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新・チームいきものがかり-ヒットを生み出す要素-<岡田宣×梶望>

2020年4月に新体制となった「チームいきものがかり」。
いきものがかりの活動を支えるスタッフたちのインタビューを通じて、新たな船出を切ったメンバーの想いを紐解いていく。
今回は、いきものがかり初期から音楽活動を支えるEPICレコードジャパンの岡田宣氏と、新たにチームに加わったソニー・ミュージックレーベルズの梶望氏の対談をお送りする。

-いきものがかりの制作に長く携わっている岡田さんとしては、いきものがかりの「放牧」と「集牧」をどのように捉えていましたか?

岡田 「放牧」や「集牧」という言葉を使うと何か特別なことをやったように聞こえるけど、一般的に言うと「活動休止」と「活動再開」です。それはグループでもソロでも普通に起こり得ることで。
その上で活動休止/再開にまつわる考えを言うと、まず、活動休止することによって、いきものがかりに対する世の中の興味や認知が薄れていくのは当然ですよね。あれだけ頻繁にあった露出がパタッと止まる。新しい認識を得られないから、そこで(リスナーの)興味が薄れて、他のものに移る。新しいファンも生まれにくい。そういうことが起こるんだと分かった上で、彼らはそれでも活動休止をしたかった。続けていると問題があるから、続けるのを一旦止めた。だけど休んでみたり、他所の仕事に関わってみたりしたなかで、「いや、自分たちにやれることはまだある」と判断した。そこに対する自信もあった。だから活動を再開したんだと思います。
活動休止によって失ったものをここからどう取り戻すかっていうことが、今後の課題の一つになってくると思いますね。

  そのために環境を変えたわけですしね。だから大決断ですよ。
僕はそこの変化のタイミングから同じ船に乗ることになったわけですけど、彼らと一緒に変化を楽しんでいきたいと思っています。だから活動休止/再開によって彼らが「変わった」というよりかは、これから「変わっていく」ような気がしますね。
彼らのなかに「変わりたい」という明確なイメージがあり、そこに向かっていく環境を整えることができた、というのが今のフェーズで。これからいろいろな企画が目白押しなんですけど、そういう部分も含めて確実に変化していくんですよ。その変化を我々スタッフもアーティストと一緒に楽しんで、ファンのみなさんとも楽しめるようにしていくのが僕らの仕事なので。これからそれを実現できたらいいなと思っています。


-梶さんは、どういう経緯でチームに加わることになったんですか?

岡田 まず、レーベルとしては、「いきものがかりの3人はこれまでの歴史の連続を求めたのではなく、新しい自分たちの未来を選択した」「それが新事務所設立・独立である」と理解していて。なので、我々としても新しいチーム体制を改めて作るというのがまず責務としてありました。そのなかで、新事務所の体制を見て、その特性にマッチする人材を探したときに、実は僕が最初に思い浮かべたのが梶だった。とはいえ「ここに巻き込むのはちょっと違うかな?」と思ったりもして、行ったり来たりしたんですけど、やっぱりバッチリハマるのは梶なのかなと思って、オファーをすることにしました。
FIREBUGの佐藤さん(※参照:前回記事)は梶のことを知っていたから「そんなことが可能なんですか!?」と驚きを持って迎え入れてくれて。そこからはトントンと進んでいったかな。

  佐藤さんとは以前から付き合いがあり、イベントで対談したこともありました。
彼ら(いきものがかり)は新しく船出をするにあたって、理想とする組織像や進め方、プロジェクトのイメージがある程度明確にあったんですよ。その話を岡田から聞いたとき、「僕に声がかかったのも確かに分かるなあ」と手前みそですが腑に落ちました。
僕は岡田に比べたらキャリアは浅いんですけど、ヒットするときの肝みたいなものが自分なりにいくつかあって。そのうちのひとつは「チームのバランスがいいこと」なんですよね。ヒットが生まれるときは必ずチームのバランスがいい。そのバランスのなかにメンバーとして必要だと思ってもらえているのであれば、それは僕にとって光栄なこと。
先ほど岡田も言っていたように、新事務所も僕の過去の実績をちゃんと理解してくれていましたし、何より岡田ゼネラルマネージャーの命ですから(笑)、「やってみましょう」とお返事しました。

