高知市を拠点として高知県内のさまざまなところで活動をしていた“あつかんDRAGON”。

様々な人と関わる中で、特に日高村の人は応援してくれる人や、面白い人が多く、村全体の雰囲気がとても好きだったという。日高村出身の戸梶さんが“あつかんDRAGON”のマネージャーになったことをきっかけに、拠点を日高村に移したそう。

「もともと戸梶さんは、僕が店長をしていた居酒屋でバイトとして働いていたんです。その後、戸梶さんはバイトをやめて広告代理店で働き始め、僕と新庄はコンビを結成。

戸梶さんは広告代理店で働きながらも、僕たちがイベントに出るってなったら足を運んでくれたり、広告の仕事をとってきてくれたりしていたんです。戸梶さんがとってきてくれた広告をきっかけに、テレビの仕事いただいたこととかもあって。一緒に働いていたからこそ、ものすごい仕事をできることも知っていたし絶大な信頼を置いていたんです。

だからコンビとして活動をし始めて2年ちょっと経った頃、『2人だけでやっていくのは大変だし、マネジャーを探そう』ってなった時に、真っ先に頭に浮かんだのが戸梶さんでした。」

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「『ご飯いきましょう』って呼び出して、マネジャーやってくれないかと僕たちからオファー…というか脅しました(笑)

胸ぐらをつかんで電柱に押し付けて
小『マネジャーなってください!』
戸『わかった、やります!』
小『だから、マネージャーなってくださいって言ってるじゃないですか!!』
戸『いや、だから、やるって言ってるじゃないですか!!』
小『全然話わからんな!?マネジャーなってくださいって!!』
戸『だから、やるって言ってるのに〜』
ってやりとりをずっとやってました。
はたから見たらやばいやつでしたね(笑)

結果、無事に戸梶さんにマネジャーになってもらいました。今でも、『胸ぐらつかんで電柱に押し付けられましたもんね〜』ってその電柱の前を通る度に言われます(笑)」


Q:どのような仕事をしていますか?
A:高知県のいいものやいい人を世界中に発信したい。

「日高村を拠点に、高知県の“いいもの”や”いい人”を世界中に発信しています。
YouTubeの配信や高知のローカルラジオやテレビに出演していますね。
他にも、日高村に興味がある人を募集して村の至る所を案内するという『日高村のお試しツアー』を企画したり、県内のイベントやマルシェで司会をしたりと幅広く活動しています。」

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Q:実際に日高村で仕事をしてみてどうですか?
A:一緒に仕事をやっていてとても楽しいです。

「日高村で仕事はやりやすいですね。『こういうことやりませんか?』って新しいことを提案した時に、尻込みしたり、『いいね』って言ってくれるけど結局形にならなかったりっていうのが大半。まあ、よくあることじゃないですか。でも、日高村だと『いいね』ってなったら形にするために動いてくれる人が多いんです。

一番覚えているのは、村の大忘年会での出来事ですね。村民と食べたり飲んだりする忘年会で、あつかんDRAGONのステージやって頼まれたんです。そこで、本来持ち時間は5分だったはずが、大盛り上がりで40分くらいステージしちゃって(笑)

そのとき、村長に『こんだけ盛り上げたんで僕たちをオムライス大使にしてくださいよ〜』ってノリで言ったら、『わかった』って言ってくれたんです。ステージ上に立って、大勢の人が見ている前でですよ。
正直、みんなも、僕たちもベロベロに酔っ払っている中で勢いで言ったことだったけれど、後日、村長がちゃんとスーツを着て、式を開いて、正式に“オムライス大使”に任命してもらえました。

それくらい、村長も面白くて、いいと思ったことは採用してくれる。
僕は『そこに何があるかというより、そこにあるものでどれだけ楽しめるか』っていうのが重要だと思っているんですけど、日高村の人はなんでも楽しんで、いろんなことに協力してくれる人が多いので、一緒に仕事をやっていてとても楽しいです。」

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Q:仕事をする上で大切にしていることはなんですか?
A:有限である人生を何に使ったかということだけに焦点をあてて、生きる道を考える。

ーーー小田さんが仕事をする上で大切にしていることは”自分が何を望んでいるかで行動をすること”。そう考えるようになったのは、小田さんが大学生時代に教授から教わった、アラン・ワッツという哲学者の言葉がきっかけだそう。

「“『もし、この世の中にお金という価値がなくて、お金を稼ぐ必要もなかったとしたら、あなたはどんなことをしますか?』と聞かれたら、多くの人は『絵を描いて画家になる』とか、『物語を書いて小説家になる。』って答える。それなのに、じゃあなぜそれをやらないんだ?そんなのめちゃくちゃ人生を損してる。自分がやりたいと思ったことをやり続ければ、それはいつか誰かに評価される時がきます。この世の中にはあなたは1人しかいないから、必ずあなたにしか見いだせない価値が生まれ、その価値に対して何かしらの報酬を払う人が必ず現れます。仕事があるからやるのではなく、仕事になるまでやり続けるのです。”というような内容の名言なんですが、最初にこの言葉を教わったときはあまり響かなくて。

でも、なんとなく覚えてはいたんですよね。それを大人になってから思い出して、『有限である人生をお金を稼ぐっていうことばっかり考えて生きてても、もったいない。人生を何に使ったかということに焦点をあて、生きる道を考えないと』って思うようになりました。

だから僕は、おもしろいと思ったこと、本当にやりたいと思ったことしか仕事にしないんです。」


Q:ショープロジェクトに所属されていますが、会社の魅力を教えてください。
A:“適材適所”という言葉がぴったりの会社です。

「それぞれ特徴に合わせて役割を配置できているところや、その人の得意なところを伸ばすことができるような仕事を取ってくるところが魅力ですね。僕の場合は、『あーしたい、こーしたい』ってアイディアを出すことは得意なんですけど、飽き性で、言ったことを最後までやり切る頃には飽きてるってことが多いんです(笑)

でも、他のみんながそういうアイディアを拾って、『ここはこうしよう』とか、『ここはあいつに任せよう』って役割分担して、計画立てて、実現に向けて動いてくれるんです。お互いのことを理解して働くことができる。“適材適所”という言葉がぴったりの会社だと思います。」

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Q:今この記事を読んでいる読者にメッセージをお願いします。
A:ここには、“ちょうどいい”が全部詰まっています。

「日高村は観光するだけじゃなくて、住んでみないとわからない魅力があるんです。
ご飯は高すぎず、毎日食べたくなるちょうどいい!人が関わりすぎでも、関わらなすぎでもなくちょうどいい!都会すぎず、田舎すぎず、ちょうどいい!全てがちょうどいい!”ちょうどいい”が詰まっている日高村は、長く住むのにぴったりだと思います。ぜひ、一度日高村に来てみてください。」


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いきつけ居酒屋のように、ふらっと1人でも気軽に来れる田舎をつくること。私たちは、そんな関係をつくれる田舎(地域)を少しづつ開墾していきます。


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