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『イリアス』と『オデュッセイア』を読み通すための道案内 (4)

それでも読み通したい

 他の著作を読んだり映画を観ることで満足できる人はそれでよい。
 そういう方々は、この先を読む必要はない。
 しかし、それでもやはり原作を読まなければ気が済まないという方もいるだろう。
 そういう人はどうすればよいか。
 この先は、その場合の対処方法を提案しよう。
 まず、先ほど整理した「ホメロス作品が読みにくい理由」を思い出していただきたい。

①長い
②文章がまどろっこしい
③背景知識が必要
④設定がファンタジー

 ①については、どうしようもない。
 ②についても、どうしようもない。土井晩翠が挑戦しているが、解決にはならないと筆者は考える。
 ④についても、どうしようもない。受け入れるしかない。
 ところが、③についてはやりようがある。
 別の経路で背景知識を仕入れればよいのだ。

背景知識

 対応方法としては、トロイア戦争の全体像を頭に入れる、ということになる。
 なぜなら『イリアス』も『オデュッセイア』も、それぞれが非常に長い作品だが、トロイア戦争という一大イベントのほんの切れ端を描いたに過ぎないからだ。しかも『オデュッセイア』に至っては、戦後の話だ。
 両方の作品を読み通したとしても、戦争の全貌はさっぱり分からない。
 まず、このことを明確に認識する必要がある。
 これだけ分厚い作品を読んだなら、トロイア戦争の全体像がおぼろげながらにも分かるだろう、というような甘い期待は完全に裏切られる。

 先に両作品のテーマを示しておこう。要するにどういう話か、ということだ。
 筆者なりにまとめると次のようになる。

『イリアス』のテーマ:
アガメムノンの仕打ちに腹を立てて戦列を離れたアキレウスが、親友パトロクロスの仇を討つため戦列に復帰し、敵将ヘクトルを討つ話

 ギリシャ軍の内部で仲間割れしたけれど和解して、敵と対決して勝ったという話。

『オデュッセイア』のテーマ:
トロイア戦争が終わり祖国イタケに帰ろうとするオデュッセウスが、数々の苦難に会いながらもそれ乗り越え、館に群がる求婚者たちを息子と協力して討って、妻との再会を果たす話

 トロイア戦争で活躍したオデュッセウスが祖国に帰る。ところが祖国では問題が起こっており、それを当のオデュッセウスが解決するという話。
 トロイア戦争で有名なのはトロイの木馬の話である。
 この名称は今やコンピューターウイルスの種類として有名になっているが、トロイの木馬の中に隠れて木馬ごと敵国の城内に入り込み、急襲して戦争に勝利するという計略のエピソードだ。
 このトロイの木馬の話は、『イリアス』『オデュッセイア』のどちらでもカバーされていない。これは、イリアス後・オデュッセイア前の出来事だからだ。

叙事詩環

 それではトロイア戦争の全貌をカバーする作品は無いのか?
 それは、あった。
 ただし、過去形になる。
 なぜなら、そういうものがあったということがわかっているだけで、肝心の内容は消失していると言ってよいからだ。
 ホメロスの大作の前後をカバーする作品が必要だと考えた人が当時いたのだろう。
 叙事詩環、英語でエピック・サイクル(Epic Cycle)と呼ばれる一連の作品がホメロスと同じ年代に作成されていたらしい。
 トロイア戦争を時系列でカバーする順に並べると次のようになる。

『キュプリア(Cypria)』
『イリアス(Iliad)』
『アイティオピス(Aethiopis)』
『小イリアス(Little Iliad)』
『イーリオスの陥落(Iliou persis/Sack of Troy)』
『ノストイ(Nostoi/Returns)』
『オデュッセイア(Odyssey)』
『テレゴネイア(Telegony)』

 このうちホメロス作の『イリアス』『オデュッセイア』が飛びぬけて分量が多く、内容の質も高かったようである。かつ、現在にもその内容が受け継がれている。
 残りの作品はどうかというと、オリジナルが現存しているわけではなく、とある人物の手による内容を要約した文章や、他のテキストで引用されている文が伝えられているのみ。英訳されたサイトがあるが、「読む」作品と言う感じではない。
 参考までに、叙事詩環の内容を要約した文章として残存しているテキストのうち、木馬のエピソードを含んでいるのは、わずかに次のような箇所である。

The Trojans are now closely besieged, and Epeius, by Athena's instruction, builds the wooden horse. (…)Then after putting their best men in the wooden horse and burning their huts, the main body of the Hellenes sail to Tenedos. The Trojans, supposing their troubles over, destroy a part of their city wall and take the wooden horse into their city and feast as though they had conquered the Hellenes.

『小イリアス(Little Iliad)』の内容の要約文より

The Trojans were suspicious of the wooden horse and standing round it debated what they ought to do. Some thought they ought to hurl it down from the rocks, others to burn it up, while others said they ought to dedicate it to Athena. At last this third opinion prevailed. Then they turned to mirth and feasting believing the war was at an end. (…)Sinon then raised the fire-signal to the Achaeans, having previously got into the city by pretence. The Greeks then sailed in from Tenedos, and those in the wooden horse came out and fell upon their enemies, killing many and storming the city.

『イーリオスの陥落(Iliou persis/Sack of Troy)』の内容の要約文より

 和訳はしないが、極めて概括的な情報しか得られないことが分かるだろう。
 したがって、トロイア戦争の全貌を理解するのに叙事詩環は使えない。

(次回に続く)

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