わたしとハーガウ
香港は、わたしにとって特別な街だ。父が転勤になり、当時は未だイギリス領であったその街で3歳から5歳を過ごした。
とはいえ、わたしも幼かったため、あまり大した記憶は残っていない。
2階建てバスが好きで乗るたびにワクワクしていた記憶や、住んでいたマンションのすぐ下にあったプールでたくさん泳いだ記憶、同居していたアマさん(お手伝いさん)と一緒に遊んだ記憶、サーカスを見に行った記憶……そんな夢か現か輪郭がぼやけた記憶が、いくつか断片的に頭の片隅に残っている。
香港といえば、中国茶の飲みながら点心を食べる「飲茶」が有名で、食通にはたまらない街なのだが、残念ながら、幼いころのわたしはあまりに好き嫌いが多く、食べ物についての記憶が殆どない。
そんなわたしにも、ひとつだけ大好きでよく食べていた広東料理があった。「ハーガウ」という、もちもちの皮にえびの餡が包まれた点心だ。
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それから何年も時は過ぎ、わたしも大学を卒業して、すっかり大人になった。
香港から車で1時間強離れたところに「深圳」という、IT企業やスタートアップ、電気街で有名な都市がある。
電子工作が好きなガジェットオタクのソフトウェアエンジニアに成長したわたしは、すっかり深圳に魅了され、頻繁に足を運ぶようになった。
秋葉原の30倍もの広さの電気街「華強北」。
街中が絵画で溢れている、世界一の絵画の街「大芬油画村」。
有名絵画の複製画を大量に生産することで有名だが、近年はオリジナル絵画も売れるようになってきているらしい。
ローカルの面白いサービスやアプリケーションもたくさんある。
日本とスケールもぜんぜん違う。夜になると、街中のビルがカラーLEDでギラギラと光りだす。しかし、車ですこし離れると、街灯がひとつもない道路の上を牛が土埃をあげながら走っている……なんだこの世界観……。
街自体もすごいスピードで変化している。足を運ぶたびに、新しいビルや道路ができていたり、新しいサービスが使われるようになっていたり。
街全体から「頑張れば、生活がどんどん良くなっていく」というパワーを感じる。めちゃくちゃに面白い。高度経済成長期の日本もこんな感じだったのかなあ。
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深圳へ行く際は、いつも香港を経由して行っていた。深圳宝安国際空港を利用するよりも、香港国際空港を利用したほうがずっと安かったからである。
香港がイギリスから中国に返還されて久しいが、香港は未だ「特別行政区」扱いなので、香港から深圳へ行くためにはイミグレーションを通る必要がある。
イミグレーションは国境沿いにいくつか設置されており、深圳へ向かうルートにも、フェリーを使うルート、相乗りタクシーを使うルート、香港の電車で向かうルートなどいくつかある。
あるとき、どうしても、香港でハーガウが食べたくて、香港の街を電車で通り抜けるルートで深圳に向かうことにした。
昔住んでた街とはいえ、ひとりで香港の街を歩くのは初めてで、何回も道に迷いそうになりながらも、友達に教えてもらった点心の美味しいお店にたどり着き、お目当てのハーガウを注文した。
そうそう、これこれ。もちもちした透き通った皮を黒酢に浸し、口に運ぶ。ぷりぷりとした食感もやさしいエビの味わいも、目の前に広がる香港の景色も、すべてがすごくすごく懐かしく思えて、おもわず涙腺が緩む。
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中国に頻繁に行っていると、それなりに中国人の友達も増えていくのだが、わたしが全く中国語を話せなかったので、コミュニケーションも一苦労だ。
わたしは拙い英語しか話せないが、英語でコミュニケーションできるのは一握りで、だいたいは誰か中国語を話せる人を介して話すか、翻訳アプリを介して話すのがメインになる。
日本の「インターネット」は使えない。
中国のコワーキングスペースに滞在していた際に、VPNの調子が悪くて、VPNに繋がずにインターネットを利用したことがあった。TwitterやFacebookに繋がらないし、Gmailも受信できないし、Chromeのアドレスバーから検索もできない。Bingのアドレスを推測し、Bingに直接アクセスして検索するも、日本語で検索した結果のページなので、見れないページも含まれている。なぜかGitHubには繋がる。
中国人は、中国国内で活発に用いられているサービスを使うので、困ることはほぼないのだろうが、普段まったく違うインターネットを使っているわたしは大いに困った。
インターネットには繋がるけど、わたしの知っているインターネットではないので、結果なんもできないという、なんとも不思議な状態に陥るわけである。
しかし、香港は違った。
ホテルで英語が通じる。わたしの知ってるインターネットに繋がる。
ごちゃごちゃした街や、どこか無関心な香港の街の人々も、東京で育ったわたしにとっては心地よかった。
深圳も香港もそれぞれ違う良さがあり、わたしはどちらも文化も好きだった。
蘭桂坊に行って、ビールを頼んで、香港ドルで支払いをした。
南国特有の軽いビールを飲んで、夜の街を眺めながら、ああ、わたしもずいぶん大人になったものだと、感慨深く感じたものだ。
またいつか、香港でハーガウ食べたいな。
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