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「アイヌ民族」の歴史について②

お疲れ様です!タローです!

今回は「アイヌ民族」の歴史について②!
ということで、宜しくお願いします!

前回は、本州の人々が食料等を求めて北海道の南端辺りに移住してきたことにより、
アイヌ民族と本州の人の間で徐々に対立が生まれてきたという所までを書きました!

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ある時、本州の人が作った刀をアイヌの人に売った時のこと。

アイヌの青年が、これは切れ味が悪いので、もっと安く売れないのか?聞いた所、
「己で試してみるか?」と本州の人が斬り殺してしまいました。

後にその事実を知ったアイヌ民族側は怒り、
本州人が住む北海道の南端に攻め入ります。

これが「コシャマインの戦い」です。
この戦いで何とか本州側は当時勢力があった蠣崎家(かきざき)が鎮圧しました。

蠣崎家は「ニセ和解斬り」を得意としており、アイヌ民族のリーダーを呼び寄せては、和解しましょうとおもてなしをし、お酒を飲ませ酔わせた隙にリーダーを斬り殺すというやり方を実行していました。

アイヌ民族側は当然黙っているはずがなく、双方の関係性は悪くなる一方でしたが、本当に和解しましょうと本州側が持ちかけて、一旦はことが収束しつつありました。

江戸時代になると、また状況が一変します。

北海道では、藩主が松前藩 (蠣崎家) が中心となったこともあり、本州人を中心とした政策が増えてきました。

例えば、砂金採り。
本州人が川にどんどん入っては、砂金を採集し始めました。

これにより川が汚れ、鮭の収穫量が減少。
さらにこれに追い討ちをかけるように、松前藩が物々交換時に、アイヌ側が持ってくる鮭の量に対して、お米の量を減らすなど、アイヌ民族側に不利なレートを押し付け、アイヌ民族を困惑させました。

それによりアイヌ民族同士でも対立が起きてしまいました。

そんな中でアイヌ側のリーダーであるシャクシャインが「アイヌで団結して松前藩を倒そう」と呼びかけ、松前藩に攻め入ります。

これを「シャクシャインの戦い」と言います。

この戦いですが、結局はアイヌ側が一枚岩になれなかったことや、松前藩側が本州の幕府に武器を提供してもらっていたことも相まって、松前藩が大勝して幕を閉じました。

次に続く…。
 "アイヌ民族" について今回も紹介しましたが、次で最終回になります!

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました☺️


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