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現代短歌の前線をキャッチアップしたい

病院の待合室で日焼けしたカバーの『サラダ記念日』を見た(31文字)。それで昔だいすきだった歌のことなど思い出されて、現代短歌の前線が今どうなっているのか気になりはじめ、調べてみました。

300首、プロの歌人が紹介している記事

すぐに出てきたのがこちら。歌人の工藤吉生さんのnote記事です。

現代の歌人の、「有名な」歌を選んでくださっているというところが有り難い。しばらく短歌から離れていて、いわゆる旗手とされるような存在も、媒体も分からなくなっているから、有名どころから胸を打ったものに飛び込み、手繰っていったら、キャッチアップできる気がする。

どの時代から「現代短歌」なのかというのはいろいろな考え方がありますが、ここでは2019年現在で60歳以下の方(1959年以降の生まれ)の作品を現代短歌とさせていただきました。

なるほど。いま、私は41歳なので、上にも下にもだいたい20歳くらい。いい感じです。同時代の歌人たち、と言って差し支えなさそう。

刺さった9首

工藤さんの記事から、胸を打った歌、気になった歌をメモしました。これからそれぞれの歌人について分け入っていきたいなと思っています。同じ歌人から数首、刺さったものもありましたが敢えて一つずつ挙げます。読み進めながら簡単に調べたところでは、代表作のような歌が多いのか、収録されている歌集などを見つけることもできそうです。

▼井上法子
煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火

なんといっても、この井上法子さんの歌が深く心に残りました。この歌人の世界がもっと知りたい。

▼大松達知
かへりみちひとりラーメン食ふことをたのしみとして君とわかれき

この感覚、知ってます。

▼岡崎裕美子
体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ

こういう、たたかい姿勢、欲する姿勢の歌が好き。思い出してきた。

▼黒瀬珂瀾
日本はアニメ、ゲームとパソコンと、あとの少しが平山郁夫

この方はほかの歌も大いに気になった。

▼千葉聡
フォルテとは遠く離れてゆく友に「またね」と叫ぶくらいの強さ

つい、声に出して、やってみた。「またね。またね!」。じっとしていられなくするのが短歌の力。

▼服部真里子
野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた

これも、臨戦の歌。

▼平岡直子
三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった

胸がざわざわする。なんでそういう気持ちになったのか、じぶんの胸の内を探ってしばし黙る。

▼光森裕樹
ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか

高い解像度で見る白昼夢。日常にありふれている何かと、詩想で表し得るものを劇的に接続する感じは短歌ならではだと思う。手法としてはそう説明でいても、ぐっと来る強さでうたうのが歌人の凄み。

▼望月裕二郎
さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく

好き。変わったひとだな。。。気になる。

以上。ものすごく楽しかったです。愉悦といっていい。

短歌が好きなことを思い出した

たたんでおいたものが、ひらかれていく、あるいは自分の手でひらいていく感覚。

同世代のあるあるだと思いますが、私の短歌への入り口は俵万智さんの歌集でした。記事の冒頭で触れた、『サラダ記念日』です。そして、大学の机の落書きから短歌を知った、という俵さんの有名なエピソードから寺山修司を知ることになります。

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり
(寺山修司)

今にして思えばどこからどう入っても寺山修司は魅力的なのですが、自分にとってはここが入り口になった。文芸そのものの力に打ちのめされていきます。

そうして、高校時代は図書館にあった歌集を手当たり次第読んでいました。特に塚本邦雄がかっこいいと思っていました。

ここを過ぎれば人間の街、野あざみのうるはしき棘ひとみにしるす
(塚本邦雄)

いま見てもなお痺れる。この感じを思い出した。

例に漏れず、深く分け入っていくと自分で自分を救わなければいけないような領域に踏み込んだりすると思うのですが、今はただ、好きという衝動のままに楽しく見ていけそう。現代短歌の前線にキャッチアップして、三十一文字の文芸が新たに切り開かれていくのを目の当たりにできたら嬉しいなと思います。

工藤吉生さんの歌集も買いました。楽しみです。素晴らしい記事にまとめてくださって、感謝です。

この記事は、Twitter @iketanikazuhiro で投稿したメモをもとにまとめました。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。つたないものですが、何かのお役に立つことができれば嬉しいです。