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【20200726】血はあらそえない

 最近は、毎朝の占いツイートとともに、Instagramのほうで「ごきげんおみくじ」という名の一言ポエム投稿をしていて、すっかりnoteの日記がご無沙汰になってしまいました。

「便りがないのは良い便り」とはよく言ったもので、大きく報告することもなく過ごせているのはきっと良いことなんでしょう。

 さて、去年の冬からこの春にかけて、自分史上最大級にスリリングな体験をしたと思っている私なのですが、このあいだ母と電話していたら、このタイミングで母もなかなかの挑戦をしたことを知りました。70歳間近になってその決断ができるのはすごいなぁと素直に感心しつつ、「DNA恐るべし……」という感じ。私のバンジージャンプな性格、完全に親譲りでした。まいりました。

 私が小学生の頃から、母はずっと引きこもりというか、ほとんど家から出ない生活をしていて、子ども時代の私はそれが嫌で仕方ありませんでした。どうして普通のお母さんみたいじゃないんだろうって思ってました。だけど、私も今回引きこもったんです。あんなに「専業主婦とか絶対無理! 家にずっといるなんて耐えられない!」とか言ってたはずなのに、全然平気。

 専業主婦で収入源を持たない母が父と半狂乱でケンカするたびに、「離婚するから!」って言えない女性の立場の弱さを目の当たりにし続けました。結婚しようが、どんな状況になろうが、自分で稼ぐ大人でい続けなければ、自分の自由は確保されないんだって思ってました。早く親から自立して、自分で生活できる人になれば自由になれるって思ってました。なのに、私は30歳をこえて、親に支援をしてもらったんです。もう、全然自立してへんやん。

 あんなに嫌だ嫌だと思っていた母親と同じ道をたどっている自分。こわい。正直めっちゃこわい。嫌だというより、こわい。DNAこわい。

 今からのことを考えたとき、結婚とか出産とか、やっぱり理想のプランの中に入ってくるんです(人よりずいぶんとゆっくりペースなのは自覚してる)。そして、私は子どもを産むこと、自分の家庭をもつことに、たぶんすごく憧れてるんです。そこにはもちろん、子ども時代の嫌な思い出を払拭したいというエゴまみれの感情があって。

 今になってようやく受け入れられるようになった、両親が私に与えてくれた愛の形は、子ども時代の私にとってはとうてい受け入れられるものではありませんでした。一歩間違えれば毒親とも言える。その毒親に、自分自身がなってしまうかもしれないという恐れは、10代の頃から今もずっと抱えています。

 それでもやっぱり自分の家庭を持つことはすばらしいことなんじゃないかという夢を抱えていて、できる限りの努力をしてきたつもりなんだけど、どうなんだろうなぁ。もう、だいぶ解消できたのかなぁ。

 20代のどこかのタイミングで、私が「子どもを産みたい」と思うのは、完全に自分の子ども時代に体験したかったことを、自分の子どもにやらせたいっていう感情からなんだと気づいてから、「いかんいかん、他人に夢を託すのは不毛だ!by二美ちゃん『天然素材でいこう』」と言い聞かせては、小さなことから少しずつ、やりたかったことに挑戦してきました。

 特にこの1年をかけて私がやってきたことは、子ども時代の自分を救うための自分なりのセラピーだったはずなんですけど、こうやってまた母と同じ道を行っている自分のことを認識すると、ちょっと躊躇してしまう。自分で気づいてないだけで、似ている部分、きっとたくさんあるんだろうな。それも昔ほど嫌じゃなくなったんだけど、やっぱりこわい。

 まーーそんなこと、結婚相手を見つけてから悩みなさいよ!って感じなんですけど。この年になってしまって、妊娠だってできない確率も高いわけで。でも、深夜の日記だからね。2020年7月の記録として残しておきましょう。

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