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【インタビュー】今日を楽しむ ~アマチュア吹奏楽団で指揮をする夫~ ①

夫とは大学時代の吹奏楽部仲間だ。
応援団の吹奏楽部だったため、野球をはじめとする体育会の試合応援に行っていた。また、年に一度の演奏会では、座奏とドリル(マーチング)を披露した。

そして、4年前に大学時代のOBOGバンド”Returns!”が結成され、夫婦で参加している。高校、大学と学生指揮をしていた夫は、Returns!でも指揮をさせていただいている。

夫は、大学を卒業してから吹奏楽とは離れていたのだが、5年前にたまたま娘の高校の合唱部の文化祭ステージに行ったことがきっかけで、指揮への情熱が蘇った。
文化祭ステージでは、最初は学生の指揮者が振っていた。その後、顧問の先生が指揮をした途端、明らかに音が変わって、同じ人たちが歌っているとは思えないほどの違いに、夫は大きな衝撃を受けた。
帰りがけに「ああ、やっぱり指揮っていいよなあ。またやってみたいけど、やらせてくれるところなんかないよなあ」と呟いた。
ところが、その10日後くらいに大学時代の1つ上の先輩から、「OBバンドを立ち上げようとしているんだけど、君を指揮スタッフとして推薦したい」というメッセージが突然来た。
という嘘のような本当の話。

Returns!は、昨年9月から第4期が始動し、今年5月の演奏会に向けて週末に練習を重ねている。
このインタビューは、昨年の年内最終演奏練習(12月21日)の翌日に行なった。4期に入ってからずっと考え続けてきたReturns!の練習の在り方について、夫なりの一つの答えが出た練習だったと感じたからだ。

夫は、その日の演奏練習の最後、「IVANHOE」という曲を通す直前に
「明日はどうなるか分からない。そう考えると、このメンバーでIVANHOEの演奏をするのは今日だけかもしれない。だから、やっぱり今日が大事なんですよ。演奏会をパーフェクトにするために今はこの段階というのではなくて、今日をよくしたいじゃないですか。そんな思いで、今日、楽しい演奏をしましょう!」
と言った。

演奏練習後に、私がトロンボーンのNさんに感想を聞いたところ、
「仕事が忙しくてなかなか練習に参加できず、久しぶりの演奏練習でしたが、とても楽しかったです。特にIVANHOEの通しは印象的で、皆さんすごい集中力で、本番前日かと思うほどでした。今日は1stが私一人だったので緊張しましたが、やり切った感がありました」
と答えてくれた。

あの日、夫はどんなことを考えながら演奏練習を進めていたのか、夫の考える指揮者観(プロではないのであくまで彼独自のもの)、Returns!にとっての楽しい練習とは何か、について考えを聴いてみた。
と言いつつ、そんな堅苦しいものではなく、いつもの夫婦の会話がちょっぴりインタビューテイストになっているだけという感じなので、気楽に読んでいただけたら嬉しい。

■今日を楽しむ

― 昨日のIVANHOEの通しは良かったよね。グッと来た。
「今日は私がIVANHOEのソロの代役です」と言っていたトランペットのAさんに対して、「本番から見たら代役になるけど、今日という日に限ったら、代役ではなくてAさんがソリストだよね」とあなたが言っていたけど、あの言葉もいいなと思った。

池田:そういうこと。なんかね、昨日はいつも以上に「今日を楽しむ」というモードだった。

― もともと、そうしようと思っていたの?

池田:そうしようと思っていたというか、4期に入って、「Returns!にとって楽しい練習とは何か」という問いについて改めて考え直していて、自分本来の考え方を明確に出すということをものすごく意識していた。まあ、年内最後の練習だったということも、それに輪をかけていると思うけど。
「演奏会まで、あと練習は5回しかありません」という言い方をするじゃない?そういう時の言い方って、演奏会に間に合う、間に合わないという感じでしょう?
だけど、一方で、演奏会まで練習が5回しかないというのを僕は違う捉え方をしていて、「あと5回しかみんなでIVANHOEを演奏できない」なんだよね。しかも、欠席者なんて、もっと演奏できないでしょう?というふうに考えたら、毎回、絶対に曲を通すよなって思う。だって、あと何回このメンバーでIVANHOEを通せる?その日にもし通さなかったら、1回演奏回数が減ってしまう。それって、やっぱり違うんだろうなあって。

― 違うというのは?

