見出し画像

オンライン授業の弱点

Q 誰かに「あなたはなぜそれを学ぶのですか」と問われたらなんと答えるか?

という問いについて、先週に引き続いて議論が行われた。
私は時々ファシリテートし、「ガニエの9教授事象」や「良構造問題、不良構造問題」などの解説を入れて彼らの議論を見守る。

勉強と学びを英語で言い換えるとどうなる?
勉強と学びは、自動詞? 他動詞?
学んだらすっきりするの?
答えは一つなの?

90分のゼミでは終わらない。
でも、なんとか無理矢理収束しようとする彼ら。

『終らなくていいんだよ』
「え、いいんですか?」
『ここからがスタートじゃないの?』
「え?」
『このあと、生協のカフェに行って、あーでもない、こーでもないって考えるのがゼミの本質じゃないかなあ(^^)』

私の時はその後、渋谷の天狗に繰り出し、延々と反省会をしていた。
そんなことも話した。

『教室の90分の議論で終わるような問題を大学では扱っていない。ただ、一つ納得するのではないかと思うけど、一人で考えていたら今日の取りあえずのゴールには辿り着かなかっただろ?』
「うんうん」
『みんなで考える。それがゼミの醍醐味。ゼミの意味。今日のゼミも面白かったね』
「はい」
『発表者に拍手をどうぞ』
「パチパチパチ」

みんなで考えるってのは、楽しいなあ。

数年前の二回生ゼミの記録である。これを読み直していて理解した。オンライン授業の弱点を。

2020年度前期、本学はオンラインの授業が急遽採用された。日本中の大学がそうであるように、採用された。初めは、大丈夫なのかという思いが9割。しかし、やらざるを得ないとなれば、それを前提として授業を作り直すということを突貫工事でして行った。

ところが、終わってみれば

(あれ、オンラインでも結構授業できたよね?)

という思いを、教員も学生も抱いた。これにはびっくりしたが、抱いた。

ではあるが、

(授業はできたかもしれないけれども、教育はできているのかなあ)

という問いは残っていた。

振り返ってみると、オンラインの授業は、通常の対面の授業に比べて「閉じている」部分が多いように思える。zoomを使ってブレイクアウトルームを作ったり、学生の最後の一人がzoom画面から消えるまで見守ったりとはしていたのだが、どうも違う感じがしていた。それは、授業が閉じていたから、授業がそこで完結を目指す作りならざるを得なかったからではないかと思ったのだ。

授業の後に、先生が持参した参考資料を見せてもらったり、その授業をした先生への文句を言い合ったり、解決できなかった問いをさらに議論したり、次回の授業でどうそのあとの展開をしていこうと考えたり、図書館に行って調べ物をしたり、また、全くそんなことを気にせずにスマホのゲームをしあったり、授業中に見た好きな人のことを思ったりというのが、そこまで含めて授業であって、そんなことまでも含むのが教育、または、後期青年教育じゃないかと思うのだ。

これがオンライン授業では難しい。

オンライン授業では、上記のような授業と関係のないものが含まれない。勿論、それだけで授業はいいという立場もあるだろうが、私はそれには与しない。授業の前後のたっぷりとした時間もあって、授業なのだと、当たり前のことに気が付いた。

さて、このオンライン授業の弱点は、どのように解決していくのがいいのかなあ。

また、しばらく考えよう。


よかったらサポートをお願いします。いただいたサポートは、アーティストとしての池田修の活動費に使わせていただこうと思います。