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【帰国】松山かしまし旅②


元先輩との再会を果たした後は、

高校時代の同級生が駆けつけてくれました。

彼女は、愛媛出身の旦那さんと出会い、

こちらに住まいを建てています。

今は松山市内で勤めているということで

タイミングよく会えることになりました。



彼女と待ち合わせした大街道へ行くと、

緑のシャツを風に靡かせ颯爽と立っている女性が。

私を呼び手を振る姿に、思わず込み上げるものがありました…

歌声のような響と彼女の優しさを一瞬で思い出し、

これまで堪えていた力がフッと抜けました。

学舎を供にした仲間は無条件で解きほぐします。


彼女も、誰も身内がいない中で戦ってきたんだと思うと、

激励するどころか、それ以上のものが返ってきました。



お昼ご飯を供にしました。

三越の一階にあるフードコート。

お寿司やお好み焼き、海鮮のお店、中華など、

本格的な料理屋が並び、真ん中に椅子とテーブルがあり、

それぞれに好きなものを買い、同じ食卓で食べることができます。

デパートなので、ショッピングモールのそれとは違います。

どれを食べるか迷ってしまうほどです。

私は鯛のあら煮を選びました。

これまでのこと、今のことなどを教えてくれました。

高校時代の元カレM君が、有名アイドルと恋人関係にあるとか

長男が半年前にマウンテンバイクを始め、

翌日に北海道へ試合に行くほどの才能を持っていることなど、

相変わらずスケールを越えた話題を語ってくれました。


短時間ですが隙間を埋めることができました。

彼女とはまた再会を約束して、仕事へ向かって行きました。


フィレンツェの仲間を訪ねて

山上にある松山城へは、ロープウェイを利用します。

乗り場の一帯は、食事処やお菓子屋、雑貨店など、

道が整備され、古風な建物が連なり風情ある通りになっています。

お城には登らず、この通りに目的がありやってきました。


松山に来たもう一つの理由が、

フィレンツェ留学していた時に出会った四国人に会うこと。

愛媛出身で、友だちの友だちとして知り合い意気投合。

英語を話せることから、ロンドンへ旅行に行く前に、

英語の先生としてレッスンを依頼しました。

それからも、飲み仲間として夜に出かけたこともあり、

わずかな期間でしたが、濃厚な時を過ごしました。

しばらくイタリアで留学生のサポートをした後、

愛媛に戻ってきて、イタリア語教室を開校しました。

その様子をsnsで見ていて、彼女の姿を一目見たいと

連絡したら快く引き受けてくれました。


学校を訪ねると、あの頃と変わらない姿で迎え入れてくれました。

思わずイタリア式ハグを強くすると、

これまでの彼女の激動を讃えるように涙が込み上げました。

イタリアにいる頃から構想を立て、帰国してすぐに

今の物件を下見し、講師らの人選を行い

イタリアまで会いに行ったんだとか。

瞬く間に、全てのことが決まっていったと言います。

起業する勢いを当時の熱い想いのまま語ってくれて、

追体験をしたかのような刺激がありました。


開校して8年。

コツコツ積み上げてきて、学校は拡張し、生徒数も増え、

松山では「イタリアに関することならココ!」と言われるほど、

イタリアと日本を結ぶ拠点になったようです。

それは、彼女が創り上げた学校の名前そのものだったのです。


イタリアと日本の「架け橋」という名の校名。



実は、ここにもう一人辿り着いた人がいます。

フィレンツェ大学で日本語について勉強していた

イタリア人女性です。

私は、友だちの友もだちとして会いました。

彼女も初めて会った日のことを覚えてくれていました。

その後何度かコーヒーを飲みに行き、イタリア語で

分からないことがあれば彼女に聴きいていました。

大学院を卒業し、ここで働き出したことを知り、

最高のコラボが起こっていると思いました。

学生から大人になっていたった彼女の姿を

snsで一人の友としたら見ていたはずが、

立派な講師として日本で働いているのです。

目頭が熱くなります。

同時に、私もまだまだ、頑張らねばと

背中を押された時間でもありました。


旧友を訪ねる松山の旅。

幸せに幕を閉じました。

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