池田:楽しくないよね。楽しむためにやってないよねっていう感じがする。だけど、出来るようになったら、その達成感で楽しいという考え方もあるんだよね。それだと今日は楽しくないじゃない?今日が楽しくなかったら、わざわざ忙しい中、みんな練習に行かないよね。だから、「今日が楽しい」の先に上手くなるというのがあると信じているんだよ。
今回の練習は、細かいテクニカルなところは全然やらなかったけど、それでも良くなるということは、結局、相手(奏者)を信じるということなんだろうと思う。信じているから、指揮者が「こうしよう」と言ったら、奏者はそうするんだよ、きっと。

― もう少し詳しく聞かせて。

池田:僕が抽象的な言い方をしても、自分でかみ砕いて表現してくる。そういうことができるんだよ、みんな。そういうことができると信じているから、そういう指示でいいわけ。でも、信じていないと細かい指示になる。

― 昨日の練習でいうと?

池田:「今のところ、もうちょっとカッコよく吹きたくない?」と言ったら、カッコよく吹こうとするとか。fp(フォルテピアノ)のところも、「もうちょっとここ落としとく?」みたいな感覚でイメージが付いていくとか。
あとは、僕が練習の途中で「トランペットが指揮を見ていない」と言ったでしょう?「ここは指揮を見ようよ」ということなんだけど、指揮に合わせようよという意味ではなくて、僕が見ているんだから見ようよという意味。それが対話だよね。

― 目を合わせてほしいということ?

池田:そう。指揮者を見てないと、僕は寂しいんだよという感覚。一緒にやろうよということ。自分はそういうことを求めているんだと気付いた。指揮棒を見て揃えてほしいわけじゃないんだなって。

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■吹きやすい指揮とは、奏者の邪魔をしないこと

池田:話は変わるけど、昨日、演奏練習後の飲み会で、クラリネットのT先輩に「今日の練習はどうでしたか?」と聞いてみたの。そうしたら「楽しかった」と言っていて、それはすごく良かったなあと思うのね。「フルートのSもそう言ってない?」と聞かれたから「特に聞いてないですけど」と言ったら、「絶対そう思っていると思うよ」と言われて。何で楽しいのかというと、僕の指揮は吹きやすいんだって。「何が吹きやすいんですか?」と聞いたら、「アインザッツがすごく揃う指揮をするから吹きやすい」と。
みんなが揃えやすかったら吹きやすい。あとは、吹く邪魔をしないというのがある。

― 奏者の邪魔をしないように意識しているということ?

池田:している。余計に振らないということ。

― 必要最小限の指揮にしているということ?

池田:そう。

― 何のために?

池田:自由に吹けるようにするため。それは、僕自身が自由が好きで縛られたくないというのが根底にあるからなんだけど(笑)。
指揮は、振れば振るほど、奏者にとっては窮屈になっていくんだよね。だから、全く振らないというのが究極の理想なんだよ。だけど、それじゃあ音が出てこないし揃わないから必要なことはやるけど、奏者がノッていれば別に指揮を止めちゃってもいいんだよ。指揮は、リードしていくという側面もあるんだけど、それよりは、みんなが吹きたい音をサポートするという役割が大きいんだと思う。
昨日の第2楽章で、盛り上がってシンバルがバーンって鳴るところがあるじゃない?あそこは振らなかったんだよね。1小節を1拍で振っていた(笑)。

― 昨日初めてそうしたの?

