1枚のピザから学んだこと
何の予定もないある日曜日、昼ご飯を作るのがめんどくさくなった私は近所のパン屋にパンを買いに行くことにした。
自転車で5分もかからない距離にあるパン屋で、子どもの好きそうな(そして多分著作権的にアウトな)キャラクターのパンも多く、ご飯に困った時の救世主的なお店である。
息子も「ウインナーのパン買う」と張り切って家を出たのだが、出たところでタイミング悪く雨が降ってきた。
自転車のチャイルドシートにはレインカバーが付いているし、私もレインコートを着れば自転車でも行けるのだが、パン屋の駐輪場は屋根がないので降りる時にもたつきそうだ。
どうしよう。行くのやめようかな。めんどくさいけど家で何か適当に作るか…
「いーちゃん、雨降ってるよ。パン屋さん行けないねぇ」
「いやだウインナーのパン買う」
「うーん、でもほら雨降ってるし…そうだ、おうちでサンドイッチでも作ろうか(何か具あったっけ…)」
「いやだウインナーのパン買う」
「えーでも、雨がさ〜濡れちゃうからさ〜…」
「いやだあぁぁぁぁウインナーのパンンン買ううぅぅぅ!!!」
おお…これはめんどくさいことになったぞ…
腹の底からシャウトする3歳児を眺めながら私は考えた。
傘さして歩いて行くか…?
ちょうど先日子ども用の傘を買ったところで、家〜駐輪場のごく短時間なら使ったことがある。パン屋まで遠くはないし、雨もそんなに酷くないし、傘でお出掛けデビューにはちょうどいいかもしれない。
私は荒ぶる3歳児に慎重に話しかけた。
「いーちゃん、お母さんいいこと思い付いちゃったんだけど…傘さしてパン屋さん行かない?この前買ったかっこい〜い傘あったやん?あれさしてパン屋さんまで歩ける?」
「……歩ける」
よしよしいいぞ、乗り気になってるぞ…
「傘あるし、パンも持つし、途中で抱っこはできないよ。最後まで自分で歩くんだよ。できる?」
「できる。いーちゃんがパン持つ」
よーしよしよし、大切なポイント(抱っこできない)も念押ししたぞ…これはいけそうだ…
かぶっていた自転車用のヘルメットを玄関に置いて、代わりに傘を持つと、2人で改めて外に出た。いーすけが傘を開く。
「わぁ上手〜!!」と褒め称えた次の瞬間…
ビュウッと風が吹いて、いーすけの持っていた傘が吹っ飛んだ。
ガッ…ガッ…と地面に激突しながら5mぐらい飛んでいく傘。
慌てて拾いどこも折れていないことを確認した。
アパートの敷地内だったからよかったけど、道路では気をつけないと…と思いながらいーすけにもう一度傘を持たせる。
「しっかり持ってね。真っ直ぐ…」
ビュウッ
ガガッ ガッ ガッ
あっ……ダメだこれ。
到底無事にパン屋に辿り着ける気がしない。
大人にとってはちょっと吹いてるな程度の風も、3歳児には傘が吹っ飛ぶ強風になるようだった。残念ながら傘でお出掛けデビューは中止である。
「わぁ…傘飛んじゃったね…ちょっと…お母さん1回おうちに戻ろうかな〜…」と呟きながら、さりげなさを装って息子の手を引き家に戻った。
傘が飛んだことで外は無理と納得したのか、案外あっさりついてきた。これならパン屋もあきらめてくれるかもしれない。
「傘も飛んじゃったし、今日はパン屋さん行けな…」
「いやだあぁぁぁぁウインナーのパンンン買ううぅぅぅ!!!」
アカン、全然納得してなかった。
魂のシャウトを披露する3歳児を前に私は必死で考えた。
家で食べられてパンの代わりになって3歳児が食い付く何か…何か…何か……
「そうだ!!お母さんいいこと思い付いちゃった!!」
「パンンンンンンゥゥウイィンナアァァァァ」
「ねぇ聞いてってば!!」
「ンンンァァアアアアアアンンアアアァァァァァ」
「ねぇ!!ピザ!!ピザ頼もっか!!おうちに届けてもらお!!」
「ンア………ピザ」
よし反応した!!
