橋の上では一緒に踊れない #金曜トワイライト
Barで「読んでますよ」と言われた。「楽しみにしてます」と花屋で言われた。その度に「エモいのは書けそうにありません」とお詫びのようなコトバを繰り返しています。”神父への懺悔”のように。
等身大のあたし、何気ない日常、そんな”エモい文章”は書けない。これだけ書けないと、腹を括って書くしかないのかなと思う。だから、時代おくれで、眩しすぎるほどの”青い空”と、陽に焼けて”ひび割れた恋”を書こうと思います。僕には僕の等身大があるはずだから。
※80年代シティポップで検索してたら出現した曲。寺尾聡さんは石原プロ時代、名物番頭の小林専務に「お経のような曲、売れるわけないだろ」と言われたらしい。ルビーの指輪は80年代初頭を代表する160万枚の大ヒットとなった。価値感なんて変わるもの。グルッと廻って一周するのかもしれない。The80‘sテイスト、お経みたいなBGMいいね。
僕たちは、ミラノまでの山越えのハイウェイを走っていた。ニースから距離300km。日帰りには遠い。行ってから決めようという話になった。
ジェノバの手前で、お腹が空いて店を探す。テラスから海を見て食べる”ただの”ペペロンチーノが美味しかった。エスプレッソを持ってきたホールスタッフの青年はスラッとしてカッコ良かった。
「ボーイさんはね。カメリエーレって言うの」
「お勘定は。イル・コント・ペルファボーレね」
英語はまったく通じない。そもそも、英語さえ怪しかった27 才の頃。5月を超えると、披露宴のご祝儀で破産するほど続いた。休日出勤の代休が10日以上溜まっていた。英語にイタリア語が話せるのに仏語まで学んで、美術館の学芸員を目指す彼女に会いにきていた。
その頃は、愛してるから結婚したいのか、家族を持ちたいから結婚したいのか、よくわからなかった。温かい家庭には恵まれなかった。包丁やハサミが目の前をびゆっーっと飛んでいく。争いが絶えず家はいつもボスニアの内戦みたいだった。働くようになって、やっと自分の人生が手に入った安堵感は、既に人生に疲れた気分も入り混じって”抱き合う温もり”の方が大事だった。愛も恋も信じていなかったのかもしれない。だから愛に飢えていた。
ミラノ側へ下っていく途中で、ガソリンスタンドに寄った。カードでサインする。カードは、”ガチャ”ってカーボンに写しをとるやつ。あの頃は地方に行くとアナログだった。
「カードで払う時は気をつけろよ。わざと値段を間違えるやついるから」
店員のオジサンは、若い日本人に訛った英語で叱るように一生懸命話してくれた。外に出ると、マセラッティからスカーフを巻いた、妙齢の女性が襟を立てて降りてきた。鮮やかなモスグリーン色のコート。立ち振る舞いが美しい。イタリアに入ったなと身体で感じた。春なのに峠からは雪が舞い落ちてきた。
彼女は美術館の学芸員になると言って仕事をやめると、フランス語を学び始めた。そしてしばらくすると日本を飛び出していった。彼女には、足首に骨を削るほどの大きな傷がある。子供の頃に大手術をしたそうだ。ヒトは若い頃に試練を受けると、オトナになるのかもしれない。年は一緒でも、少しずつ違った。その違いが何だか、あの頃はわからなかった。
カフェで、おでこがくっ付くくらい顔を寄せて地図を見ていた。イタリアのパトカーのサイレンは独特だ。屋根に青いライトが光ったアルファロメオが止まると、大きな花束を抱えた私服の警察官が降りてくる。彼は、僕たちの並びに座る女性の前に辿り着くと、ひざまずいて花束を渡した。カフェは拍手喝采の嵐が、しばらく鳴りやまなかった。
「散歩しない? もう少ししたら鐘が鳴る頃だから」
陽が傾くと肌寒くなってきて、手を繋ぐと温もりが伝わってきた。建物に反射した教会の鐘の音が聞こえてくる。僕たちは小さな広場の真ん中で抱き合ってキスをした。柔らかい唇が溶けてからみあう。1週間なんてあっという間だ。あと少ししたら僕は帰る。少しでも繋がっている事を確かめていたかった。彼女の眼尻にひと筋の光りが流れたように感じた。頬を両手で包むと、鼻先をかじった。彼女は僕の胸に顔をうずめる。いつまでも強く抱きしめていたかった。マジックアワーを見上げたら息が白かった。
帰国して夏が超え、秋がやってきた。つまらない事が重なって別れた。歩幅が合わないとか、そういう事じゃない。あの時別れてよかった。本当は、ミラノからの帰りの山脈を越える時に、終わっていたのかもしれない。
山を越える。先でも後でもいけない。一緒に超えなければ。
別れて何年かした頃、ケータイに電話がかかってきた。発信者番号通知はなかった気がする。どの街からどの国からかかって来たのかわからない。
「ごめんね。ずっと言えなかった」
何年も経って、しかも競合プレゼンに向けてバタバタしている会議の最中にかかってきた電話はドラマチックでもなく、どう返事していいのかわからなかった。会議室に戻ると、大丈夫?顔色が悪いけど。と言われた。僕は仕事の戦場に舞い戻った。どうしても勝たねばならなかった。僕はケータイの電源を切った。2度と出ないために。
あの頃、口説かれていた。と。僕が帰ったあとその男と付き合ったらしい。そんな事を今ごろ知ってどうなんだろう。彼女の懺悔のような言葉を聞いて、苦しかった気持ちは分かち合えなかった。裏切られたとか、そういう気分ではない。無味乾燥な地平線を歩いていた。それだけだった。
山を越える。一緒に超えなければ別の道。それが2人の別れ道。
そういえば、帰国する直前にムール貝を食べていた。旧い橋の近くだった気がする。夕闇に浮かぶ橋の上からアコーディオンが聞こえた。ムール貝を食べすぎるとお腹痛くなるよ。そんなつまらない事で言い争いになったんだと思う。疲れていたのだろうか。それとも既に終わっていたからだろうか。
なぜか記憶に残っている。そんな事もあったな。そう思えるから書けるのかもしれない。胸の奥には、陽に焼けて”ひび割れた写真”がある。
Special Thanks 猫野サラ
眩しすぎるほどの”青い空。フェラ岬から見た海。すべてがキラキラしていた。そのうち気が向いたら書こうと思う。時代おくれの恋だから。
”時代遅れの恋”。。金曜日にも、トワイライトにも関係ない。「エモいのは書けそうにありません」でも気が楽になった。悩む道は苦しい。迷い道はツラい。だけど寄り道は楽しい。今日も明るく陽気に生きてます。僕が楽しくなくて誰が楽しく読めるというのだろう。平日と休日の境い目。金曜日の夕暮れは一瞬で終わります。でもどんな時も朝は来ます。こんな時期だけど、素敵な週末をお過ごしください。
すでに東京オシャレ系イラストレーターです猫野サラさん。脳内に100人くらい美女が居るらしい。脳内美女にインタビューしたい方は多いはず。脳内だから「脳to脳」で会話です。zoomに新しい拡張機能が実装されるはず。あ。インタビューは検査済みの方だけです。脳内インタビュー祭り、妄想が止まらない。誰かとめてくれー!ハッシュタグは #金曜サラトワイライト です。お後がよろしゅうようで。では
★インスタで「毎日トワイライト」#金曜トワイライト miniが見れるよ。
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