岡田 20~30代の人にしようかっていう案も出たんですけど、若い子だとメンバーに意見を言いづらいじゃないですか。そうなるとお互い良くないかなと思って。
これがベテランになっていくうえでの不幸ですよね。アーティストって最初はチームのなかで一番年下の状態からのスタートが多いんですが、歳を重ねて、スタッフも入れ替わって、だんだん周りの人の年齢を追い抜いていくことになるんですよね。みんな遠慮して誰も「NO」と言わなくなる。そうすると客観性を失うことが多いし、良いことがないんです。
それも踏まえて、20~30代だとちょっと難しいかなと。……ここで矛盾するのは、それなのに僕がいるっていうことですけどね(笑)。

  いやいや。やっぱり「怒られる」というのは人間のプロセスにおいてすごく大事だから、岡田さんがいることが僕にとっても彼ら(いきものがかり)にとっても重要だと思います。
それに僕は、いちリスナーとしてはもちろんいきものがかりのことを知っていたけど、プロジェクト・ビジネスとしてのいきものがかりのことは全く知らなかったので。だから「絶対岡田さんはいてくださいよ」って僕の方からもお願いさせてもらっていました。


-水野さんにお二人がどのような人なのかを伺ったところ、岡田さんは「職人気質で、生きた化石のような人」、梶さんは「新しいことに積極的に対応していくタイプの人」と仰っていました。

岡田 生きた化石……褒め言葉だと信じたいけど(笑)。
現場に出ようが出まいが、役職的には俺の給料は変わらないわけですよ(笑)。それなのにかつてのメーカーディレクターそのままの形で現場に出続けているところが、水野くんからしたら絶滅危惧種のように見えるんじゃないかな?ここ数年、水野くんも曲提供でいろいろな現場を見てきたじゃないですか。その経験を通じて「あ、岡田みたいな人ってもう他社にもいないんだ」っていうことに気づいたのかもしれないですね。

  うん、岡田さんのような人は本当にレーベルの中では少なくなりましたよ。
これは余談ですけど、僕はソニーに来る前、東芝EMI(※EMI MUSIC JAPANに改称後、ユニバーサル ミュージック合同会社に吸収合併)という会社にいたんですよ。当時は作品原理主義と言っていいほど、とにかく作品に対して情熱をかけているディレクターが多くて。極端な話、「宣伝は作品の次」「作品さえよければ売れるに違いない」みたいな風潮がいい意味であったんですが。

岡田 それはそれでね(笑)。

  そう(笑)。僕は宇多田ヒカルと一緒にソニーミュージックに移籍してきたとき、EPICに入ることを希望したわけではなく、「君たちはEPICで」と言われてそうなったんですけど、どうしてソニーの人たちが僕らをEPIC所属だと判断したのか、実際に入ってみてから分かったところがあって。
これを聞いて岡田さんがどう思うか分からないけど、僕、EPICの歴史からはEMIに近い匂いを感じているんですよね。

岡田 僕もそう思ってたよ。

  EPICっていうレーベルは作品に対する情熱のかけ方がEMIに似ているなという意味で。

岡田 未だにアーティストと一緒に作るタイプのディレクターがいくらかいるもんね。

  職人的で、どれだけ上の役職についても、現場にいたいタイプの人が多いというか。岡田さんはそこの筆頭のような人。もはや長老です(笑)。

-なるほど。いきものがかりは、メジャーデビュー以降ずっとEPICに所属していますが、梶さんは元々いきものがかりにどういう印象を抱いていましたか?