そのまま部屋の中に入り、急いでスマホで近所のピザ屋のメニューを検索して見せた。
ちなみにこの時いーすけはお店のピザはまともに食べたことがなかったのだが、動画や絵本でアイテムとして登場するピザの存在は認識していたので、「ピザを頼む」は魅力的に聞こえたようだった。
ピザちょっと高いけど仕方ない、たまにはいいやろ…と自分を納得させて、なるべく安いピザを探した。いーすけはどのピザも同じに見えるようで、「これ」「これ」と目に入ったピザをすべて指差している。うん、どれでもよさそうだから安いのでいいな。
キャンペーンメニュー(安い)から選ぼうとしていた時、「お持ち帰りで1枚買ったらもう1枚無料」のバナーが目に入った。
無料…?
「ピザ早くぅ早くぅ」
あんなに執着していたウインナーパンのことはすっかり忘れてピザを要求するいーすけを「今大切な情報見てるから!」と宥めてページを確認すると、「持ち帰りでピザを1枚買うと、もう1枚無料でついてくる」とバナーのまんまの説明が書いてあった。
元々1枚しか買うつもりなかったけど、値段が変わらないなら2枚目を注文することもやぶさかではない…
しかしここで私は根本的な問題に気付いた。
雨降ってるから宅配できるピザにしようとしてるのに、お持ち帰りで注文してどうするんだと。
そこでふと外を見るとなんと雨が止んでいるではないか。
そういえば朝見た天気予報では、午前中はくもり時々雨・昼からは晴れ、となっていた。
お天気が味方してる。晴れてきてる。(雨が止んだだけで晴れたわけではない)
ピザお持ち帰りしろって言ってる!!(言ってない)
完全に無料ピザに釣られた私は、意気揚々とお持ち帰りピザを2枚注文した。ついでにサイドメニューのポテトも注文した。
よく考えたら雨が止んでいるならパン屋に行けばよかったのでは?と思うのだが、無料ピザに釣られた私はよく考えなかった。
この選択があんな悲劇(?)を生むとも知らずに…
ピザの出来上がりは40分後だったので、私といーすけは少し時間を潰してから家を出た。外に出ると空は薄暗く、東の方からどんよりした雲が広がっていた。
ヤバそうな天気だけど昼から晴れるって言ってたから大丈夫。たぶん。っていうか大丈夫であってくれ。
しかし私の願いも虚しく、アパートの駐輪場でいーすけをチャイルドシートに乗せているとパラパラと雨が降り出したのだ。駐輪場には屋根があるので濡れることはないが、傘もレインコートも持ってきていない。
小雨だし少し待ったら止むかもしれない。
「いーちゃん、雨降ってきちゃったね。止むまで少し待とうね」
パラ…パラパラパラ…
バララッ バララララッ
バララララララララララドシャーーーーーーッ
…
……
……誰?少し待ったら止むかもとか言ったの。
ものっすごい雨。もうほんとすっごい雨。
レインコートでも取りに戻ろうもんなら、駐輪場から家までの距離でビッショビショになること間違いなしである。
私は呆然と立ち尽くした。
ピザ屋行くのやめる?
いやでももう持ち帰りで注文しちゃったし…
配達に変更する?変更できるか知らんけど。
その場合2枚目も有料だから…プラス1200円ぐらいか…
それならタクシーで行った方が安くない?
