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【過去日記】無力感とたたかう:お仕事してて、しょげたこと

 たまに思い出したようにアップしてる過去日記。このところ「無力感」について考えていて、そういえばこんな日記を書いたなぁと掘り出してみた。

 3年前の6月、私が間に立つことになった人間関係でうまくいかなくて、へこんだときに書いたもの。Aさんと私はうまくいってる、Bさんと私もうまくいってる、なのにAさんとBさんがうまくいかないのはなんでだろう。

 どうやら私には、どんな状況であろうと私が最善を尽くせばどうにかなるはずだと思っている節があって(楽天野郎だから)、しかもそれぞれの方と私は良い関係を築いている(と思ってる)もんだから、なんでなんだーーというもどかしさが。まぁ人間関係なんだから、相性というものがあって、うまくいったりいかなかったりして当然なんですけど。

 そこで、最近考えていた無力感についてです。日々ぶち当たるいろんな問題について、大変なりに因数分解しながら取り組むわけなんですけど、たまーにどうしようもない無力感に襲われたりする。で、たぶん私の中のそのルーツは子ども時代の環境だなぁと思って、もういい加減に手放したいと思ってる訳です。

 自分ではどうにもできない悲しい出来事、緊張の糸が張りつめた安心できない場所、ただ耐えるしかない空虚な時間。私はもう自分では何もできない小さな子どもじゃないし、たとえどうしようもできなくても、そのことに対する向き合い方を十分に学んできたはず。頭では理解してるつもりなのに、体に染み込んだ変なクセが勝手に発動してる気がする。

 このときも結局は起きた事象そのものじゃなくて、自分の手でどうにかしたかったことを、どうにもできなかったことが悲しくて思わず文章にしたのでした。もうお別れできると思うので、お焚き上げってことでここに載せておきます。

DATE: 06/15/2017 23:23:42

1週間ほどがっつり休みをもらって、
フランスにいる友人と、
リヨン→アヌシー→ミラノ→ボローニャ→ヴェネチアを巡る楽しすぎる旅行へ行ってきた。
あまりに楽しすぎたので、これは記録に残さねばと思っているので、
あらためて写真つきで日記にするつもり。

さて、仕事に復帰して2日目。
がっかりなことがあって、しょげて帰宅。
私が悪いわけでもないし、こうなることは仕方ないと思える結果だったのだけど、
帰り道にちょっと泣きそうになる。

どう考えても、そこまで深刻に受け止めることじゃないし、
頭ではちゃんと、そのことを整理して理解できてる。
なのに、こんなに悲しい気持ちになるのはなんでだ。

たぶん、その結果になってしまったことが悲しいというより、
自分の無力さをすごく感じたのだと思う。
もっと何かできたかもしれない、という不納得感。
私にとっては、どんな結果になろうと、
納得のいくまで最善を尽くすのが大事なんだと思う。
そして、たぶん今回の件では、
ほんとはもっと頑張れたんじゃないのって思ってる部分があるのだ。

今の仕事について得たものは、本当にたくさんあるのだけれど、
一番は、いかに自分が物知らずかを痛感させてもらえたこと。
日本史も世界史も勉強し直したいし(特に近現代)、
経済や社会も知らないことだらけ。
古典や文学も、名前だけ知ってる状態じゃ、全然役に立たない。

その、自分の物知らずさが、
どうしても引け目になって、悔しさにつながってる。
もっと私に知識があれば、もっとやれたかもしれないのにって。
そんなこと言って、理想論を言ってるだけで、
時間とお金があってもやらないかもしれないんだけど。
でも、これからの人生で忘れないと思うくらいには、大きなモチベーションをもらった。

この前の旅行中に、友達が
これまでの人生で、知ってインパクトのあった言葉として「無知の知」の話をしてくれた。
言葉の意味としては知っていて、
そうだね、自分が知らないって自覚してることが大事だよねって頷いてた。
だけど今日、ちゃんと奥のほうで受け止めてなかったかもなぁと思った。

たぶん、人は一生「無知」なのだ。
全部を全部、知り尽くすことなんてできない。
私はどこかで、「今は無知だけど、探求を続けていくうちに、
(80歳とか90歳になるかもしれないけど)いつか知に到達するはずだ」って思ってた気がする。

きっと、ちがうんだな。
人間は、一生この無力感とたたかっていかなければならないのだ。
それでも、「知」に向かって、一歩ずつ長い道のりを歩いていくのが人生なのだ。

またまた壮大な結論に達してしまったけど、
自分でもびっくりするくらいに、しょげてしまったのです。

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