梶  いきものがかりが出てきたとき、業界が結構ざわついたんですよ。ものすごく素朴な子たちが何か急にチャートに上がってきたぞ?って。当時「いきものがかりがどうして売れたのか」というのは業界の中でもすごく話題になっていたし、みんなすごく研究していました。そういう意味で僕ももちろん注目していたところはあります。
ただ、今回チームにジョインするにあたって、水野さんの書いた本を読ませていただいたり、メンバーとコミュニケーションを取ったりしてるなかで感じたのは、やっぱり彼らは、情熱を持ったディレクターとぶつかり合いながら作品を磨き上げていったんだろうなあということ。そこはEMI出身の僕としては意外性はなかったですね。
ただ、彼ら自身なんとなく軟式なイメージがあるので、もしかしたら世間から見れば、硬派に音楽に向き合っている姿に気づいてない人も少なくないかもしれない。で、今は彼ら自身も、そういう一面を世間の人にもっと知ってもらいたいと思っているんでしょうね。
その裏付けにあるのは、おそらく、ディレクターとぶつかり合いながらここまで作品を作り上げてきたんだっていう彼らなりの自負と、ヒット曲をたくさん生み出してきたと歴史が今の彼らを作ってきたんだとチームに入ってからは感じました。


-新しいチームとして動き始めるとき、どういうお話をしましたか?

  歌や曲に改めてすべてのフォーカスを当てていこうということですね。別に今までそれをないがしろにしていたわけではないんだけど、人気者になってしまったがゆえに見失ってしまったものもあるかもしれないから、もう一度見直したうえでちゃんと世の中に広めていく方法を考えていこうっていう話をしました。
僕に関して言うと、前任者がどうやっていたのかは、新型コロナの影響もあり、あまり聞いていないですね。ただ、今回に関しては今までのやり方をあまり踏襲しすぎる必要はないんじゃないかなと思ってます。

岡田 うん。「“前はこうだったから今回はこうしよう”という判断はこれからはなしにしましょう」って話してたよね。
彼らは今、巣立ちをしようとしているわけですよ。前の体制で成果を出し、だけど、その巣の中で大きくなっていくということを選ばず、そこから飛び立つということを選んだ。そのための環境とパートナーを新しく選択したと。
……で、やっぱり話せば話すほど、僕がいることの矛盾が出てくる(笑)。

  いやいや、だからチームにはバランスが大事なんですって(笑)。
ヒットするためには楽曲自体が良くなければならないから、岡田さんのように、そのノウハウを持つディレクターがいてくれると、僕も安心するんですよ。このバランスが大事なんだと思うし、僕は今、このチームがちゃんとドライブすれば、ちゃんとヒットが生まれていくことへの確信が持てていますね。

-因みに先ほど「いきものがどうして売れたのかをみんな研究していた」という話が出ましたが、結局それは解明できたんですか?

  それがね、研究したけど戦略的にはあまりよく分からなかったんですよ(笑)。

岡田
 身も蓋もないけど、僕自身はたまたまだと思っているんですよね。
いきものは「毎年4枚のシングルを作って1枚のアルバムを出す」ということを10年ぐらいやり続けていて。そのなかで、ヒット曲が何曲か出てきた。テレビの歌番組も望まれるがまま、ほぼすべて出て、年末の特番も出た。これ、普通のアーティストが成し得る3倍ぐらいの稼働量だったと思うんですよ。
ちょっとした逸話を話すと、「YELL」の大サビで、メインボーカルとコーラスが交互に唄うところがあるでしょ。あそこをどう作ろうかっていうのを、僕は紅白(歌合戦)の現場で水野くんと話していた記憶があるんですよ。そうやって何かの用で会っているとき、常に次のそのまた次の曲の話をしていて。


