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小学校の運動会向けPTA会長挨拶ドラフト「忍者ハットリ君編」

今度の運動会でPTA会長としてのスピーチを依頼されるんじゃないかと、まだ依頼もされてないのソワソワしてきたのでドラフト作成。

「皆さん、こんにちわ。PTA会長です」

「運動会、楽しみですね。でも中には少し不安だなーと思っている子もいるかもしれませんね」

「そんな皆さんに今日は昔の偉い人の言葉を贈りたいと思います。」

「とても有名な忍者なんですが、お父さんお母さんは知ってると思うけど、君たちは知らないかもしれませんね。名前は忍者ハットリ君といいます。」

「ハットリ君は朝から運動会に行きたくないよー、と言っている同居人のケンイチ氏(読み方はケンイチウジ)にこう言いました」

「ケンイチ氏は周りからよく思われたいという気持ちが強すぎるでござるな。それがなければ、楽しいこと以外ないのが運動会というものでござる」

「かけっこで転んだらどうしよう、ビリになったら、踊りを間違えたら、、そんなことはもう本番の今日に考える必要なんてなくて、転ぶのもビリになるのも振付を間違えるのも含めてみんな楽しいのが運動会でござる」

「それでは皆さん、楽しむでござる」

「以上、PTA会長でした」

同じことは人生にも言えて、過剰で不必要で不特定多数に良く思われよう、悪く思われないようにしよう、と人生という本番を思いっきり楽しめないのが大人ってやつで、無職になって思うのは、学校教育の一番の功績であり弊害でもあるのは、他人から評価されるという意識を植え付けたことだなと思う。

周りからどう見られているか、将来の見通しがどうなるかに敏感な人間が結果的にいわゆる「優秀」な人材になり、そういう人材は何も言わなくても真面目に働き続けるわけで。

若いうちは生存と生殖を目的に、仕事という居場所を見つけ、配偶者を得るために優秀であり、ステータスを高めることが人生の目的に直結していたけど、中高年で生存と生殖の目的をあらかた果たして目途が立ってしまうと、ステータスを高めることだけが人生の目的にはならず、その呪縛は人生を楽しむブレーキになったりするわけで。

これは子供向けだけのスピーチではなく、大人の錆びついた心までを溶かすスピーチになるやもしれんな、なんて考えていたら、先ほど今年はPTA会長挨拶の時間はありませんと連絡が来ました。


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