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見事な旅たち 素敵なお見送り 〜こんな風に私も旅立ちたい〜

最近、体操教室の受講生の方が、立て続けにお二人亡くなられた。高齢者の方の運動教室をしていると、いつかお別れの時が来るのはわかっているし、今までも経験してきている。
しかし、今までは、皆さんしばらく体調を崩されてお休みし、その後風の便りのようにお亡くなりになられたのを知る感じだった。でも、今回はお二人とも直前まで教室に来られていたのだ。

今でも正直まだ受け止められてない自分がいる。多分、こうやって記事を書くことによって気持ちを整理している。

なぜ、記事を書きたくなったかというと、お二人とも本当に見事な旅たちだったからだ。体操教室の講師と受講生という間柄・・もちろん、その方々の人生を詳しく知っているわけではない。
でも、お二人とも最後のお教室で会った時に、まるで次会うことはないと知っていたかなような、素晴らしい言葉を残されたのだ。本当に見事な旅立ち・・

西予市野村町の健康づくり

愛媛県西予市野村町というのは、本当に美しい町だ。シルクとミルクの町として知られている小さな町で、もちろん高齢化が進んでいる。でも、町民の方が手入れしている花々が美しいところだ。

他県の方からすると、西日本豪雨被害でダムが決壊し、体育館が水につかってしまっている写真の方が印象深いかもしれない。
でも、1年後には、下の写真のように明るく復興ウオーク大会を開催してしまうような(もちろん苦しい中ではあるが・・) 明るくてあったかい町だ。

この町とのおつきあいは30年近く前から。当時の教育長さんが、「野村町で最新の健康づくりをすすめたい!!」と熱心に訪ねてこられたのがきっかけだ。
今でこそ1時間半もあれば野村町に行けるが、当時は高速道路もなく、トンネルも抜けていなく、果てしなく遠いイメージだった。

そんな所で毎週健康教室を開催したい!とのオファー。最初は母も当然断っていたが、あまりの熱心さにお引き受けしてから今まで続いている。

野村町は、この体操教室もだが、健康大学を開講したり、ノルディック・ウオークで町民の健康づくりをすすめたり、ITを活用した健康づくりを大学医学部・野村病院・当NPOとすすめたりする健康づくり事業にとても熱心である。
どれも今ではめずらしくない事業だが、全国的に先駆け行ってきた。

その野村町の体操教室で、新年早々、2週続けて起こった出来事・・・

Tさんの旅立ち・・

Tさんは、あまり私と歳が違わないのではないか・・と思う。きっとアラ60、ちょっとお姉さんだ。この教室の皆さんの平均年齢は80歳を超えているので、この教室で2番目に若いTさんは他の受講生の皆さんと親子ほどの年代差がある。

正直、私はTさんとは今まであまり話をした事がない。
比較的最近体操教室に入られたし、お休みがちだったからだ。また、そんなに若い方は、あまり気にしなくても心配ない。ちょっとぽっちゃりしたTさんはこの教室の中では若くて元気いっぱいに見えた。

昨年晩秋、しばらくお休みしていたTさんがしばらくぶりに来られ、少しスリムになっていたので、私はあろう事か
「お久しぶりですね。スマートになって綺麗になられましたね♪」
と声をかけてしまった。

すると、「あら、嬉しい!! でも、私は末期の癌なのよ。今調子が良いから来ているの。調子が良い間は来るつもりだから、先生、よろしくお願いしますね」と満面の笑みで答えられたのだ。

そして、教室が終わって最後のご挨拶の時、

(実は、体操教室の終わりには、上の図のようにみんなで手を繋いで挨拶をするのが定番なのだ。今はコロナ禍ということで、さすがに手は繋がないのだが)

お世話役の会長さんが、
「今日は嬉しいことに、Tさんが久しぶりに参加されました。皆さんもご存知のとおりTさんは癌の治療中なんだけれど、病室の仲間たちと、ここで習った体操をされているそうなんですよ」とTさんの活動の様子を伝えられた。

会長さんのお話によると、Tさんの病室は末期の患者さんばかりのお部屋。コロナ禍ということで、家族が面会に来れるわけでもないし、病室の戦友とお話する事もご法度だった。