-それほど多忙だったと。

岡田 そう。ずーっと、そのくらいのスピード感の連続だったんですよね。その量的な努力だけでも、僕は30年分に匹敵すると思っていて。さらにその一個一個を一生懸命やっていた。これって注目すべきことだと思うんですよ。
ヒット曲を作るのって本当に難しいんですよ。売れる曲の作り方が分かれば、誰も苦労はしない。だから僕らがやったのは、売れても大丈夫なようにしておくこと。「こういうふうにやったら上手くいくだろう」と思いながらやっていたわけじゃなくて、何かがきっかけで注目されても大丈夫なように、ちゃんと奥行きがあるように作っておいた。
そうやって真面目に取り組むと、評判が出てきたときに、次のタイアップにも声がかかるようになる。それをまた、真面目に取り組む。そうやって1個1個にちゃんと取り組んでいるうちに、良い話が舞い込んでくるようになった。シーケンスとしてはさほど計画性がないんだけど、作品に向かう力はものすごいんですよね。それを10年続けた。
彼ら、タイアップ先の企業が望んでいるのは1曲だけなのに、多いときだと1人2曲ずつ、3人で6曲も書いてくるんですよ。だから「なぜ彼らの曲が多くの人に受け入れられたか」と言ったら、「彼らが努力したから」が答えになるよね。1曲1曲に対するクリエイティブが大変真面目であった。逆に言うと、それにすぎなかったというのが、分析できなかった理由かな。

  そうですね。さっき「ヒットに必要な要素の一つはチームのバランスがいいこと」という話をしましたけど、もう一つ、引きの強さもあると思うんですよ。

岡田
 うん。水野くんもいろいろなところで言ってますよ。「僕ら、人との出会いに関しては運がありますから」って。

  ただ、運だけ良ければそれでいいのかというと、僕はそうじゃないと思っていて。要は、宝くじと一緒なんですよ。宝くじって、買えば買うほど当たる確率が上がるでしょ。そういうふうに、ラッキーと言われる人は、自分がラッキーになるべく、当選確率を上げるための努力をしているんですよ。
例えば僕の場合、「宇多田ヒカルを担当できてラッキーでしたね」とよく言われます。でも、みんなからは大きなプロジェクトを一つ動かしているように見えていても、実はその裏では何百ものトライ&エラーを重ねているんですね。そういう影の努力って、別に(他の人には)見せなくてもいいし、見えなくてもいい部分なんだけど、ある意味ラッキーではあるんだけど “ただのラッキー”みたいに見られるのはすごく悔しくて(笑)。
多分、いきものがかりも一緒だと思います。「1つのタイアップに6曲出してくる」っていう話もそうですけど、そうやって、彼らは影ではものすごい努力をしている。ヒットの要素の一つは引きの強さ。そこで大事なのは、引きの強さを呼びよせるためのプロセスなんだなって思います。


-アーティストの努力が報われる世界であってほしいですよね。

  というか、報われる環境――アーティストの作品がちゃんと売れて、お金として還元されて、さらに良い音楽が作れる環境――を作るのがレーベルの仕事、一番の使命だと思っています。そのために今、彼らとは日々ディスカッションをしていますし、僕はいきもの歴が短いから、どういうファンがいて、彼らはどういう傾向にある人達なのかっていうのをリサーチかけています。
ただ、今って、世の中も、マーケットも変わってきていて、全アーティストが変わらざるを得ないし、レーベル自体も立ち位置を考えなきゃいけない時期になってきていますよね。特にマーケットの主導権が、ユーザー側に戻ってきているから。それは不可逆な変化として進んでいたものだと思うんですけど、新型コロナの影響もあり、今までゆっくり進んでいた変化が、わりと急激になってきている。
僕らもいろいろと試行錯誤しながら、いい形で作品を伝えていくための手法を導いていかないといけないですね。その点に関しては、彼ら(メンバー)自身も積極的なので、いろいろな企画を立てて、みなさんの反応を見ながら、チューニングしつつ、トライしていきたいなと思っています。
変化を楽しめればいいですね、みんなで。エンタメって面白いもので、何かコンテンツがヒットしているときって、それを作っている本人たちもすごく楽しめているんですよ。今で言うと、TikTokなどもそうですよね。あれの音楽プロモーションとしての是非は置いといて、何だかんだ言って、みんな楽しそうにやってるじゃないですか。

