#10 繊細さんに捧ぐ。
HSPで悩んでいる方からは、バッシングが来そうですが・・・
あえて書きますね。
気になっていたんだよね、最近「HSPだから生きづらい」って、SNSに投稿が多いコト。
HSP、つまり繊細さん。
繊細なゆえ、大きな音、強い言葉、強い匂い苦手だったり、暴力的な場面などに弱かったり。
他人の気持ちや空気を察知しすぎて疲れてしまったり、傷付きやすいので、集団生活の場などにおいて、生きづらさを抱えやすかったり
同時進行でいろいろなことがこなせないので、不器用だったり。
すぐキャパがいっぱいになってしまったり。
確かに、生きづらいと言えば生きづらいのかもしれない。
でも・・・
本当に生きづらいだけかな??
繊細ゆえの素晴らしさって、ないだろうか?
繊細だからこそ、美しい音楽や芸術に感動しやすかったり、表現力の幅があったり。
優しい言葉の世界に魅せられたり、美しい言葉を紡ぎ出すことが得意だったり。
自然の息吹や自然からのメッセージを敏感に感じることができたり。
デリケートな味や香りがわかって、食に対するセンサーが鋭く、料理の能力が突出していたり。
他人の痛みや、場の空気が読めるからこそ、普通の人ではできないレベルの心遣いができたり。
HSPであることは、生きづらさをそんなにも協調するほど、悪いことだけだろうか?
「繊細である」ということは、人よりもいろいろなことが感じられるということ。
視座を変えたら、繊細センサーに引っかかるものが多い分、より心豊かに生きられる人とも言えるんじゃないだろうか?
かくいう私も、診断をしてみるとHSPみたいです。
実は、当てはまる項目が多いです。
だけど私は生きづらさを感じていない。
というか、「HSPだから私は生きづらい」って主張したってしょうがないよねーとしか思ってない。
HSPというその特性を生かす方向にフォーカスしたらいいとしか思ってない。
私はHSP気質な自分が好きです。
美しい景色や、美しい写真をを見たり、美しい音楽や美しい言葉を聴いただけで、どうしようもなく涙が溢れる自分。
自然に触れただけで猛烈に心が喜びだす自分。
ニュースや報道、平和じゃない番組に苦しくなり、テレビをつけていられない自分。
いろんなことに、すぐに疲れちゃう自分。
そんな自分が愛しいと思えます。
大勢の中に混じれなくたっていいじゃない?
集団行動なんてできなくたっていいじゃない?
人と関わったり、何かをして疲れることが多いなら、その分ちゃんと休んで、自分を癒してあげればいいだけじゃない?
同時進行でいろんなことがこなせなくたって、一つ一つタスクをこなせば、それはそれでいいじゃない?
思考がまとまらないなら、紙にでも書けばいいじゃない?
できないことにばかり、そんなにそんなにフォーカスしなくてもいいじゃない?
できること、人にはない感覚が備わっていることを誇りに思えばいいじゃない?
繊細であるってことは、私は神様からのギフトだと思っています。
せっかく与えてもらった繊細な心を否定し、生きづらさを訴えるよりも、繊細だからこそ味わえる感覚を味わって生きよう。
ほんと、HSPで悩んでいる人には申し訳ない言い草だけど。
繊細である自分を味わうなんて、そんなことを言ってるレベルじゃないくらい、超敏感で苦しんでいる人もいるかもしれないけれど。
繊細であるという宝物を認めようとしないのは、もったいないよ。
*** 生き方美人クリエイター MEGUMI ***