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【20200121】弱っちい自分に敬意をはらうのだ

 「ひきこもり」と言っていいくらいに人とあまり会わない生活を続けていると(当社比)、時折、想定していたよりも自分が弱くて繊細な人間だったんだなーと思うタイミングが。満員電車に乗るとか、カフェでスーツ姿の人たちの大きい声が聞こえてきたりとか、以前は当たり前だと思って受け入れていたシチュエーションで、胸がきゅーってしてしまう。

 社会に出てやっていくために人に合わせていた部分、強くないと生きてけないと思って虚勢を張っていた部分、そういうものを剥がしてみたら、小さくて弱っちい自分の姿が見えてきた。

 情けないなぁってがっかりしたけど、その弱い自分を直視できたから「文章書きたい」とか「表現したい」とかいう気持ちを認められるようになったのだと思う。「こういう社会人」っていうフォーマットにはめ込んだままの自分では、書けなかった。

 年が明けて、そろそろ元の生活に戻らねばと思って準備をし始めていて、でも、今までのようなやり方は変えたくて、無理しないで弱っちいままの自分でやっていく方法を考えている。

 うまくやれるかわかんないけど、弱いままでもやっていく方法はあるはずなのだ。無理な背伸びをしないで、できることを増やすんじゃなく今の自分にできることで、社会とつながりを持って、貢献する。強くなきゃとか思ってること自体が、きっと私の思い込みで(強いってなに?とか言い始めたらキリがないから、ここではスルー)。

 なんだろうなーーー、自分の脳内で物事を余計にややこしくしてる実感もあるし。ごにょごにょ言う前にやってみろよ!って気もするし、ていうかそうなんですよね。やってみたらきっとどうにか進み始めるのだろうし。

 まとめるとしたら、「弱っちい自分を認めて、そういう自分に敬意をはらう。そういう自分を一番に大事にする」かなぁ。すぐ心が折れそうになるから、何回でも自分に言い聞かせたい。

 たとえばこんな日記だって、ポエムだって、人と比較した瞬間に存在意義をなくしてしまう。もっと読みごたえがあって素敵な作品は世の中にあふれてる。そんなことはもう十分わかっていて、それでも私が書きたいから書く、出す。それは、私が私の書くものを大事にしたいから。他の誰でもない、私自身にとって価値があることだから、やる。たぶん、今までの私は「自分なんて」って思ってたから、書けなくて、出せなかった。

 虚勢を張って繕った自分でやってくのは、もう嫌だって思っちゃったんだから、弱っちい私が生きてく道を見つけるしかない。そして、それは私が思ってるよりも難しくないはずって信じているのです。

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