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ペンギンが教えてくれた物理のはなしを読んで思うこと

ペンギンが教えてくれた物理のはなし
渡辺佑基(著)

ゆる言語学ラジオの堀元さんが「本質本」(複雑怪奇だと思われている概念を「本質はこれだけ」と説明する本)として紹介されていました。「料理の四面体」が何十万種となる料理を熱と水と空気と油しかないと例として紹介されていました。確かにその本はそう書かれていたし、本質本だなと思いました。

ラジオで今回の本は、生物の本質を次元で全て説明している本だと話されていたので、それは読んでみよう!と思い購入しました。何十万種かそれ以上の全ての生物の行動をどのようにまとめられているか知りたくて購入しました。そして、その次元の話をまず読もう!と考えてざっと読み飛ばしてみましたが、その時に次元については読み取れず、あれっ!?となりました。いやそんなはずはないと思い、もう一回さらっと読みましたが見つからず、おぉぉぅ?とさらに混乱する結果になりました。

氷の上にいないペンギンの写真が印象的です。

どういう本か

野生動物たちの生態は観測できないことが多く、わかっていないことが多かった。それをバイオロギングという動物たちに超小型カメラや記録計を取り付け、データから行動や生態を調査する研究手法で解明していく話です。データから今までわからなかったことを解明できた喜びと、計測機器が回収できなかったり、上手いデータがとれなかったりする研究者の悲しみとを合わせて知ることができます。

生態学(生物学の中の一つの学問)でのデータ観測と物理学の一般的な法則とを行ったり来たりして「動物はどこに、何をしに行くの?」が解明されていきます。普段意識しない動物の行動には、地球の動きやそこから発生する環境と、動物の運動から考えられる物理の法則が後ろにあることに気づける本で、実は理にかなっている動物たちの行動に驚きを得られると思います。

バイカルアザラシは自身の体重から適切な泳ぎ方を選択するという話が出てきます。それは物理学に則った動きである。アザラシもペンギンも学んでいない物理学をその行動が物理法則に則っていることを我々に教えてくれる、そういう意味で「ペンギンが教えてくれた物理のはなし」なのだと思いました。

本書を書くためにできたような回遊パターンをペンギンが表したので、ペンギンがメインになり、略して「ペンギン物理学」とされていると思われます。アザラシの話の方が多めですが。

筆者の思い

本書の狙いをひとことで表すのなら、「バイオロギングの明らかにした野生動物のダイナミックな動きを紹介し、その背景にあるメカニズムや進化的な意義を明らかにする」こと。行動生態学?動物行動学?堅苦しくあるから勝手に名付けてしまおう。「ペンギン物理学」ほら、すっきりした。

生態学の研究に身を入れるようになってからは、もちろん生態学の専門書をたくさん読んで勉強した。個体数の変動を予測するモデル、生態系の中のエネルギー循環、環境への適応と動物の進化など。そこでふと気づいたことがある。生態学と物理学は、真逆の学問である。互いに反発し合うその二者を空の容器に入れて、ガラガラと振ったらどうなるか?今までに誰も見たことのない、ダイナミックな学問ができるんじゃないか?
 折しも私にはバイオロギングというからの器があった。バイオロギングはただの手法であって、研究そのものではない。得られた動物のデータをどう解釈するかは、研究者各自の裁量にまかされる。

だったらその大きくて深い容器の中で、生態学と物理学を化学反応されてみようーーーこれこそが10年来変わらぬわたしの研究スタイルであり、信念といえば信念でもあり、また本書の本当のテーマである。
 本書を通じて、バイオロギングの器の中で生態学と物理学がぱちぱちと化学反応するさまを楽しんでいただき、さらに結果として生まれる新しい学問の形に興味をもっていただけたら、筆者としてはとてもうれしく思う。

読んでのまとめスケッチ

アザラシの話も多く出てくるので、右下に入れてみました。

読んでの感想

導入と説明が長くなってしまったので、できれば簡単にまとめたいと思います。今回読んで気付けた点は大きく2つあります。

1.典型ではなく異例から考えて答えを見つけるアプローチがあること
2.基本となる知識と対象をまとめる力がないと本質に気がづけないこと

まずは1についてです。

生物学にはおよそ二通りのアプローチがある。典型を掘り下げるか、異例からあぶり出すか、どちらも理に適った正しいアプローチであり、優劣はつけられない。

本書より

と説明あるように一般的であるとのことでした。

研究とまではいかなくても、何かを分析するときは、標準偏差をとって、両端のイレギュラー部は切り捨てて、そのデータの中からわかる標準的な傾向を元に考えていくのが普通だと思っていました。

この前別の本を読んでいてで、よく出てくるけれどよくわかっていなかった帰納法と演繹法との違いについて調べたことがあります。

帰納法は、複数の出来事とその結果から規則性を見つける
演繹法は、一般論を使って出来事の結果を推測する

今回の場合だと、典型から掘り下げる(規則性を見つける)考えが、帰納法で、イレギュラーから(物理法則を使って)あぶり出す考えが、演繹法なんだろうなと思います。知っている人には当たり前にことなんだと思いますが、今回の本を読んで不意にそういうことか!と気づきました。

ただ、ある出来事とある結果に一般論を当てはめて考えられる発想と一般論自体を知っておくことが必要になるということもわかってしまったので、知ったからといって演繹法を使えるかは別問題でした。知っていても理解できていなくて、理解できたとしても使うことができないという悲しい事実にも気づけました。

続いて2についてです。

そもそも「次元」の理解がずれているのでは?表している言葉の意味をわかっていないのでは?と考えるに至りました。3回目でわからなかったときに自分が何か間違えていそうだと。通常で次元といって想像するのは、1次元が線で、2次元が面で、3次元が立体で、4次元がポケットでといった感じだと思います。その次元を想像して読んでいるのでまったく理解できてなかったです。

物理学でいう次元とは何かというと、「物理量の単位が基本単位をどのように組み合わせているのかを表す」そうです。前に考えていた次元は「座標を指定するのに必要な数を表す」もので別物でした。もう少し簡単に書かれているものから抜粋すると次元とは「ある量が長さ、時間、質量の三つの基本単位をどのように組み合わせて作られているかを表す」ものだそうです。

なので、速さの次元=長さ/時間となり、力は質量×長さ/時間の二乗になります。(質量×加速度です。)そうなると確かに物理だなという感じがします。

ペンギン物理学で、ペンギンの行動は計測できる質量(体重)速度(泳ぐ速さ)長さ(深さ)から算出できる、つまり単位の組合せで表すことができる、それは次元で表すと同義であり、ペンギン物理学はすべて次元で説明できる、ということになります。(間違ってたらすみません)

今回は、次元が他の意味で使われていることに気がつかないとダメで、そこから全ての話が次元にまとめられることに気づく力が必要でした。知識をもっている、かつ、まとめる力とそれに気づく力をもっている、という条件が揃わないと1人では本質に辿り着けないというそんな恐ろしい事実に気づきました。

発言者の意図を理解しようとすることで無知の知を知り、その本質に手が届く位置に辿り着き、そこから内容を理解しようとすることで、本に書かれた本質を知ることができる、というところまでを含めて、自分にとっての「本質本」になりました。

とはいえ、改めて思うのは、この世界がどのようにできているかを考える中で、人類が体重、温度、距離などの単位を決めていき、その組み合わせである次元で世界を説明していきます。それとは別でこの世界の動物がどのように生き残ってきたかは、環境の変化に偶然適応していた生物たちです。その環境は先ほどの次元で説明されるので、生物の行動も本質は同じ次元で説明できるのは、自然なことなのかもしれないなということでした。

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