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【20200606】今度は自撮りチャレンジ

 凪のようだと5月を振り返っていたのですが、いやいや凪いでる場合じゃないでしょ、動けよ自分ってことで、5月末から自撮り写真をInstagramにアップし始めました。カメラアプリを使って1日1枚上げて、10日くらい過ぎたところでしょうか。今度は何をやってんのって感じなんですけど、自分さらけ出しの一環です(とはいえ、深夜に突然歌うよりはマシかもしれない)。

 1年近くかけて、無意識に自分を不自由にしてきた檻みたいなものを取っ払うべく、ひたすら実験と観察をくりかえす日々を過ごしてるんですが、ここに来てようやく「外見」という課題に立ち向かうことに。

 子どもの頃からアトピーで肌が荒れてて、自分の見た目がコンプレックスだったんです。3,4歳の頃からずっとなので、あまりにアトピーとともに暮らすのが当たり前すぎて、もはや普通の人みたいにきれいな肌になるイメージなんてさらさら持てなかったものだから、どうやって治そう?とかじゃなく、いかに傷つかずにその現実を受け入れるかってことを考えてきたんですね。

 鏡で自分の姿を見てても、自分の肌についてはあんまり直視してこなかった気がします。とくに首まわりの黒ずみが嫌で見たくなかったんですけど、そうすると顔も見ないようにする必要があって、たぶんずっと自分の顔もちゃんと見てなかった。全身アトピーのわりに、奇跡的に顔には湿疹出てなかったのになぁ。

 性格的には人前に出るの抵抗ないくせに、見た目へのコンプレックスが強くて、気持ち悪いって思われたくないから人に見られたくない。目立つ実績は残したいのに、前に出られない。この矛盾が、私がこじらせた原因のひとつでもあったなーと。人との境界線を異常に気にする思春期を過ごした気がします。

 だから、容姿に関しては最初からあきらめていて、「かわいくなりたい」ってちゃんと努力したことがない。「かわいい」とか「かわいくない」っていう基準は、自分には当てはまらないものだと思ってた。メイクもおしゃれも頑張っても仕方ない、私はまわりの女の子と同じ土俵には立てない。とりあえず中身で勝負するしかないって思ってました。女子は封印して、人間としてやってくならできるかなって。いやー、まじでこじらせてんな。

 で、こじらせ人間のめんどくさい所なんですけど、つまりはいじけまくってる訳ですよ。ほんとは「かわいい女子」「きれいな肌」にめちゃくちゃ憧れてるのに、もはやそれを認められないっていうか、ぐるぐる巻きにし過ぎて、年月を経て何が論点だったかすらわかんなくなってるんです。ただ無意識に避けまくってる。だから、美肌機能がついたアプリが流行っても、私は全然使えませんでした。「あ、私そういうの苦手なんで。もとが悪いんで使ったところで大して変わんないですし」みたいなスタンスで。ただのめんどくさがりの性格もあるけど。

 とにかく、そういう自分のこじらせ現状について、おかげさまで、ようやく冷静に見られるようになりまして、「気づいたのなら解消してやろうじゃないの!」ということで、とりあえず「慣れるまでとことん戦法」でひたすら自撮り顔写真を毎日アップしまくってるということなのです。

 10日やってみて少しずつ慣れてきたんですが、一つ大きく気づいたのは、自分のことちゃんと好きになりたかったんだなーということ。

 基本的にはそれなりに自己愛のある人間だと思うんですが、そこにはいつも「※外見を除く」って注釈が入ってた気がする。いいじゃんね、アトピーの自分の見た目も好きになってあげたって。私が愛でてあげなきゃ、世界中で他に誰が愛してくれるっていうのだ。かわいくなりたいなら、かわいく見られるための努力をするのは恥ずかしいことじゃないし、きれいな肌に見られたいなら、せめてアプリ使って写真の中だけでも夢を叶えてあげればいいじゃないのさ。

 期間を決めずに始めてしまったので、引っ込みがつかなくなってる部分もあるのですが、もうしばらく頑張ってみようと思ってます。鏡で自分の顔見て「いやー今日もかわいいなーーー」って言えるようになれたらいいなと。窮屈そうにこじらせてる人より、幸せに自惚れてる人のほうが世界平和に貢献すると思う。

 こういうことをしてる原動力は、ただひたすらに「もっと楽に生きれるようになりたい」という欲望に尽きるのですが、変にしがみついてる無駄なこだわりをいかに手放すか、自分の心を観察しまくる日々です。だいぶ楽になったけど、まだありそうだなー。もっと楽になりたいなー。

↑モノクロの自撮りなんて、今までの私じゃ絶対むりでした。大人になるってすごーい。オードリー・ヘップバーンみたく可憐で大人な女性に憧れてます。

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