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2024.7.19 自己紹介②

自己紹介の続きをしていきます。

工務店に入社するまで

前回の自己紹介で工務店に入社する前はゼネコンで仕事をしていたとありしたが、もう少しさかのぼってみようと思います。

幼少期~学生時代

新潟県柏崎市の谷根という場所で生活をしていたのですが谷根という地域はいわゆる山間地のド田舎というイメージです。(歴史があり綺麗ですごく良いところなので谷根という地域についてもいずれ紹介したいと思います!)

田舎の原風景というような環境で野生児のように元気いっぱい育ち、やんちゃでした。姉が2人の末っ子長男として男勝りな姉たちに厳しくたたき上げられました笑
父が祖父の代から続く工務店を営んでいたので、幼少期から仕事をみたり職人さん達にかまってもらっていました。
小学校はひと学年3~5人くらいの少人数だったのもありなんでもやらされてきたので勉強、スポーツ、音楽、スピーチ、その他課外学習など一通りできる人間になったと思います。

中学は近隣5校からなる学校でしたのでそれなりに人数も多く、たくさんの友人に恵まれながらサッカーに打ち込みました。
田舎学校あるあるで不良がモテる時代だったので徐々に悪ぶった方向にいってチャラチャラし始めたの時期でもあります(今となれば恥ずかしい)

根は真面目だったので学力が落ちてきながらも高校はなんとか市内の進学校に進学ができ、そこでもサッカーを中心に充実した高校生活を送りました。
高校時代からあまり勉強をまじめにしなくなったので学力は下がり赤点もチラホラ取って顧問の先生に怒られていました。
進路を決める際は親の仕事の影響もあり自然と建築の方向へ。
当時は設計職に憧れていて建築系の大学に進学させてもらいました。

大学は石川県の金沢市にありました。
大学時代には建築科らしく大量の課題に終われながらも初めての一人暮らしを満喫し、お酒も覚えてそれなりに遊んだりバイトをしながら生活していました。
それでもきちんと勉学に重点を置いていました。(根は真面目なので)
設計の道に進みたかった私は意匠設計のゼミを専攻していましたが、賞など学内ですら1つも取れず途中から向いていないと気が付きました(完全な努力不足です)
就職を考え始めてからは自己分析をして、施工管理が向いているのではと感じゼネコンへの就職を決めました。

就職氷河期でもあり、前年度と比べて半分以下になっている募集人数に頭を抱えながら就職活動をし、最初は関東、関西を中心に大手~中堅ゼネコンを目指し就活をしていました。
大きな会社は選考も厳しく1次の学科選考からはじまり5次、6次選考までありました。
結局だいたい4次面接あたりで落選が続き、内定が決まった仲間たちに内心焦りつつも地元企業へと視野を広げました。

最終的には新潟県内の地方ゼネコンに就職が決まりいよいよ厳しい厳しいゼネコン時代の始まりです。




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