岡田 梶の話を聞きながらちょっと考えていたんですけど、今って多分、音楽がビジネスになってから、人類にとって一番大きい変化を迎えているところだと思うんですよね。
スマホが生活の中心になっていくことによって、音楽の捉えられ方自体がだいぶ変わってきている。今までの場合、固定された音楽を聴くフォーマットの変化はフォーマット自体の変化でしかなかったけど、音楽の聴き方自体が全く変化しているじゃないですか。
曲が売れるときって、ほとんどの場合、誤解されるんですよ。なぜなら、リスナーはみんなそれぞれ自分のイメージで、「このアーティストはこういう感じだよね」ってサクッと捉えちゃうから。それによって、アーティストの抱く「自分たちは解ってもらえていない」という気持ちが強くなってしまう。これは永遠につきまとうことだけど、音楽の捉えられ方自体が変わったことによって、その気持ちがこれからますます強くなるんじゃないかと思う。
そうなったときに、誤解されることを恐れずに自分の作品を作り替えられるアーティストもいれば、逆に、さらに自分の音楽に向き合うようになるアーティストも出てくるかもしれない。
大勢に対する影響力を持ちたい、つまり金を稼ぎたいと思うか。ファンは少なくてもいい、自分の音楽をちゃんと理解してもらいたいと思うか。その両方が可能な時代になっていきそうですよね。それが今までと大きく違うところだろうなあと、僕は思います。

  本当にその通りだと僕も思っていて。ある若手のアーティストが以前出演したラジオ番組で「最近のマーケットの変化に対して危機感とかないの?」みたいな話題になったとき、「全然恐れていません」と言っていたんですよ。それはなぜかというと、いい音楽さえあれば、次の音楽ビジネスは必ず生まれるから。
かつて音楽が楽譜となり、楽譜がレコードになり、レコードがテープになり、CDになり……と、メディアのフォーマットはクラッシュ&ビルドを繰り返しているけど、その人類の歴史の中からみたらとても短い音楽産業の歴史の中でも、音楽ビジネス自体がなくなったことは一度もないんですよ。だから今、自分たちの足元ばかり見ていたら、きっと、既得権益に呑まれていって我々は自滅する気がします。だけど、リスナーがいて、アーティストがもがきながら苦しみながら作っている素晴らしい音楽があって、その双方がハッピーになって……というサイクルを我々がちゃんとイメージし、実現できていれば、自然とビジネスは生まれてくるはずですよね。一番大事なのは、アーティストが作る音楽とリスナー双方がハッピーな関係であること。僕らはそのハッピーのおすそ分けをもらうくらいのつもりで、気持ちのこもった作品たちを正しく世の中に伝えてあげることが使命だと思っています。


【PROFILE】
EPICレコードジャパン
チーフ・ゼネラルマネージャー
岡田宣(おかだひろむ)

初期からいきものがかりの担当チーフディレクターを務め、大半の楽曲の制作に携わってきた。メンバーが最も信頼を置くスタッフのひとり。

【PROFILE】
株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ
第3レーベルグループエピックレコードジャパンオフィスRIA制作部 部長
梶望(かじのぞむ)

95年(現)日本コロムビア入社。96年(当時)東芝EMI入社(その後、EMI MUSIC JAPANへ社名変更。ユニバーサル ミュージック合同会社に吸収合併)。宇多田ヒカル、AI、今井美樹、MIYAVI、GLIM SPANKYなどの宣伝プロデュースを担当。17年、宇多田ヒカルのレーベル移籍に伴い、ソニー・ミュージックレーベルズに入社。20年よりいきものがかりチームに参画。


取材日  : 20207月
取材/文 : 蜂須賀ちなみ (@_8suka)
企画   : MOAI inc.​​


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