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死に様と生き様ってリンクするのかなっていう話

門賀美央子さんの『文豪の死に様』を読んだ。名前をよく耳にする著名な文豪の死に至るまでを考察している。伝記のように時系列を追うのだけど、時に死から戻る時系列もあって、死に様と生き様を照らし合わせている。

僕は文学史が好きだ。経緯は高校時代に遡る。

中学後半から受験のための国語が主となり、本が好きだった僕にとって解き方を教わる授業になった国語は面白くなかった。もっと好き勝手読ませてくれよと。小説を読んでいると怒られるから、ずっと配布された国語便覧を見ていた。熱心に勉強している奴と思われていたら凄く嬉しい。

国語便覧は読み進めると、必ず作家の紹介ページに行き着く。まあ自殺や不審死、志半ばでの夭折の多いこと多いこと。当時は疑問だらけだったなあ。書き物って仕事はそんな精神的にくるのかなあ、ちょっと興味あった進路だけどやばいのかなあとか。その程度だけど。

そんな時芥川龍之介の『羅生門』を授業で扱った。その時の担任が、「当時の文豪にとって自分の作品が受け入れられないこと、これは死に直結する。」という話をしていた。授業の内容は一切覚えてないけど、担任の言葉は今でも衝撃的に残っている。

それはさておき。最近死に際についてよく考えることがある。寿命は人によって違うから当然平等ではないが、死は生物誰にでも訪れる平等なものだ。どんな人間も一度だけ死の際を経験する。そして誰にもどんなものだったかは語り得ない。
この本を読んでいると、文豪のように深く自分の心理に潜り込み、表出してきた人たちというのは、死に際となっても、自分の生き様が色濃く表れている。悩み抜いた先に死が訪れる。自分と向き合い続けた文豪だからこそ死というものを身近にし、受け入れ、諦め、抗い、足掻いたのだと思う。どうせ死ぬならそのくらい葛藤して死にたい。

生きるとは悩むこと。悩み続けることが良い生き様果ては死に様に繋がるんじゃないかな。

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