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自分、という最も理解不能なもの

こんにちは、いきもです。


一番大事なはずなのに、

世の中の9割の人が知らない、
大変な損をしていること。


そして世の中のどの本にも書かれていないこと。


学校の授業も
テレビも新聞も
ネットニュースも
twitterも
絶対に教えてくれないこと。


・・・それはなにか?


「自分自身」です。

正確には、

自分の「心」を「正しく」理解することです。


自分で自分の眼球を見ることができないように、

自分というものは実は

「近すぎて」よく見えていないのです。



自分の事、よくわかってますか?

名前と、血液型と、誕生日と、出身と、所属と、役割と。

そんな肩書や情報は言えるかもしれません。

でもそれは、あなた自身についての情報じゃないですよね。



一人の人間として、「私」がどういう人なのか。

それを説明することはできますか?


「どこに所属していて、そこでどんな役割を持っている」

という情報を抜きにした場合、

自分というものをどれだけ人に紹介できますか?


会社員向けのコンサルなどでは

「自分の所属する会社やそこでの肩書を使わずに、自分を表現してください」

という質問をすると

ほとんどの人が戸惑ってしまうといいます。


つまり、多くの人が、自分というものを

「こういう仕事(役割)を果たす存在」

としてしか認識できてないんです。



・尊敬する人は?

・好きな時間の過ごし方は?

・人生に大きく影響を受けたものは?

・ゆずれないこだわりは?

・自分の弱みは?強みは?

・あなたにとっての人生の軸は?

・あなたの人生が満足するために不可欠なものは?

・あなたにとって幸せな時間は?


なーんて聞かれたら
すぐに答えられるでしょうか?

けっこう難しいですよね。


しらんがな、ですよね。



忙しい毎日の中で、
考えたこともないかもしれません。


でももし、そんな風に

「一人の人間としての自分」

が説明できるようになったら、どうでしょうか?


「○○さんを尊敬しています。彼のこんなところがすごくて。私もそこを目指してます」

「誰が何と言おうと、休日は○○をして過ごすのが1日の至福の時なんです」

「私の人生は○○が起きてからガラッと変わったんですよ!」


なんて話ができる人がいたら、

「面白そうだな」
「もうちょっと聞いてみたいな」

って思いませんか?


しかもそういう人って、

楽しそうで、なんかキラキラしてません?



実は私自身、

「自分を理解することで人生が180度変わった」

という経験があります。


180度っていうくらいだから、

天国と地獄くらい変わりましたね、ほんとに。

いやまじで。




数年前の闇時代の私は、

本当に、本っっ当に

自分の事が何にも見えないし、わからない状態でした。

所属するコミュニティと役割の説明を奪われたら、


自己紹介で誕生日と性別くらいしか言えないんじゃないか

ってくらい自分のことを何もわかってませんでした。


好きな食べ物もわからないし、
得意な教科もわからなかったし、
趣味もないし、

まして特技だの将来の夢だの聞かれたところで

「いや、しらんがな」状態。


とりあえず定型文みたいに無難な答えを返していたけど、

心の底から思ってた答えではなかったですね。



だから言葉にするたびに消化不良でした。



そんな状態で大人になっちゃったから、
自分の軸なんて当然なくて、

主張してくる人に流される生活
が当たり前になっちゃって。


すんごい不自由でした。
いつも息苦しい日々でした。


結婚した夫や10年来の友人の前ですら、

「相手に合わせる」
「主張しない」

生き方をしてたんです。


「自分じゃどうしたいかよくわかんないし、あなたに合わせるよ」

みたいなノリで。



そしたらね。


積もり積もるわけです。

不満が、うっぷんが、ストレスが。


なんでもいいと言いはするけど
「え、それは嫌」
ってあるんですよね。


でも「あなたに合わせる」って言っちゃってるから、
わがままだと思われたくなくて

結局文句も要望も何にも言えず・・・。


そんなうっぷんが
心の底にどんどんたまってる事にも
あんまり気づいてなくて。



最終的にどうなったかっていうとね。



いきなり発作みたいに苦しくなるんですよ。

泣き始めるんですよ。
一人になると。



それもちょっと強がって平気なふりしたり
キレないように平然を装って我慢した後に。

お風呂に入ったり、シャワーを浴びたり、
トイレに入ったり、ベッドに入ったりと、


一人になった瞬間に、


ぶあぁぁぁぁぁぁぁぁっ

って涙があふれてくるんです。

つもりに積もった感情が。


でも、誰かに泣いてることを知られたくなくて

声だけは押し殺すんですよ。

枕やタオルに顔を押さえつけて、

声を殺して叫ぶように泣くんです。


あ゛ーーーー!あ゛ーーーやだあ゛ーもぉーーー!
わぁぁぁぁぁーーーーー!!!(実際は無音の口パク)


