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【20200321】春、ぼちぼちと新生活

 3月に入って平日フルタイムでの派遣仕事を始めまして、どうなることやらと思っていたけれど、ようやく社会復帰できそうでほっとしています。とはいえ体力的に余裕はなくて、毎日帰ったらばたんきゅー。起きて、通勤して、働いて、帰って、ご飯食べて、お風呂に入ってまた寝る。そのほか空いた時間で、占いしたり文章書いたり、余計なことを考える暇もなくて、気がつけば半月以上が経過してました。そうよね、これが社会人の生活よね。

 半年間、ぼーっと過ごしながら「いいかげん働けよ―」と自分をつついたこと数知れず。「自分と向き合う」って、普通に働きながらでもやれたんじゃないの?って後悔しそうになったり、そのたびに「いやいや、徹底的にやりたいんでしょ」って無理やり鼓舞したり。だけど今、一般的な社会生活に戻ってみて、あらためて自分で選択した半年間への肯定感がむくむくとわいてきました。

 無理だわ。働きながら、考えるための余白を作るのは無理。いっぱい寝て、ぼーっとしまくって、「こんな無駄なことして何になるの?」っていう真っ白な空間の中にいたからこそ、ようやく私は自分の思考と向き合えた。社会的には、生産的なことまったくできなかったんですけど、どの一日も私にとっては必死に取り組んだ24時間でした。特に私にとっての課題が、世間とか他人の目を気にせずに、自分のものさしを使えるようになるにはどうすればいいか?ということだったので、いったん外部情報を遮断することが必要だったんだろうと思うのですが。

 まだまだ立て直し始めたばかりなんですけど、もうきっと大丈夫だと思えるようになったので、連絡できてない方々へのご挨拶など、そろそろちゃんとせねばと思っています。

 派遣のお仕事はコールセンターなんですけど、生活のためと割り切って働くことは思っていたよりも気が楽なことでした。今までの私は、お仕事に「自己実現」を求めていたことを実感。やりがいとか、達成感とか。人生で何かを成し遂げたくて、何かやりたいことを見つけたくて、それを仕事に求めてたんだなって。そして実力以上にならねばと背伸びをし続けていて、無意識に自分の首をしめていた。自分以外の「何者か」になろうとするって苦しいことだと、あらためて気づきました。おかげさまで、マニュアルのある場所でほどほどに平均点とることには自信があって、平均点人生を歩んできたことも無駄じゃなかったと思えます(10年前の私だったら、もっと実力を発揮できる仕事したい!みたいに息巻いていたわけですが)。

 で、その「人生におけるやりがい」部分を、いったん「文章を書く」に設定してみたわけなんですが、1月終わりに応募してみたエッセイ企画から採用の連絡をいただきました。

 オタフクソースが募集してるラジオ朗読企画で、小説家の津原泰水さんがTwitterで紹介されてるのを見て、ダメもとで応募。アナウンサーの方に朗読してもらって、副賞としてお好み焼きセットがいただけるらしいです。頑張ろうと思った矢先に嬉しいご連絡がきてほくほく。今はとにかく数をやるしかないと思ってるので、書きまくって、いろんなところに応募しまくるつもりです。

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