「知」についての哲学ごっこ

いつも通りの前書きから

どうもイどうもキです。
懲りずにブログを読んで
いただきありがとうございます。

皆さんのご支援あって
ついに三つ目の記事を投稿することができました!

「3」ってとっても偉大な数字ですからね〜
「ドラゴンクエストシリーズ」の最高傑作とよく言われる
「ドラゴンクエストⅢ」も「3」です!

ハルカというヒロインを登場させて
多くの小学生に「性の意識を植えつけた」
ポケットモンスターアドバンスジェネレーションも
第『3』世代が舞台となっています。

ほかには、「三」位一体、素敵な「3」人組、
「サン」=ジェルマン伯爵など
「3」には神秘ともいいがたい権威があるようなないような
そんな「3」記事目に行ってみましょうー!


「知」について


「知」って何でしょうか?
すごい曖昧な概念ですよね
「俺は○○を知っているぜ!」っていっても
その深さは様々…!

「俺、BUMP OF CHICKENについて知ってるよ〜」
って言っときながら
「見えないものを見ようとして〜♪」と天体観測しか歌えないものなら
ファンの手であなた自身が見えないものにされてしまいますからね…!

「俺は俺について何を知っているんだ…!」とかいう
ファッション哲学的な「問い」もあったりするわけです
(すげー気持ち悪い問いですが、この考えはよく出てきます笑)

今回は「知っている」「知識、知恵」などの
「知」について思ったことを偏見とともに書いていきます。

そもそも「知」ってなんなのか


さっき書いたように
「知」ってすごい曖昧な概念なんですよね

例えば
「カナダの首都はオタワ」
ってのも知っていることになりますし

「カナダの首都はオタワで
英領のカナダと仏領カナダが交戦する際に
その前線としてオタワがあった」
という深めな歴史的アプローチも
知っているということになります。
(全部ググった)

「カナダの首都はバンクーバー」
これは間違ってますね。
しかし、これも知っているということです。

だって、たまに
「俺は日本の驚愕な事実を知っている!」
って叫ぶ陰謀論者もあれは
「知っている」ということになりますからね。

ええ?そんなもの
「知っている」にはならない?
本当にそうですか?


知っているにならない『知』を信じている人って多いんじゃない?


どういうこと?って思う人も多いのではないでしょうか?

「炭水化物抜きダイエット」ってご存知ですか?
そう、ご飯やパンを抜くことで痩せるやつ
あれ巷で相当流行ってますよね?


僕もついついテレビとか本とか読むと
「炭水化物を抜いたら痩せた!
別になんも悪いことなかった!」
みたいなものをみたりします。

あれって、本やテレビで情報が流れているということは
つまりメディアから僕ら個人に情報が移動していますよね?


これって「知る」からこそできる
っていうのがわかりますか?

例えば、学校の先生が生徒に
国語や数学を教えるのは
それらを「知っている」から

そして、それを子どもたちが
学べているのはつまり
「知る」から

この人から人への
情報の移動において
「知る」というのは必要不可欠な行為なのです。

そのため、話すなどの
「情報の移動を促す行為」は
「知っている」という状態が必ず存在してるためにあるのです。

話を炭水化物抜きダイエットに戻しましょう。
芸能人や雑誌のライターが炭水化物抜きダイエットを教える時
みんながみんなそのメカニズムを知っているでしょうか?

もし、そのメカニズムを知っているとしたら
「そのメカニズムが本当に正しいか」
知っているでしょうか?

ほとんどの人が知らないと思います。

しかし、誰もがこういうわけです
「安全なダイエット法で“炭水化物抜きダイエット”を知っている」と。

しかし、現在の研究では
炭水化物抜きダイエットで
研究用ラットの老化が30%早まると言われており

誰もが、こういうのです。
「“炭水化物抜きダイエット”が危ないというのを知っている」と。

そしたら、さっきの
「カナダの首都はバンクーバー」というのも
彼らにとって真偽はわからないですが
「知っているという」ことになりそうです。

しかし、同じ「知っている」でもなぜこんなに
違うのでしょうか?


どうやら様々な「知っている」があるみたい


実は多くの人が見逃しがちなのですが
「知っている」にも種類があるそうなのです。

これからその種類をいくつか紹介します。(僕が適当に命名しています)

まず一つは「流行知」です。
これは、真実かはわかんねーけどみんなそう言ってるし正しいっしょー笑っていう
流行という情報の移動の線の量が信頼をうむ知ですね。

エビデンスに欠けるダイエット情報とか
「あの○○博士が!」とかいう証拠になりえない証拠を表します。
実は詐欺集団、無判断科学教(「科学的に」や科学系のワードを出されると情報を正しいと信じて疑わなくなる人、ex「ケトン体」)が盲信してしまう原因が流行知ですね。
自分が信じているものの証拠が「流行知」かどうか考えるのはとても大切ですよ。