みたいな。



もう顔ぐっちゃぐちゃにして、

涙か鼻水かわかんなくなるくらい叫んでるんだけど、

声は絶対に漏らさない、みたいな泣き方。


夫がいて、それができないときは

自分の部屋にこもって、電気もつけない真っ暗な部屋で

ベッドに横たわって死人みたいな顔で

壁をじーーーーーーっと見つめてたり。

で、涙がぼろぼろぼろぼろ。


そんな状態になりました。



書き出すと、やばいですね。
完全に病んでますね。

ほんと、それくらい追い込まれてました。

一人で。
誰に何を言われたわけでもないのに。



でも、それが自分自身が理解できてないせいとは

1ミリも思ってなくて。

発作が収まると「はぁ、すっきりした」ってだけ。
状況は何も変わっていない。

そんなことを何回も、何十回も、何百回も
繰り返してました。


ですが今では、


自分のしたいことを「したい!」
したくないことを「したくない!」

って言えるので、不満がほぼたまらないんです。


だから毎日、

夜は「はぁ・・・幸せ」
って言いながら21時とかに布団に入っちゃうし(しかも即寝)

お風呂は好きな香りでリラックスして
黄色いアヒルを浮かべてニヤニヤしながら入るし

一人の時間も「これ幸い」とばかりに
ちょうどいい明るさであったかいお茶を飲みながら
本を読んでまったり楽しく過ごすし。



結果的に夫や友達や周囲の人に
「きぃぃぃっ!」
と思うことも9割は減りました。


いったいあの暗黒時代はどこへ・・・?

というくらい生活がガラリと変わってます。


もう、一人で声を殺して泣くことはないし、
死人の形相で真っ暗な部屋に一人こもることもないでしょう。


枕が濡れるのはヨダレが垂れた時だけでしょう。(汚い)


そんな風になれた私の最初の一歩が何かというと、


冒頭に言った、

「自分の本音」を「正しく」理解すること

でした。

これなかったら、

ここまでするすると順調に
人生は良くなっていかなかったろうな

とつくづく思います。


だってね。

「正しく理解」できると、事実が見えるんですよ。

いいとか悪いとか、そういう評価でねじ曲がってた事実が。

そうすると
「よくないからこの本音は押し込める」
「正しくないからこの本音は見ないふりをする」

ってことが減るんです。



自己肯定感ってよく、

「ありのままの自分を認める」

っていうじゃないですか。

でも、ありのままの自分が「良くないな」って思ってたら

それ認めるの難しくないですか?


ダメだと思ってる自分を

「それでいいんだ!」

なんて、思えるわけないですよ。

ダメなんだから。


だから認めようとすると、
無理やり「良い」って思えるように記憶を改ざんしたりせざるを得ない。


そんなの、自分が一番よくわかってるから
やればやるほど「うそつき!」って声が、心の中から聞こえてくる。


だから難しいですよ。ほんと。


だけど

「こういう特徴があるね」

っていうのは良いも悪いもない見方ですよね。


髪質がストレートだとか

身長が160センチだとか

近眼だから眼鏡かけてるとか。

肌の色が「うすだいだい」だとか(時代に配慮)

いろいろな刺激より穏やかな暮らしを望んでいるとか。



そういうのって、「事実」じゃないですか。

まぁ人によっては多少の「好き嫌い」はあるかもしれないけど、

それで良し悪しの評価はしないですよね。

だから普通に受け入れられる。


そんなふうに、自分の心の特徴を見つけていくっていうのが

自分を正しく理解すること

なんです。

それが、自分を良くするための第一歩なんです。

ここを適当にやるから、というかやらないからみんな

「願いが叶わない」「うまくいかない」
「なんか嘘ついてる気がする」って
悶々としてるんですよね。


まぁ・・・かくいう私もそうだったのだけど。


事実が正確に見えるから、

思い込みとか自己嫌悪とか

つまずかなくていいところでつまずかない。


だから、進みたい方向へ舵をきることもスムーズにできる。

結果、人生がするすると良くなる。


だから、下手に行動し始めるより先に

【自分を正確に知ることがむちゃくちゃ大事。】


ってことが言いたかったのです、つまりは。


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