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心象風景

私は東京を拠点に版画や絵画を制作し、年に数回展覧会を開催させて頂いている。
18まで過ごした故郷の景色は、当然ながら私の表現に大きく影響していると思う。随分遠い昔になったが、目を閉じて蘇る記憶を探り、断片を集めて言葉でスケッチしてみたい。


幼少の頃、米穀店を営む実家の繁忙期には、農業を営む母の実家に預けられ多くの時間を過ごした。当時の活気溢れる町の喧騒から離れ、時間の流れが緩やかになるのが不思議で面白かった。底抜けに明るい祖母のくしゃくしゃの笑顔が迎えてくれた。

昼間でも仄暗い台所に裏山からの澄んだ山水が絶えず届き、水場に落ちてちょろちょろと音を立てていた。裏の池には町の夜市で私たち姉弟の掬った金魚が大きな鯉に成長し、おっとりと静かに泳いでいた。畑の隅にはコケコケと落ち着きのない気配が漂う鶏小屋があった。春の土手にはシロツメクサ、山道の野苺や石垣に残る蛇の皮を集めて歩いた。初夏には夕方になると、蛙の合唱に包まれて、ホタルが曲線を描きながら庭先に飛んでくる。秋、大きな木によじ登って取った柿の渋かったこと。冬には祖父が焼いた炭が、堀炬燵や茶室で赤々と燃えていた。炭焼き小屋から漂う煙は、この世のものとは思えないほど甘く香しかった。どの季節だったか、牛の誕生に出会った時の衝撃と感動は忘れられない。

故郷の町の風景といえば、秋に開催される写生大会が、それを味わう絶好の機会だった。子供にとっては大きな画板を持って、写生スポットを探し町中を歩き回るのは一苦労でもあったが、とても楽しい時間だった。両手の親指と人差し指で窓を作って景色を切り取っては、構図を吟味した。

柳と橋、岩を白く滑る川の流れ。階段を駆け上がり見上げたお寺の鐘。紅葉する樹々、黄色味がかった山の淵から目線を上げると次第に青くなる空。日が暮れるまで夢中で描いた。

季節を通して体験する空気の色の変化や間近で見る生き物のドラマは、教科書では学ぶ事のできない尊い体験だった。

とうの昔に祖父母は他界し風景は変わった。あの香りを嗅ぐことももうないのかもしれない。
でも憶えている。かけがえのない心象風景を持てた奇跡に心から感謝したい。

私はここから始まった。

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