続いては「妥当知」です。
これは、現在解明されている知識や解釈を使って
論理的には間違いのない理解がされている状態の知を指します。
これがみんなの思い浮かべるような「知識」だと思います。

しかし、これが「真実知」ではなく、「妥当知」とされているのは
知識を構成する論理がいずれ役立たなくなってしまい
知識としての形を保てなくなる可能性が存在するので
あえて、真実とは書かずに、現在においては妥当性があるという意味で
「妥当知」として表記しています。

例えていうなら「天動説」などは「妥当知」でしょう。
え?「流行知」ではないの?という人もいると思いますが
あの時代においては「天動説」を「妥当知」と捉えてもいいでしょう。

なぜなら、当時は三段論法が論理のベースとなっており
「神は万能である」という当時においての揺るぎない論理が存在したからです。
つまり、観測結果などは当時一つのバグとしてしか扱われなかったということですね。
よく知らんけど(投げやり)


そして、このnoteで語る最後の一つの知は「自己知」です。
これは簡単です。自己を主人公とした世界でしか証拠をもてない知です。

例えば、スポーツ選手の練習法などはそうでしょう。
彼らと同じ練習法をすれば同じような能力が身に付くかと
言ったら必ずYESとは限りません。
もし、同じ能力がついたら練習法のマニュアルとか
絶対にあるでしょうしね。

他の例えをしてみましょう。
この例えするのすっげー、厨二みたいで気持ち悪いんですが
漫画でよくいる「芸術家タイプ」のキャラが言いがちな
「なんか、この作品気持ち悪い」
っていうセリフ

実際に何が気持ち悪いのかはわからんし、
他の誰も気持ち悪いとは思ってないし(みんな思ってたら流行知にもなるかも?)
肝心の本人に聞いても「そんな感じがした」とか「直感」とか

これも「自己知」でいいと思います。
主張に到るまでを言葉で語れていないですからね
自分の感覚でしか感じ取れないわけです。

こう言ったものを「自己知」といったりするわけです。


結局、どれがいいんだ?


さてこれを見ている人たちは
「じゃあ、どれがいいんだ?」と思うかもしれませんが
僕が思うには
「どれも対等だ」と思います。
(深いっぽいこと書いてあるやつによくある、
どっちつかずで終わるやつですね笑)

一見、「流行知」に今は見えるやつでも
証明されれば「妥当知」となります。


実際にフェルマーの最終定理もクソ長証明を得て
「流行知」から「妥当知」へ移動しましたしね。

もちろん「天動説」のように
「妥当知」→「流行知」と移動したパターンもあります。

そして、炭水化物抜きダイエットも
「たまたま炭水化物抜いてたら痩せた」
っていう個人の「自己知」が流行し
「自己知」→「流行知」になりました。

このような感じでどのような知にも
同じように橋がかかっていて
それは歴史的背景やらなんやらで
簡単に移動できるようになってます。

今の所どうやら
不可逆性もなさそうですし。

そしたら、このように
簡単にステージを移動してしまう
「知識」というものに
なぜ、優劣がつけられましょうか?

そういう理由から
「どれも対等だ」と言っています。


知の種類を知ることの大切さ


この項が
だらだらと書きすぎた結果に4000文字を達成しそうな
記事で一番いいたいことなのですが

これらの「知の種類」を知ることが
どれだけ大切であるか。

それはまず
「知っていることに対してある程度の自己評価ができる」
ということです。

例えば、今自分が本当に正しいと思っているものに対して
それがなぜ正しいか考えて、その証拠を探していくと
案外「妥当知」だと思ってたものが「流行知」だったりします。

そうやって、信じているものが「流行知」であると気が付いた時に
様々な選択肢が浮かび上がってくるのです。

そこから自分なりに研究していって
「流行知」を「自己知」に落とし込んだり
論理で固めて「妥当知」として世に送り出したり

逆に、それを信じずに
他の知識もあるのではないか
と考えることもできます。

これは「この知識は絶対に正しい!」と盲信している時より
だいぶ、視野が広がっている状態だと思います。

それが「知っているを自己評価する」
という最大の“強み”なのです。

もし、あなたがここまで読んでくれたのなら
あなたが「知っている」ものが
どの「知っている」なのか
考えてみてください。

そして、人間不信に陥ってください(ゲス顔)


最後に


上記で書いた全てのことは
見る人によっては
「意味のわからない妄言」だったり
「脳内革命(笑)」だったりします。

まあ、真理じゃなくてもどうでもいいんです
結局この文章も「自己知」を無理やり
言葉にしたようなものですから。


P.S.
「自己知」→「妥当知」や「自己知」→「流行知」の例がうまく出なかったので
誰かいい感じの例ください。僕が泣いて喜びます。

あと、いいねって思ったらいいねください。
お金もください。

jazzが大好きです