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『イリアス』と『オデュッセイア』を読み通すための道案内 (2)

読みにくい理由

 では、どうすればよいか。
 本題に入る前に、そもそも、なぜホメロスが読みにくいかの理由を整理しておこう。

 理由の第一。
 長い。
 これは説明不要だろう。岩波文庫の厚さを思い出していただきたい。

 理由の第二。
 文章がまどろっこしい。
 ある人物のことを、わざわざ、「○○の子」と呼んだりする。
 これは、ホメロスの作品が、本来は詩であることと関係している。
 翻訳本では、日本語化する際に、詩から散文に変わってしまっているのだ。だから、いたずらに長ったらしい表現になる。
 本来は、タータタ・タータタ・タータタ・タータタ……のようにリズムをもった詩なのだ。(ご興味があればユーチューブを検索してみてください。)
 そのリズムが失われている。
 本来、詩がもっていたリズムを再現するため、日本人の好きな七五調に置き換えた土井晩翠訳というものがある。偉業だとは思うが、読みやすいかと言われれば、筆者の答えは否だ。(もちろん、これが読みやすいという方は土井晩翠訳で読まれるがよい。青空文庫で無料で公開されている。)
 例えて言えば、演歌歌手の歌う歌謡曲の歌詞を文字で読んで楽しいか? ということである。
『イリアス』も『オデュッセイア』も、本来は読むものではなく、聴いて楽しむものなのだ。(日本でいえば『平家物語』のようなものかもしれない。)

 理由の第三。
 背景知識が必要。
『イリアス』も『オデュッセイア』も史実と伝説の中間にあるようなトロイア戦争に関連する物語である。ところが、肝心のそのトロイア戦争についての包括的な説明が詩の中のどこにも無い。だから、大きな絵を知らされないまま、絵の小さな部分のみをずっと見せられ続けているような気になるのだ。文脈が不明。

 理由の第四。
 ファンタジーであること。
『イリアス』にも『オデュッセイア』にも神々が登場する。
 物語のこの設定に入って行けるかどうかも、読者にとっての分かれ道となろう。
 どういう設定か?
 世界には、神々と人間がいる。
 この神々は、全知全能のキリスト教的な神というよりは、日本の八百万の神に近い。それぞれに得意分野があって、ある分野のことは別の神に任せたりする。(ある意味、日本人にとっては入りやすい設定とも言える。)
 神々は不死である。一方、人間はいずれは死ぬ運命にある。
 なお、神と人間の間に子が生まれることもある(つまり半神半人)。例えばイリアスの主役のアキレウスがそうである。ちなみに、半神半人は死ぬようである。
 また、神々は瞬間移動できる(テレポーテーション)。特定の人間の姿に化けることもできる。
 神々は、チェスの盤面を上から見るように人間界を観察しているが、個々人の動きを直接的に制御することはできない。ささやいたり自然現象を起こしたりして、人間の行動に間接的に影響を及ぼすに留まる。そうして人間界に介入して、意図を実現しようとする。(神々の間にも争いがあり、これが人間界に影響する。)
 なお、神々と人間のやりとりは一方向ではない。人間が神々に祈ったり、供物を捧げたり(家畜の肉を焼くなど)することによって、神々が願いを聞き入れてくれるということがある。双方向のやりとりが可能である。
 こうしたファンタジー映画のような設定を最初に飲むことができなければ、ホメロスを読み進めることはできないだろう。

(次回に続く)


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