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観点と知識

見学と言う言葉を知ったのは、小学生の頃剣道を習いに行っていた頃のことだ。

体調が悪い時など、正座をして練習している様子を見ていた。それを見学と言う言葉で表すのだということを、小学校の低学年の時に知った。

「見学してなさい」
と指導していた先生に言われるのだが、低学年の私は練習しているところを見れば見学なのかと思って見ていた。

しかし、見ていても、何が何だかよくわからない。だからそのうち飽きてくる。そして話をしだす。そして怒られる。
「ちゃんと見学をしていなさい」
と言われるのだが、やっぱりどこを見ていいかわからない。

見学を有効にするためには、どこを見るのか、どのように見るのかと言う観点の教えなければならない。この観点がわかっていればそこを意識的に見るようになる。

さすがに小学校低学年の時の私には、その観点を自分で発見することが難しかった。例えば「小手の打ち方を他の人と比べてごらんなさい」のように言ってくれれば、自分の小手の打ち方とどう違うのかを比較しながら見たであろう。

そうやって観点を持っているんだということが理解できれば、そのうち自分でその観点を発見してみることができるようになるであろう。だからまずは最初に観点を示してあげることが大事なのだ。

学級担任論ではその話をした。
例年学生たちはボランティアで、小学校にいかせてもらっている。ボランティアをしながら学校の様子を見ている。

しかし観点を決めてみなければ、何も見ることはできない。その観点を自分で決めて、現場を見続けることが大事だ。

どんな観点が考えられるかを示した後、考えさせた後、
『来週の授業までにボランティアに行ったら見てくる場所はここだ』
と言う私の観点を示した。
それは、教室の黒板の上に何があるか、左側に何があるか、右側に何があるかを見てくると言うものである。

黒板の上に何があるかなんて、意識を持たなかったら通常は見ないだろう。見えているのに見えていないのだ。だから観点を与える。そしてそれが見えるようになると、他のものも見えるようになっていくと思われる。

有田和正先生の「知識はものを見るためのメガネである」と言う言葉も紹介しながら、観点と知識の大切さを講じた。

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