そんな中Tさんは、どうせ死を待つ仲間、コロナごときが怖いわけはない。それより、誰とも話すことすらできず、孤独と恐怖で壊れそうになっている病室仲間を思い、病院の方に許可をもらって、その仲間とマスクをはずして話をし、楽しく体操をしてカラダを動かし、その病室を明るくする活動をされたそうだ。

私なら、きっと自分の不幸に打ちひしがれる事に夢中で、人のためになる活動なんか思いもつかないに決まっている。素晴らしい方だ。

そして、Tさんは会長さんに促され、みんなの前で
「今日はとても楽しかったです。こうやって皆さんと会えると力をもらえます。手術はもう出来ないのだけれど、来れる時はしっかりカラダを動かして、お野菜も作って、楽しみたいと思います。」と笑顔でお話をされた。

それからお会いできなかったのだけれど、私が担当の週にたまたまお休みされているか、年末だしお忙しいのかな・・と思っていた。そのくらい、最後にお会いした時、お元気だったのだ。

年明け最初の教室の前の日、「Tさんが昨日亡くなられた」と会長さんからお電話をいただいたのだ。

どうしよう・・

会長さんからのお電話は、まだTさんの死を知らない方もいるので、教室が始まる前にみんなにお話します。との事だった。私はその夜悩んだ。

どうしよう・・・

Tさんの事を思い、みんなで黙祷とかして、じゃあ、体操しましょう!! とか明るく言えるわけない。でも、大半の人は、年代も違うしTさんと親しかったわけでもなく、体操をしにきている。どうやって明るく準備運動とかに持ち込むのか。。

本当にあまり眠れず悩んだ。
黙祷した後、「Tさんは病室の仲間と楽しく体操をされていたのだから、今日も楽しく体操することを望まれていると思います」とか言って入ろう。と思っていた。

教室に着いた時、会長さんから
「地域新聞にTさんの事が出ていたから、みんな知っているし、追悼の言葉は最後にしましょう」とご提案があり、正直本当にほっとした。

意外なお見送りの言葉

体操が終わり、例の如くまたみんなで輪になった。神妙な雰囲気になると思いきや、意外な事に、会長さんは笑顔でTさんの最後の病室の活動を讃え、みんなTさんを見習って最後まで明るく楽しく健康づくりを続けようね! みたいな感じでお話をされたのだ。静かで暖かくて優しい雰囲気の中、みんなでTさんの事を思い、お別れをしたのだ。

その日、年の初めということで、長期にお休みをしていた方が3名も来られていた。2名は病気でお休みをされていた方の復活であり、1名はコロナが怖くてお休みをされていた人を友人がひっぱって来られていたのだ。
その事も、教室の雰囲気を明るくさせた。Tさんは明るいのが大好きだったので、本当に仲間が戻ってきてくれた事が嬉しかった。

Nさん、母を励ます!

仲間を強引に引き戻してきてくれたのがNさん。Nさんは91歳、連れ戻されたコロナが怖かったWさんは93歳。なんとも素晴らしい!

Nさんは、教室の後のご挨拶の輪の中で
「こんなに素晴らしい体操に来ないなんて、本当になんてもったいない! ってWさんを引き連れてきました。家でこもってばかりいたら病気になる。私は最後までこの体操にくるよ!」と皆さんにお話をされました。

この教室は、元々母(83歳)が担当していた教室。5年ほど前に末期に近い癌になり、母は現役を退いた。手術は大成功だったが、数年闘病したのでなかなか体力が戻らなかった。
最近、この野村教室なら、平均年齢が高いこともあり、今の母の体力でもなんとかついてこれるし、何よりドライブも楽しいということで、私の担当の時はいっしょにきて最後列で体操をしだした所だ。
その母に向かって、Nさんは帰り際に
「今日は姿勢がだいぶシャンとしてたよ! 先週は腰が曲がっとった。だいぶ体力もどってきたね」と肩をポンとたたいて励ましてくれた。
母が、「お月謝、野村教室に払わなきゃね。私、娘が担当の時は毎回来ても良いかしら?」と聞くと
「月謝なんて、とんでもない!! 私は20年以上前に、先生のお話を聞いて、運動は素晴らしいと思って、それからずっと来ているんだから」と笑顔で言われた。

