性被害から子どもを守ろう

*性被害に関する内容です。少しでも気分や体調がすぐれない場合など無理せず中断してください。

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あのとき私が伝えていたら、母はどうしただろうか。今でも思うことがある。

考えても意味のないことだし、どうにもならないことはわかっている。

ただ、重要なのは、当時も同じように、当時からずっと同じことを考えていたから、結局誰にも伝えることができなかったという事実だ。

墓場まで持っていこうと思っていたが、何十年経とうとトラウマはあるし、私の身に起こってしまった重大な事実を隠していることが、母と私がお互い理解し合うことを妨げていてそのすれ違いがその事実を隠していること以上に広がってしまう気がした。だから30年近く経ってある時歩きながら一気に話した。歩きながら話すことではなかったが、景色が動いていなければ、周りに雑音がなければ、話すことはできなかった。その間目を合わせることはできなかったし、母は少なからずショックを受け言葉少なく驚き固まっていた。

幼少期の頃、近所のおじさんから性的な被害に遭った。何をされているかわからないほどの幼少期だ。なぜ自分が被害にあったとわかったかというと、小さい頃の記憶でその記憶だけが無音の映像のように残っていて、さらに小学校高学年になったころ、まったく同じわいせつ行動をそのおじさんがしようとしてきたからだ。抵抗しながら、あの映像記憶は本当にあったことだったんだなと認識せざるを得なかった。そしてその二度目はそれがおかしいこと、やめてと伝えることを知っていたから最終的に追い返すことができたが、恐怖で喉はカラカラに乾き、訳がわからないという気持ちだった。母が仕事で帰ってきてからも話すことはできなかった。(父も仕事でいなかったが、父に話すという選択肢はそもそもない。思春期でましてや性被害の話をできるわけがなかった。)

何度も話そうとした。というよりも何度も話そうか迷ってきた。

伝えたら母はどうするだろうか。

泣くだろうか悲しむだろうか。いや戸惑い怒り狂って私以上に悔しがるだろう。帰ってくるのが遅いだけであれだけ心配したこともあったのだから。おじさんを殺してしまいたいほどの怒りに苛まれるだろうか。おじさんを警察につき出すだろうか。その奥さんであるおばさんも知っているし近所の人はみんな顔見知りだ。おばさんとも顔が合わせられないし、そうなると引っ越すことも考えるだろうか。私は引っ越したいのだろうか。起きてしまったことを伝えてどうしたいのだろうか。どうして欲しいのだろうか。おじさんも酒を飲んでいなければ良い人のはずだ。家の隙間に入り込んで取れなくなってしまったボールを工夫して取ってくれたこともある。(正直どれだけ思い返してもそれだけだ。残念ながら、良い人のはずと思い込もうとするのは、普通の良い人でも悪いことをするということを知らなかったからだ。良い人と悪い人は別のものだと思っていたからだ。どんなに良い人と思っていても犯罪は犯罪、どんなに酒のせいでも犯罪は犯罪であると知らなかったからだ。)
近所中に知られてしまうだろうか。父や兄弟にも知られてしまうだろうか。それでも母はおじさんを警察につき出すだろうか。どれだけ悩ませて苦しませるだろうか。第一なんと伝えればいいのだろうか。気持ちが悪すぎて口にしたくもないし、なんと言うのかもわからない。

そうしているうちに、'言わなければ母が悲しんだり悔しがったり苦しんだりすることもないし、私も今まで通りに暮らすことができる、口にしたくも思い出したくもないことなのだからもう墓場まで持っていこう、考える必要ももうなくなる'と思うようになった。そうしてあるあいだにも当たり前のように生活が続いているし、だいたい自分のせいじゃないのだから無かったことにしようと思った。

そのうちに(おそらくだが)アルコール依存でおじさんはぼろぼろになっていった。シラフである時がなく、ずっと鉢合わせないように気をつけていたが、まともに歩けず道端で転がりパトカーで家に連れてこられてくるのも見かけるようになり、そしてありがたいことにとうとう見かけなくなった。

それからおじさんはもう死んだと思うことにした。

おばさんと顔を合わせることもあるし、母も多少は知っているのかもしれないが聞くことはなかった。

おじさんはもう死んだのだから、これで本当にもう何も無しだ。警察につき出すか迷うことも殺したいという気持ちが起こっても意味がない。何も起こらないし起こすこともできない。もう死んだのだから。

そう思うようになってからもずいぶん経って、実際二度と見かけることが無かったからこそ母に伝えたのかもしれない。

私には子どもができ、母にとっては孫ができた。

私は性教育や子どもを性被害から守る活動をよりいっそう応援するようになった。やたらと肩に力が入ってしまう理由を、知ってもらう必要があった。そして何より、一緒に守ってもらう必要があった。

だから、伝えた。

何度も自分に言い聞かせてきたが、
被害に遭ったのは、絶対に、自分のせいでも、親のせいでもない。

自分が抵抗できなかったことも、誰にも言えなかったことも、親が気がつけなかったことも防げなかったことも、絶対に自分たちのせいじゃない。

でも、だから、自分を守る性教育と断固として子どもを守るために連帯する大人と法が必要だ。被害に遭う子をなくすために。被害にあった子がそれ以上傷つかなくてすむように。傷が少しでも癒え、自分の人生を手放すことがないように。手繰り寄せることができるように。そして被害にあった子の親が悔しい思いをそれ以上しなくていいように、法で裁き、加害者の再犯を防ぐことができるように。




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