見出し画像

ジェニー・オデル(2021)『何もしない』早川書房

『何もしない』を読み、なんか中高生向けの「スマホに注意!」みたいなブックレット読んでるような残念な気分になったのでその話をする。

筆者はアテンション・エコノミーといって、我々の時間と注意力がIT企業を儲からせるための資源になっている状態に問題意識があるようで、そこから抜け出すために、「今ここでの拒絶」を推奨する。そうすれば人間の有限の注意力を他者や社会問題に振り向けることができ、もっと有意義なことができるはずだという。

いや、本当に正しい。本当に正しいことを書いてるんだけど、肝心の「今ここでの拒絶」というのがすごくて、モニタを落として外に出て自然や土地を観察して、ほかの人や動物たちの生に思いを巡らせればよいと書いてある。そうすればわたしたちがいま足をつけている地面こそがリアルであって、自然や他人とつながり合いながら自分が生きている今ここを大切にできるようになるはずだと言うわけ。もう正しすぎて直視できない。

それで、そうした自然とのふれあいのため、筆者は公園や図書館といった公共空間の大切さを説く。でも、たとえば昼日中そこにいれば地域住民のけわしい視線を免れない、どん詰まりのただの緑に塗られたマス目のような公園しかない地方の人間はじゃあどうすればいいんだろう。

また、わたしはただ外にいると意識のピントが狂って、アリがたかる木のウロや葉の裏にびっしりこびりついた小虫や道ゆく女性の肌のニキビ跡や歯の黄ばみとかに注意力のすべてを持っていかれて脳がギュッとなることがけっこうある。筆者は「他人の現実に気づく余地」が大切と言うけど、電車で「それぞれの現実」を持ったそれぞれのすべての肉体がいまも独自の意志と目的を持ち酸素を取り込み二酸化炭素を出しつばを飲み込み食べ物を消化し糞便として溜めていることにグワッと気づいて吐きそうになるのはどうしたらいいんだろう。

いやこれらはわたしがおかしいだけなんだろうけど、それでなくても9時〜19時の労働プラス往復2時間の通勤で時間も体力も決断力も奪われて、帰ったら風呂入って洗濯機回してメシ食うので精一杯、気を抜くと職場のことを考えてしまうからSNSとソシャゲで意識を麻痺させ続けて眠くなるのを待つしかない会社員に、「あなたはFacebookに脳をハックされているのでSNSをやめましょう。スマホを置いて外に出て野鳥を観察しましょう」なんて言えるか?筆者も「低賃金労働に従事する人たちにたいして、私は“何もしない”をとても提案できない」と書いているけど、本当に多いのは筆者が想定するような貧困層ではなくて、こういう「生活はしていけるが精神的にはギリギリのところにいる」層だと思う。

マジでSNSが一部の巨大テック企業を儲からせるためにわたしたちの注意力と時間と言葉を無限に収奪しているからって、じゃあスマホ置いて歯磨いて顔洗って服着て外出て公園行ってオエッとならずに、仕事のこと考えて憂鬱にもならずにただ野鳥を観察できるやつがどこにいるんだよ。自分の住んでる地域にブラタモリみたいな興味関心を抱いて調べて納得してそれが明日からのつらい毎日を生きていくためになるやつがどれくらいいるんだよ。

SNSが脳をハックしているという話なら『スマホ脳』を読めばいいし『監視資本主義』を見ればいい。SNSに溢れているのは情報じゃなくて感情的なとっさの反応でしかないという話なら『くたばれインターネット』を読めばいい。みんなそんなことわかったうえでそれでもこれしかないからネット見たりガチャ回したりしてるんだよ。時間と空間を喪失した、無数のアイコンと無限に現れる現在しかない、SNSとかいう特殊な空間でしか麻痺させられない苦痛があるんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?