池田:通しの前に、そこをやったときにそうしたんだよね。だって問題ないもん、それで。そこで拍を取らなくてもテンポは壊れないし、ノリでわぁって来ているから、わぁって行こうっていう感じ。だから、本当は馬鹿正直に全部を振る必要はない。全部振らないというのはもちろんダメだけどね(笑)。必要最低限にしていくのはすごく大事。

― それは昔からそういう考えなの?

池田:そうだね。大学時代は比較的そういう感じだったと思うけど、Returns!に入ってからは、その感覚は相当鮮明になっている。
例えば、前回の演奏会でやった「LOST MOON」は振らない時があったじゃない?第4楽章の最初とかは、1小節に1つか2つしか振らないという緊張感の出し方をする。真面目にやったら、4拍子だから4つ振らないといけない。でも、そうやって振ると窮屈で音が出しにくいでしょう?
音が出しやすい、吹きたいように吹ける指揮って大事だと思う。だから、客席から見た時の指揮の見栄えって本当はどうでもいいんだよね。でも、奏者に対して吹きやすい指揮をしていると、それはそれで後ろから見てもカッコよく見えるけど。ただ、後ろから見たカッコよさだけを追求して振り方を作ってしまうと、それは誰のためにやっているんだっていう話になるから本末転倒になってしまう。後ろからの見栄えを意識している人というのは、みんなと音を作っていないから分かる。音が付いてこないから。

― そういうあなたの考えに影響を与えたのは何なんだろう?

池田:うーん、何だろうね。でも、やんぱ先生(娘の高校の合唱部顧問)の影響もあるんだろうね。やんぱ先生の指揮を見て学んだというのではなくて、指揮を見て改めて思ったということ。それは、指揮者としてだけでなくて、講師としてのファシリテーションからも来ている。こっちがコントロールするのではなくて、相手を引き出すというところとも繋がっているんだろうなと思う。そういう経験が混ぜ合わさって、今の練習の進め方や指揮の考え方にひもづいている感じかな。

■Returns!にとって楽しい練習とは

池田:さっきT先輩が「練習が楽しかった」と言っていた話に戻すと、それは上手い奏者が楽しめているということ。上手い奏者代表としてT先輩やフルートのSさんがどう思っているかが僕にとってすごく重要なの。
一方で、あまり上手くない奏者や久しぶりに楽器を吹く人が楽しんでいることも僕にとって重要なベンチマークなんだよね。
この対極の両者が楽しいというものが一番いいと思っている。
上手い人だけを楽しくするのは簡単なんだけど、そうすると上手くない人は付いていけない。逆に上手くない人を楽しくするのも簡単なんだけど、そうすると上手い人はつまらなくなる。この両者が楽しいと思うかどうかを、僕は常にリサーチしていないといけない。その間の人たちは、ある意味どうでもいい(笑)。両端の人が楽しいと言えば、全体が楽しいということだから。
特にうちのバンドはその差が激しいから、その両者が今日は楽しかったと思える練習の在り方って何だろうかというのはすごく考えている。だから、そこに聞きに行く。
結局、T先輩が何を楽しいと思うのかというと、やっぱり楽しく吹ける場所だということだと思う。ということは、楽しく吹かせてあげればいい。たしかに、楽しく吹ければ、どのレベルの人もきっと楽しいんだよ。
だから、楽しく吹ける場を提供すると言った時に、T先輩の話を聞いていて思ったのは、やっぱり吹きやすい指揮をすることがすごく大事かなって。実を言うと、そこが肝なのかなって。

― あまり上手くない人もそうだということ?

池田:あまり上手くない人だって自由に吹ければ楽しい。ただ、本人に聞いたわけではないから分からないけど、上手い人が楽しく吹いていれば、あまり上手くない人も吹きやすくなると思うんだよ。

― ああ、それは昨日感じた。

池田:そうでしょ。だから、そういうことなのかもしれないね。

― なんか上手い人にひっぱられるというか。基準があるから安心して吹ける。

池田:そうそう、そこに相乗効果が生まれて、そこに乗って行かれればいいわけじゃない?上手い人たちがちゃんとやってくれていれば、自分ができるところだけをやっても楽しいでしょ。そういうことが結果的に作られていく。ということは、上手い人を楽しませればいいってことなのかなあ。

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■要求の分かりやすさはフィードバックにある

池田:指揮者が奏者に要求をするということについては、あるメンバーに「何をしてほしいのかが分かりにくい指揮者もいる中で、池田さんの要求は分かりやすい」と言われたことがある。
でも、分かりやすいというのもなかなか難しい概念だと思っていて、僕は具体的ではない抽象的な要求もするじゃない?

