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年収マウンティングそろそろ滅びろ
仕事の素晴らしさを、年収ではなく、社会やコミュニティにどれくらい良い影響をもたらしたかで図るような世の中になってほしいです。
— 池澤あやか / いけあや (@ikeay) July 22, 2020
Twitterが微炎上した。140文字はむずかしい。
社会に良い影響をもたらしてる人の年収を上げよう! というなら分かるけど、そうじゃないのか。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 22, 2020
資本家は大喜びし、労働者は低賃金と過重労働に殺されるデストピア一直線でしょうね・・・ https://t.co/N1NRROVTfs
はい、そうですね。わたしもブラック企業を礼賛する意図は全くないです。理想を言えば、社会的に良い影響を与えるような仕事はお金という形で報われるべきだと思っている。
しかし、年収は会社や働き方への依存が強い。残念ながら、それは会社によって利益にばらつきがあるのだから、ある程度仕方ないことだと思う。
若い人はこんなやりがい搾取ババアに騙されたらいけないのだ。金が正義ということを脳髄に叩き込んでほしい。 https://t.co/SCXDLJORGE
— れいのすけ@デレスドン兄貴 (@reimarugo) July 22, 2020
そうですね。私もお金も大事だと思いますよ。
残念ながら、このロジックはいつの時も「社会に良い影響をもたらせる仕事なんだから、あなたの年収は低くてもいいよね」という、いわゆる「やりがい搾取」理論の正当化に援用されてきたのである https://t.co/sJYRi8o84G
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌥️ (@terrakei07) July 22, 2020
やりがい搾取はよくないですよね。
……いや、別に、そういう複雑な話をしたいわけではないんだ。
単にわたしは「年収マウンティングが嫌いだ」ということを言いたかっただけなのだ。誤解をさせてすまない。
お金は、我々の命を守ってくれるものであり、文化的な生活を送るのに必要不可欠なものであり、教育の資源であり、とても大事なものだ。
しかし、他人へのマウンティングの材料として使うのはどーなのよ、ということを問いたい。
マウンティングの材料に使う=「年収が高い」ということに自らの価値を置いているということになるが、前述したように、年収というのは、会社や働き方に依存するため、現在いる会社や働き方に自分の価値を依存させてしまうことになる。
今の会社をやめたら、今の無理な働き方をやめたら、あなたの価値は下がってしまうのだろうか。
また、非常にうんざりすることなのだが、東京で女性として生きていると、よく男性から年収でマウンティングされることがある。「年収が高けりゃモテるんだろ」と思っているのかもしれない。
こうした年収マウンティングほどつまらない争いはない。この争いは、お金という単一的な価値基準に落とし込んでしまっているため、1円でも高ければ勝ち、1円でも低ければ負けである。
そういう人に出会うたび、(女性だから低いと思われているんだろうか……)(そもそも負けているかもしれないという発想はないのか)と心底ドン引きするし、そもそも年収のような単一的な価値基準で人を判断する人間だと思われていることに、ムカッとくる。
そんな単純な価値基準だけで人を判断できたら人生楽ですわな〜〜〜〜。
そういう、クソ単純なマウンティング合戦をするのではなく、社会的・コミュニティ的にどんな素晴らしい仕事をしているかとか、今どんな挑戦をしているかとかの方が、聞いているこっちもめちゃくちゃ面白いし、素直に尊敬します!!!!!!!!!!!!!
尊敬させてくれ!!!!!!!!!!!!!!!
年収は会社をやめて下がればおわりだけど、理念を持って素敵なプロダクトやサービスに関わった経歴や経験は、次のプロジェクトや人脈につながる名刺になるとも思うよ。
仕事の価値や自分の価値は、そういうところで図りたいですね。
年収も大事ですが、自分の価値は違うところに置きましょう。そして、社会的によい仕事をすることをお互い目指していきましょうね。
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