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めでたくもあり めでたくもなし   誕生日

grandmaの徒然草 第五段

先日3月5日に、父が94歳の誕生日を迎えました。

「誕生日おめでとう」の電話をした時の父の言葉です。知り合いも少なくなって寂しいし、運転免許証も返納して足を取られてしまっているので、買い物 病院 ちょっとした用事も周りに気を遣って不自由なんだ〜。足、腰痛いし身体もしんどい、耳も聞こえない、頭もぼーっとしてものが覚えられない…

「当たり前だよ。娘の私が新しいこと覚えられないし、忘れるし…お母さんと二人、自立して生きてもらっているお陰で、私も娘と孫のお助けができているんだから、ありがとう!…」近くで支援してくれている妹家族と共に、両親の頑張りに感謝です。

父は旧制中学時代に予科練の試験を受けに行ったという、軍国少年でした。試験官にちょうど知り合いのおじさんがいて、後で「一人息子が…馬鹿野郎!」と叱られたそうです。物語や映画等で知っている場面とは違います。試験は不合格だったそうです。その後、大阪の学校時代 空襲の怖さやひもじさ、学徒動員など経験し、必死で生き延びたそうです。そんな中でも豊かな友人もいるという格差を知り、格差は今に始まったことじゃないと私たちに言っていました。少しでも豊かな生活を!と、頑張って高度成長期を駆け抜けた世代です。

両親の会話の中で忘れられないのが、1981年中国残留孤児の方たちが生き別れになった家族を探しに初来日したときのことです。連日TV等で、残留孤児の方々の日本名(覚えている人)、家族の情報、中国人の養父母、地区、町の情報などを放送していました。母は「自分の子を外国に置いて帰るなんて有り得ない」と、涙ぐんでいました。父は、母が戦争時代、田舎のまだ小学生だったので、戦争の恐ろしさや無茶苦茶な混乱を知らないから、道徳的なことが言えるんだと。父は「そうせざるを得ない状況だったんだ。」と言っていました。

私は、今でも「私はどうするだろう」と、決めかねています。一緒に帰国を選んでも、帰れるかどうかわからない、死ぬ覚悟がいるでしょう。子どもだけでも生き延びてほしいと思って、預ける気持ちもわかります。

山崎豊子さんの『大地の子』は、2人の父親、2つの祖国の間で、自分の生きる国を選ぶ残留孤児の物語でした。TVドラマにもなり、感動巨編でした。人間の歴史はある意味、戦争の歴史と言えるかもしれません。いつも権力者の正義や大義名分で戦争が始まり、それに翻弄されるのが普通の人、犠牲になるのが子どもや女性…。戦争のない世の中で普通に暮らせることを願っているグランマです。

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