― うん、まあそうね。ただ、あなたは要求した後にフィードバックをきちんとしているよね。演奏している最中にも、「今のはよかったね」というのを表情とかで返すじゃない?あれはいいなと思う。フィードバックがあると、奏者も「ああ、この感じでいいんだ」と分かるから。あとは、周りにも安心感を与えるのかな。例えば、トロンボーンパートに対して要求をしていて、「ああ、今の感じ良かった」とあなたがフィードバックしていると、私はトロンボーンパートではないんだけど、何かいい感じになるの。みんなで一緒に作っている感覚になるというか。あったかい感じというか。だから、要求する時の分かりやすさというのに、フィードバックという要素もあるのかなと思って。

池田:ああ、なるほどね。フォードバックの分かりやすさね。

― フィードバックがないと、指揮者が求めているものを自分が返せているかどうか分からないでしょう?

池田:フィードバックについて大事だと思うのが、フィードバックをしたら、必ずそれをもう一回やるということ。もう一回やってみて、「はい、できました」と言って次に行く。あとは、時間がないと焦ってしまうというのはあるのかもしれないけど、ラップアップをした方がいい。

― 何それ?

池田:まとめ。ここまでをもう一回やろうというもの。

― 昨日、第1楽章を部分的に練習した後にもう一回頭から通してやったよね。「ああ、もう一回やるんだ」と思った。

池田:あれがラップアップ。ここまでやったことをもう一度おさらいしましょうという感じ。結局、コマ切れでやっていると、繋げた時に本当にできるかというのが分からないんだよね。だから、一回繋げておさらいするのをやった。
前回の練習の録音を聴いた時に、やっぱり第1楽章はかなり危ないなという感じだったんだよ。だから、第1楽章をきちんと仕上げれば今日の通しはたぶんOKだろうというのが頭にあったから、第1楽章を一連の流れでできるようにするというのは通しの前に一回やっておきたかった。細かいところを見ていくというのもすごく大事なんだけども、第1楽章を通すということも大事だった。でも、そこは時間との戦いみたいなところがあるね。

― 昨日は細かい指示をしなかったと言っていたでしょう?それも大きいような気がする。細かく音を揃えていくということも、もちろん大事だと思うんだけど、あんまり面白くないんだよね。

池田:面白くないし、やった割には実はそれが積み上がらないんだよね。それをやった時に、じゃあ曲の通しでそれが活きるかというと、そうでもなかったりする。

― 結局、奏者が揃えたくなるかどうかだよね。揃えさせるんじゃなくて。

池田:そうなの。揃えたくなるかとか、そこで吹きたくなるかとか、そこで叩きたくなるかとか。そこで叩かざるを得ないよねという形になるように演奏練習をやるわけで、そこがイメージできると間違えようがなくなるはず。そこでそれを出すのが当たり前になれば、間違えようがないよねというくらいの曲の理解ができればいいと思うんだよね。それが先のような気がする。

― 曲の理解というのは?

池田:例えば、ここが盛り上がりの頂点だよねというのがちゃんと理解できていれば、そこで大きくするに決まっているじゃない。そういう感覚を作っていく。

― 第3楽章のタッタタタータータータッのところがあるでしょう?昨日の練習ではイマイチだったんだけど。

池田:イマイチだったよね(笑)。

― そう(笑)。でも、その前の練習では食い気味に演奏できていて、いい感じだったよね。あの部分の練習の時、あなたから「食い気味で」という要求があって、たしかに食い気味に演奏したくなるよなと思った。そういうことでしょう?