タクシーで持ち帰りピザって意味わからんけど…
色んなことをぐるぐる考えながら、私の胸には打ち消しても打ち消しても浮かんでくるある想いがあった。
しかし過ぎた時間は戻らない。私はピザを取りに行くしかないのだ。
雨が少しだけ弱まったタイミングで私はいーすけをチャイルドシートから降ろして抱っこすると、急いで家に戻ってレインコートを取ってきた。再びいーすけをチャイルドシートに乗せてレインカバーをかけて、自分もレインコートを着ると覚悟を決めた。
行くしかない。
そして私は雨の中自転車を漕ぎ出した。
「2枚目無料にならなくていいから1枚有料で配達してくれ」と心の底から願いながら。
ピザ屋に向かいながら私は着いてからのことを考えていた。
初めて行くピザ屋だったが(場所は知ってる)、駐輪場はなかった気がする。屋根があって自転車を止められそうな場所もあるかどうかわからない。降りる時いーすけが濡れそうだし、レインコートの置き場所にも困りそうである。
どうするか迷っているとピザ屋が見えてきた。
やっぱり駐輪場も都合の良い屋根もなかったが、裏側の方にスタッフ通用口らしきドアがあり、少しだけひさしが付いているようだった。
あのへんにうまいこと停めよう。
私は自転車で裏に回り込み、チャイルドシートがなるべくひさしの下に入るように調整して止まった。
ふと顔を上げると、ドアの横でタバコ休憩中の店員と目が合った。
明らかに目が「えっこの人何しに来たん?」と言っている。
すみませんわかってるんです雨の日にピザ屋に来る人間の風体ではないことは自分でもよくわかってるんですでも仕方なかったんです何故かこうなっちゃったんです…
口に出せない言い訳をしながら私はいーすけと共に自転車から降りた。レインコートは置き場所がないので水滴だけ払ってもう着たまま店に入ることにした。
いーすけは「ピーザ!ピーザ!」と言いながらご機嫌で店に入っていく。
息子よ、どうかその無邪気さで母の違和感を吹き飛ばしておくれ…
レジに居た店員はレインコートを着た不審な客にも動じることなく笑顔で接客してくれた。
無事に商品を受け取って自転車に戻ると、雨も少しだけ弱まっていて、これなら受け取ったままの袋に入れておけばピザもそれほど濡れることはなさそうである。
良かった良かった、あとは急いで帰るだけ…
「さぁ帰ろっか!いーちゃんが好きなポテトもあるからね。帰ったら食べようね」
「ジュースは?」
「…ん?」
「ジュースは買った?」
「……ん?」
ジュース?
ああ、そういえばパン屋に行った時は一緒にジュースを買うのが恒例だったっけ。でもここパン屋じゃないから…
「…いーちゃん、ここピザ屋さんだからいつものジュースはな」「いいぃぃやああぁぁだああぁぁぁジュウウゥゥゥゥゥゥスウゥゥゥゥゥゥアアアァァァァァ」
ジュースじゃないよカオスだよ…
濡れる。とにかく早くこの事態をなんとかしないと私もいーすけもピザも濡れる。
もう一度ピザ屋に入ってドリンクを注文することも考えたが、戻ってドリンクを注文するレインコートの客を想像すると居た堪れない気持ちになったので、ジュースは帰り道にある自販機で調達することにした。
いーすけもその提案で納得したようだったので、少し遠回りになるが自販機のある道を通って帰ることに。(もっと近い自販機もあったのだが、よく通るその道でジュースを買う体験をさせてしまったら後々めんどくさいことになる…と思って避けた)
自販機の前に到着すると、チャイルドシートのレインカバーを少しだけ開けていーすけにお金を渡した。自分でお金を入れてボタンを押せないと例のシャウトが始まってしまう。お金を出す時に財布がビシャビシャ濡れて中のお札やらレシートやらがヨレヨレになっていたが最早どうでもよかった。
レインカバーの隙間から手を出して自販機にお金を投入するいーすけ。
ああ…なんかこういうシーン絵本であったなぁ…雪の日にキツネが手だけ出して手袋買う話…帽子屋のおじさんが優しい目でキツネの子を見守ってるんだよ…
雪ではなく雨の中、手袋ではなくジュースを買おうと手を出す人間の子を、自販機が生温かい目で見守っていた(ように見えた)。
こうして多大な犠牲(主に私のメンタル面)の上にピザとジュースをゲットして、私といーすけは無事に家に帰ることができた。
あんなに張り切って買ったピザだったが、いーすけはポテトばかり食べてピザは3口ぐらいしか食べなかった。
そして手付かずで丸々1枚残ったピザを前に私は1つの教訓を得たのである。
※残ったピザは冷凍して後日美味しくいただきました。
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