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【過去日記】no day but today

 調べたいことがあって、自分の過去のブログ文章を検索していたら、ミュージカルRENTの「Seasons of Love」について触れていたので、YouTubeで久しぶりに動画を見た。映画自体はもう15年前の作品で、動画がアップされたのも10年前。だけど2週間前にコメントが書き込まれてた「このロックダウンの中、見てる人いる?」たしかに今こそ聴くべき歌かも。

 で、せっかく掘り出したので過去日記も貼り付けてみる。7年前の私はやっぱり今と同じようなことずっと考えてて、ほんとにこいつは飽きないなーと呆れかえる。だけど、26歳の私が感じてた恐怖、今はそれほど大きくないかもしれない。らせん階段をぐるぐる回り続けるみたいな年月だけど、少しずつでも変化を感じられたなら、それは幸せなことかもしれない。くるくるおもちゃを回し続けてるハムスター、実はそんなに不幸じゃないんじゃないのって、最近の私には意識の転換が起きはじめてます。


DATE: 11/19/2013 00:22:46

日曜日の夜はなんだか胸がざわつくことが多い。
昨日は満月だったから余計に、かも。
たぶん、その要素としては
「不安」成分が大きく占めていて、
今朝は出勤する電車に揺られながら
そのことを見つめ続けた。
ここ一週間ほど考えていたテーマが
「わたしは人から怒られるのが怖い」だったのだけれど、
なんかそれとリンクしているのだな、
というところまで煮詰められた気がする。

小さいときからずっと、怒られるのが怖かった。
だから、怒られないようにビクビクしながら過ごしていたら、
空気読むスキルがずいぶん身についた。
あ、もしかしたら逆なのかも?
空気読むスキルを磨きすぎて、
人と対立することを極度に恐れていたのかな。
とにかく、今でもそういう気持ちがあって
場面によっては、いまだに
とってもとってもビクビクしている。

それで、何がそんなに怖いんだろうって考えた。
じぶんを否定されること?
居場所がなくなってしまうと感じること?
そんなことが思い浮かんで、
そうか、じぶんの存在に自信を持てないことが
ここでも関係しているのかも、と思った。
究極のところ、生きる意味なんてなくて
わたしが仕事に行こうが行くまいが
宇宙には関係なくて、
それでも地球は回ってて、
お日様は照って、月も星も輝くのだ。
そして、そんなことは頭ではわかっても
やっぱり心は不安に思うのだ。
だって日々は続いていくから。
一寸先は闇、明日何が起こるかわからない。
それでも生きてかなきゃいけないから。

だから
人は誰かに必要とされたいし、
じぶん以外の誰かから感謝されたら
涙が出るほど嬉しいし、
心許せる人を求めるし、
じぶんを認めてくれる居場所を求めるのだ。

日曜日の夜の不安は、たぶんそういうことだ。
ひとり家でのんびり過ごせる幸せは、
同時に、社会から切り離される感覚を味わうことを
意味しているのかもしれない。

こういう思考の迷路をさまようとき、
いつも最後には
「だから、今を一生懸命過ごすしかないよね」に
行き着くのだけれど、
…なんだか、それも安直だなぁと思いつつ。
何回行き着いた結論なのかわからないほどだけど、
それだけ身に染みているのにもかかわらず、
やっぱり不安に心揺れる夜はやってくる。

だから
たぶん人生ってそういうことなのかなと思っている。
たとえ、
どんなにすばらしい家族に恵まれても、
どんなに天職と思える仕事についても、
どんなにお金があって物に不自由しなくても、
きっと、こんなふうに不安に震える夜はやってくるのだ。
年をとって、何かできるようになるから
そういう不安を感じなくなるのじゃなくて、
それを、うまくじぶんでやり過ごせる方法を見つけて
なんとか工夫していくものなのだ。
そんなふうに思った。

Facebookでお友達がリンク貼ってくれていて、
久しぶりにRENTの曲を聞いた。
しばらく脳内を流れそうだ。

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