池田:そういうこと。

― 昨日も食い気味に演奏したんだけど、全体としてそう演奏しないとそうはならないよね。忘れちゃっていた人が多かったのかな。

池田:だから、そこの感覚値を今後作っていくわけだよね。

■吹きやすい指揮とは、必要なところで奏者が吹く手助けをすること

― あとは、昨日練習した、第3楽章の木管パートが粘るところ。言われてみれば、たしかに粘っている感じの方がいいなあと思った。

池田:そういう時に、粘る感じを出すために重く振るでしょう?そうすると、みんな思い出すじゃない(笑)。

― うん、そうね(笑)。

池田:だけど、こうやって木管を粘らせている時に、ここは粘らないで演奏してというパートもあるから。で、どっちのパートを振るかというのは、ヤバい方を振るの。はい、こっちは「粘って粘って~」、こっちは「粘らないで~」みたいな(笑)。対話なんだよ。その時の状態で指揮を変える。ヤバいところをサポートして整えていく。だから、どう振るかというのはあらかじめ決まっていなくて、リアルタイムにその時振らないといけないところを振るんだよ。

― 結構それは高度なんじゃない?

池田:そう。高度だけど大事。

― でもそれが吹きやすいってことなのかもね。

池田:そうだね。例えば、第1楽章でテンポが変わるところがあるんだけど、そこのパーカッションのテンポキープがすごく大事だから、最初はパーカスのテンポを指揮で刻むの。テンポが整ったら、主旋律に来てほしいからそこを振る。で、またヤバイと思ったらパーカスに戻る。
それから、第1楽章の最初の部分は、弦バスのブオンが大事でしょう?だから、弦バスのブオンを振るんだけど、ブオンが2つしっかり鳴ればもう大丈夫なの。その後もちゃんとやり続けるから。その後は別のパートを指揮する。
あとは、技術論でいうと、最初の部分は「緩緩急急」でしょう?緩はすごく重く振る。急の時は、実は譜面上で指定されたテンポよりも速く振っている。

― わざと?

池田:そう。そうすると、指揮に付いて行こうとしてちょっと速く演奏するでしょう?だから、あれは指揮に合わせると速すぎるんだけど、それくらいしないと緩急は出ないんだよね。要求する速さで振っても、演奏はそうならない。極端なくらいに振って、奏者はちょっと変わるというのがある。
fpの部分も、キュッと大げさに指揮を落とすでしょう?そうすると、奏者がハッと気づく。
つまり、指揮は、きっちりとその曲の譜面通りに振るということではないんだよね。奏者がそういう表現をするように仕掛けていく。結果的に音が出ればいいわけだから。そこを第一に作っていくにはどうしたらいいかということ。奏者に心理的に働きかける部分というのは色々ある。だから、指揮者を見てというのはそういうわけ。こっちを見た方が絶対に吹きやすいから。こっちを見たら吹かせちゃうからという感じ(笑)。

ー 例えば?

池田:拍が上手くとれない、自分の入りが分からない時に、奏者が一生懸命自分でカウントするのではなくて、指揮者を見たら入れてあげるからという感覚。こっちを見ていたら、そこで入るしかないという指揮をするから。
奏者が一生懸命休みの小節数を数えて入るというのはそもそもおかしい。それそのものがものすごく機械的な行動だから。そうじゃなくて、ここで入るよね、入れますよ、じゃあ一緒に入りましょうっていうことが作られていく。逆に、数えないと入れないなら入らなくていいよと言ってもいいくらい。それくらい指揮者の責任だと思っている。もちろん全部のパートに入りを指示することはできないけどね、手が2本しかないから(笑)。でも、大事なところは入れるから、奏者は準備だけしておいて、一緒に入ってもらえばいい。
吹きやすいというのは、指揮者が奏者を邪魔しないということに加えて、必要なところで奏者が吹く手助けをできているかということだね。

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今日を楽しむ 〜アマチュア吹奏楽団で指揮をする夫〜  へつづく




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