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かけない書けない、でも書きたい。

育児は壮絶だ。

もう10か月になる。

娘に時間をささげ続ける日々がもう10か月続いている。

 

私はもともと、文章を書くのが好きだった。

考え事も好きだった。


浮かんだ思いを、へたくそなりに文章にするのが楽しくて。

それで飯を食っていくことも少し考えていた。


「きっと楽しいだろうな」

と思っていた。


けど、飯を食うとなるとお金になる文章を書かなければならない。

お金になる文章は、私が思っているよりもはるかに難しかった。


勉強したから、技術としてはわかっている。

けど、それを行動にのせられない。


結果が出ない間に子供ができた。

「この子が生まれるまでに、せめてなにか」

そう思っていろいろ書いた。


けど、何も。

明確な「なにか」は生まれなかった。


このころあたりから

「書く」ことがおっくうになった。

もちろん産後でそれどころじゃない

というのもある。


けど、好きだったことが手につかない。

余裕がない。

それだけでは説明のつかない何かが私を縛っていた。


それは 恐れ かもしれないし

不安 かもしれない。


けど何であれ私の心のブレーキをがっちりかけてしまって

あんなに好きだった「書く」という行為を遠ざけてしまった。



そして今。

ふと思い立ったんです。

「書きたい」「文章を書きたい」

「私の頭に浮かんだことを誰かに読んでほしい」

と。


チャンスがやってきたからかもしれません。

娘は今寝ているし。

(いつ起きるかわからないからこれもお蔵入りになるかもしれない)

余裕ができたからかもしれません。

10か月もあれば慣れてくるものもあるし。


いずれにせよ、私は今「書きたい」という思いをもとに

衝動的にこれを書いています。


心に浮かんだことばを

ぶあぁぁぁぁっ

と塗りたくるような気分。


娘の世話をしながら、考え事はたくさんしてきました。

たくさん、本当にたくさん。


子育てって頭は暇なんだけど体は忙しいんですよね。

だから、考え事はたくさんしてきたんです。


けど、それを書き留めることができなかった。

すこしストレスでした。


「あぁ、こんなにいろいろ考えたのに、それを後から見返すことができない」

「誰かに共有することもできない」

「この時間は何もなかったことになるんだ」


そうおもうと悲しくてむなしくて。

そういう時間をたくさん過ごしてきました。


だから(まだ娘が寝ているのは幸運です)

こうして書き記せる時間は本当に幸せなのだなと思います。


また次回書けるのはいつだろうか。


でも今回こうして

「私の頭はちゃんと動いている」

「私の心はちゃんと存在している」

ということを証明できたような気がして。


とても充実感があってうれしいので

きっとまた書けるはず。


その日を心待ちにしています。

大好きな娘の世話をしながら。

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