ごっこ遊び

『ごっこ遊び』 原案 未路不根子

 兄に話している。
上手く言えないんだけれど、夫婦だからって、譲れないものってあると思うんだよね。
兄ちゃんも、奥さんと喧嘩したりするでしょ。夜遅くまで飲んでて連絡しなかったとか、靴下脱ぎっぱなしだったとか、トイレの電気消してなかったとか、そういうのってまだ譲れる喧嘩だと思うんだよ。私と旦那は譲れないものでぶつかっちゃったんだよね。というわけで私は実家に帰ってきてるの。

‥‥‥兄ちゃんには正直に話すね。父さんと母さんには言わないでね。二人とも古い人間だからどうせ反対されると思うし。私もなんて言っていいかわからないし。
実は私さ、女優になろうと思ってるんだ、本気で。この夢は譲れないの。それを旦那に思いっきり反対されてさ、なりたいからなれるような仕事じゃないって、すごい言われてさ、正論かもしれないけれどさ、正論だけで世界が回ってるわけじゃないじゃない。
口下手の私を正論で叩くのってもうハラスメントだよね。
それに、妻が本気で夢を見つけたんだったら応援するのが夫婦の在り方だと思わない?

兄ちゃんは応援してくれるよね。兄ちゃんは私の味方だもんね。
やっと自分の本当にやりたかったことに向き合える気がしてるんだ。
だから本気で女優になることにしたの。

ねぇ、兄ちゃん、子供の頃のこと覚えてる?
私が泣きながらリビングに入っていったことあったよね。覚えてる?
私、身体弱かったし結構寝てること多くてさ、リビングの隣の部屋で一人で寝かされてたじゃない。そしたらリビングで父さんと母さんと兄ちゃんが、笑ってる声だけ聞こえてきたんだよね。なんかさ自分が一人ぼっちで、のけものにされている気がしたんだよ。でもなんて言えばいいかわからないからさ、泣いて出ていくことしかできなかったんだ。

そんな口ベタな私はさ、友達もほとんどいなかったんだよ。知ってた?
だって人と何をどう話していいかなんてわからないじゃない。人との接し方なんて学校で教えてくれなかったでしょう。
だから私、子供の時の遊んだ思い出って兄ちゃんとの思い出ばっかりなんだよ。
でたらめな歌大声で歌って笑いあったりさ、ほら、みかんを一番ワイルドに食べる競争とかも面白かったな。汁が飛び散るのをどれだけ気にせずにどっちがワイルドに食べられるかってやったじゃん。覚えてる?

でもね、私が一番好きだったのはね、ごっこ遊びだったんだ。
兄ちゃんがヒーローで私が悪の怪人とかさ、兄ちゃんが王子様で私が囚われのお姫様とかさ、ままごととかもすごく好きだったなぁ。兄ちゃんがパパ役で私がママ役。楽しかったなぁ。私ね、ごっこで遊んでる時はいくらでも話せたんだよ。口ベタな私をね、役が守ってくれてるんだ。ごっこの世界でどれだけ傷ついても私は傷つかないんだ。
私はね、役に入っている時が一番自由だし、一番幸せなんだよ。

実は私はさ、今でも役がないと話せないんだよ。
妻という役、母という役があるから、私は話せる。
私は私になった時に何を話していいかわからなくなっちゃうんだよ。
兄ちゃんくらいだよ。私のままで話せるの。兄ちゃんはさ、私が何を言っても笑ってくれるし、黙っていても私の話を待ってくれるからさ、こんなに話せるの兄ちゃんくらいなんだよ。

兄ちゃん、応援してくれるよね。黙ってないでなんか言ってよ。
これで兄ちゃんが反対するならさ、私は悲劇のヒロインの役を演じるしかないからさ、私が私のまま話せる人いなくなっちゃうんだよ。
ねぇ、兄ちゃん。兄ちゃんってば。兄ちゃんとごっこ遊びをしていた相手がさ、プロを目指そうとしてるんだよ。応援してくれるよね。ねぇ、兄ちゃん。

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