日本の年金は何故かくも不可思議なのか(上) ざっくり理解する《現在の仕組み》
Kindle電子書籍『日本の年金は何故かくも不可思議なのか(上) ざっくり理解する《現在の仕組み》』より一部を抜粋して公開します。
年金は若者の生き血を啜る制度
もう一度、先ほどの図を見返してみよう。
最終的な〝出〟である年金の給付額は、基礎年金の24.5兆円と厚生年金の28.8兆円を合わせた53.3兆円である。
一方、主要な〝入〟である保険料は、「1号被保険者」の1.3兆円と「2号被保険者・事業主」の37.3兆円の合計38.6兆円である。
そしてここに、基礎年金に係る国庫負担の12.3兆円が加わる。
合計50.9兆円。
これでは〝出〟の53.3兆円を賄えないので、足りない2.4兆円を、これまで積み立ててきた二つの積立金を取り崩して補っている。
このように俯瞰してみると、年金制度というのは、図の左側の入口から入って来たものを、図の右側および下側の出口に流している〝水流〟のようなものだと理解できる。
ここで注意すべきは、現在あなたが支払っている保険料は、将来のあなたのためにどこかにストックされているわけでは決してない、ということだ。
保険料収入だけでは年金給付を賄えていないのだから。
では、あなたが支払った保険料はどこに行っているのか?
それは、現在の年金の受給権者がありがたく頂戴している。
ただし、あなたが保険料をいつ・いくら支払ったかという記録は残される。
そしてその記録が、あなたが将来年金を受け取る側に回った際に受け取る年金額の計算に使用される、ということなのだ。
このような仕組みは「賦課(ふか)方式」と呼ばれたりしているが、「現役世代から年金受給世代への仕送り」という表現の方が分かりやすい。
これは私が思いついた比喩ではない。
厚生労働省の「いっしょに検証!公的年金 ~年金の仕組みと将来~」というウェブサイトの「第05話 賦課方式と積立方式」のページに書かれていることだ。
つまり日本の公的年金というのは、法律に基づいて国が行っている強制的な仕送り制度なのである。
美しく言えば「世代間の支え合い」や「世代間の統合」だが、露骨に言えば「年長者による合法的なピンハネ制度」であり「高齢者が若者の生き血を啜(すす)る制度」だ。
損得で言うと、保険料を払う側にいる間はすべてが〝払い損〟であり、ひとたび年金をもらう側に回ればすべてが〝もらい得〟という制度である(障害年金や遺族年金のことは除く)。
いや、現在は保険料を払っているだけの人も、将来はもらう側に回るのだから決して〝払い損〟ではない、と主張する人がいるかもしれない。
しかしそれは、「あなたも将来ピンハネする側に回れるよ!」という意味においてである。それは、将来世代の人たちがピンハネされてくれること、生き血を啜らせてくれることを容認してくれる限りにおいて成り立つ理屈である。
「ピンハネ」や「生き血を啜る」などとあえて棘のある表現を使用したが、それでは年金というのは正義の道に反するヒドい制度なのかというと、そうとも限らない。
なぜなら年金制度は私的扶養(自分の老いた祖父母や父母の面倒は自分でみる)の代替をしているとも言えるからだ。
年金という制度が無ければ、もっとヒドいことになっているかもしれないのである。
だから年金制度は、その存在自体が悪、と言うことはできない。
しかし、何事も度が過ぎれば怒るだろう、という話だ。
募金箱に硬貨を投入する程度のピンハネ、少し蚊に食われた程度の血の啜られっぷりであれば、誰も問題にはしないだろう。
しかしその制度が、ピンハネされる人の生活基盤を脅かし、ピンハネされる人の再生産(子を持つこと)を不可能にするほど過酷なピンハネをしているかもしれない、という疑念があるから問題なのである。
血を啜られる側がフラフラになって、子を持つ元気がなくなるほどの大量の血を啜っている可能性があるから問題なのである。
(続きはKindleでお楽しみください。)
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