突然のお別れ・・

次の週、また体操の前の日、会長さんから突然お電話があった。Nさんが亡くなられたと。朝おきたら廊下に倒れていらっしゃったのを息子さんが見つけられたと。

しばらく本当にショックで、私は受け止められなかった。

高齢者の運動指導をしているのだから、今まで何人も旅立たれている。でも、みんな体調を崩し教室を去り、風の噂のように旅立たれた事を知るという具合だった。

Nさんは、つい先週まで本当に元気に体操されて、いつものように元気に歩いて帰られたのだ。信じられない。

私にとって、Nさんは特別な生徒さんの一人。
もちろん、みんな平等に運動指導をしているつもりだが、でも、特別な人はいる。
学校の先生をされていたNさんは、私の心の支えだったのだ。

私は母に言われるがまま別の仕事をやめこの世界に入った。好きで始めた仕事でもないし、野望もない。

私は20代後半から講演のお仕事をたくさんいただいているが、あの、面白い事を連発してしゃべる人間は本来の私ではなく、演じているだけだ。

この仕事で成功している人は、みんなエネルギッシュでキラキラしている。私とは正反対だ。私と言えば、もう、絶対的に熱意や自信に欠けている。

それに、どうせどんなに頑張っても親の七光りとしか見られない。淡々と仙人のように裏方仕事をひたすら続ける、面白みのないというか、夢のない実務タイプなのが私なのだ。

そんな私の講演や研修会にNさんはいつも来てくれていて、いつも私の手をとって「先生の話はとってもわかりやすい! 本当によく勉強している! 頑張ってるね」
と褒めてくれたのだ。
特に、初めてそうそうたる講師の先生方にまじってセミナーの講師をした時には、Nさんの言葉は私の支えとなった。

Nさんは、母の娘だからではなく、ずっと「私」のファンでいてくれたのだ。

ここ最近は、耳が聞こえにくいからか、もしかしたら少し認知症が入っていたのか、もう、毎回、毎回、しつこいくらいに体操が終わるたびに
「この先生は素晴らしい! 本当に野村はこんな先生に来ていただいて幸せだ」
と手をぎゅっと握って何度も何度も帰り際に言ってくれてたのだ。

Nさんが褒めすぎのように褒めてくれる事は、野望もなく、自分に自信がないどころか自分の価値さえ感じられず、時に消え入りそうな気分になる私には、ずっとずっと支えだったのだ。

これからどうしよう。。。。

体操教室で・・

幸いな事に、直後の体操教室は私の担当ではなかった。多分、直後に行っていたらあまりの喪失感に泣いてしまったかもしれない。

1週間あけて、次の体操教室の時、Wさんが来ていた。オミクロンが愛媛でも流行り出して、普通なら絶対にWさんは来ないタイプなのに。。

Wさんのお顔を見て、本当に嬉しかった。

体操教室の終わりに、また例の如く輪になった。Nさんの話題になった。
会長さんが、また笑顔でNさんのお話をされた。母が言っていた最後まで楽しく元気に「ピンピンコロリ」をNさんは体現されたと。本当に素晴らしい! と。

Nさんは、最後の教室の時に言われていたとおり、最後まで体操教室に元気で歩いてこられたのだ。本当に見事である。

でも、2週続けて仲間が旅立たれたのに、どうしてみんなこんなに穏やかで優しい感じで、笑顔でお見送りができるのだろう。

Tさんは年代が違うので、ほとんどの教室の方はあまり親しくないけれど、Nさんは違う。私もとても喪失感があり悲しいが、教室の仲間はきっと本当はそれ以上に寂しく悲しいはずだ。
特に90歳トリオの仲間達の喪失感は、私には想像できない。

そう思っていたところ、母が輪の中で
「いずれ近くにいくから、ちょっと待っててね」みたいな事を笑顔で言った。
また、Wさんは「Nさんに連れてこられたからね、これから来なきゃなって思って今日は来たのよ」とお話された。

そうか、私にとって、死は遠くに感じられる特別な事だけれど、皆さんにとってはいつも考えている事なのかもしれない。

見事に美しく旅立たれたお二人に対しては、穏やかに尊敬のこころをもって、優しい微笑みでお見送りされているのだ。と思った。

こんなコロナ禍ではあるけれど、この体操教室の場は本当に素晴らしいなとあらためて思った。
ここに来る事で、人生を楽しめる体力を維持できる。仲間と話すことでこころが潤う。みんなで支え合える。

お二人に教えていただいた気がして、私も穏やかな笑顔になった。






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