【20200425】純度100%の私でいたい
このところ、「鮮度」の大事さについて、見聞きしたり、考えたりしています。たいていの場合、お刺身は新鮮であればあるほどおいしい。情報も、必要なタイミングに受け取れないと意味を成さなかったりする。
それで、感情やお金もそうなのかなって考えています。感じるべき、使うべき、表現すべき最適のタイミングがある。ちょっと不恰好でも、形やクオリティよりも、鮮度のほうを優先したほうがよいこともあるんだろうなって。
モヤッとしたとき、キュンとしたとき、それがその気持ちを味わうタイミング。あれが欲しいと思ったとき、必要だと感じたとき、それが支払うタイミング。その鮮度を逃すと、喜びも悲しみも半減する。
Twitterやらnoteやらに書きかけの下書きが溜まってる現状を見ながら特に思うのですが、ピッとひらめいた思考のカケラを走り書きして、じっくり形を整えてからアップしよう、なんて思ってたら倉庫に積んでいくばかりなんですよね。「あとでやろう」の「あと」になったら、それはもう最適なタイミングを逃してる。「今」思ったなら、それが一番フレッシュなタイミング。あとから読み返して、悪くないじゃんって思っても、わざわざ整えてまで出すタイミングじゃないなって。
たまに見かける、子どもの頃のお年玉の話に近いものがあるかもしれない。その当時の感覚と、大人になってからの金銭感覚じゃ、買えるものの喜びも失敗の経験値も全然変わっちゃうから、溜め込むよりもそのタイミングで使ったほうが良いんじゃないのっていう。
それで、自分のための自分基準を取り戻そうと思って、できるだけ内にこもってる日々なんですけど、つまり「自分らしさ100%」でいたいってことだと思ったんです。誰かに左右されたり、誰かのせいにしたりしないで、あらゆる選択を「私はどうしたいか?」で決める。もちろん、いろんな刺激や影響は受けたいんですけど、何かを決めたり選びとる基準として。
で、「純度100%」の自分かぁ……って思ってたら、鮮度の話になったんですよね。人との比較を突き詰めていったら、今度は自分の中の話になってきたというか。
今感じた「嬉しい」という感情は、最適な鮮度でちゃんと味わえば純度高いのに、てきとーに流してあとから振り返ったとしても、それって絶対純度落ちてますよね。純度100%の自分から遠のいてる。
……いつものことだけど、まとまらない。なんだろう、えーとつまり、自分のフレッシュな気持ちに敏感でいようと思ったってことです。嬉しいも悲しいも、喜びも怒りも、感じた今が鮮度100%で、味わうタイミングなんです。なんかそう思ったら、つらかったりやるせなかったりしても、「今味わうのが最適なんだなー」って思えて、冷静になれたりするかもしれません。
そんな私の目下の考え事は、今日ポストに届いた2枚のマスクをどうすれば良いのかということです。あれだけ不良品みたいなニュースを見てしまうと、どこかに寄付するのも違う気がしてきちゃったよ……。
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