見出し画像

テクノロジーカルチャー・セッション 第4回 ゲスト:倉下忠憲さん(文筆家)

文筆家の倉下忠憲さん(『すべてはノートからはじまる』など)への公開インタビューを行いました。

2022年10月18日(火)13:00-13:30 Twitterスペースにて

開催趣旨と過去の記録はこちらのマガジンから。

倉下忠憲さんについて

デジタルの力を活用し、知を営む倉下さんの発信にいつも学んでいます。本物を志向しつつ、出来るだけ自然な、生活とともにあるスタイルに影響を受けてきました。

著作

ブログ「R-style」

Twitter(倉下さん曰く”第2の住所”)

お聞きしたこと

こんな質問をしました。

・テクノロジーカルチャー、という視点でご自身を振り返ったとき、何か思うことや感じることがあればお聞かせください

初回の録音をお聴きいただいて言及してくださったメールマガジンで、「電気的なつながり」「変換」というキーワードが出ていました。この点について、いま改めて思うことや感じることがあればお聞かせください

・『すべてはノートからはじまる』の中で「ノートというテクノロジー(≒マクルーハンのいうメディア)」という捉え方をされています。すべては、と書かれたように知的生産の隅々に浸透しているような力を持つノートについて、今日のお話に関連して(または敷衍して)考えられることがあればお聞かせください

・私も曖昧に使っている、というか探求そのものになってしまっているテクノロジーカルチャーですが、別の言い方、ネーミングをするとしたらどんなものがあり得ると思いますか?

・領域を問わず、共感したり自分に似ているなと思う人はいますか?

すごく簡単なレポート

電気的なテクノロジーの力を活用できる時代に、書き手として世に出た倉下さん。

倉下さんの発信や著作に触れる中で私が気になっていたことを伺いつつ、テクノロジーカルチャーについて一緒に考えていただきました。

ノートはテクノロジーだが、いわゆる電子ノートはノートのメタファに留まっておりカルチャーとまでは言えない。Scrapboxなどの、電気的なテクノロジーによって多重性・多義性を備えたものとの境がそこにある。

それらを好んで使う人たちは、自分のつくったものを他人に開くことに積極的であることが多い。テクノロジーカルチャーとは、そうしたあり方であり、つながりそのものなのかもしれない。

テクノロジーカルチャーとは、様々な変換をもたらす電気的なつながりの生態系を指すのではないか。

このような機会をもつことで、普段は非同期で交流している人と時間を合わせてアップデートできる。迷いつつとりあえず付けた「セッション」というネーミングが妥当だったのかもしれないなと思ったのでした。

今回の音声アーカイブはこちらです。

第5回の開催が決まったら、私のTwitterのタイムラインにてお知らせしていきます。

関連する過去のnote記事はこちらのマガジンにまとめています。

ここまでご覧いただき、ありがとうございました。






ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。つたないものですが、何かのお役に立つことができれば嬉しいです。