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自分で自立していることをじんわり実感

 2022年も1ヶ月が経ち、今年最初に始めた散歩の歩幅とワクワクの波長が合ってきた。「どんな感じだろうかあ」と踵から歩いていた自分は、いつの間にか「こんな感じかな?」と右も左も見渡せるようになってきた、気がする。少し息も整ったところで、「別にこれで良いんだろうな」と一旦言葉にしてみる。

まずは一歩目

 目まぐるしく世界が変わった!!

 なんてことはなく、PCのGoogleに入ったら、iPhoneを開いたら、POOLOもある。それぐらいのことだと思っている。ただ、徐々に徐々にその活動は自分の中にも落ちてきている。例えば、TwitterのTLがなんとなく知っているかも!な人たちで埋まっていたり、Slackというアプリの通知がたまっていたり、やらなければいけないことが仕事以外の時間にも侵食してきている。仕事でたくさんのミーティングを重ねて家に帰ってきても、パソコン越しに人と話している。自分は何も変わっていないのに、環境は少しずつ変わっている。と、事実としてそれを感じている。


 それが、悪いとか良い!これこれ!とかではなく、単純に自分の中の時間にPOOLOというのは組み込んでくるようになった。だからと言って、ものすごく前のめりにガンガン行っちゃえ!と、なっていないのがもったいない、ということではなく、この時間に対して自分自身が「嫌だ」「めんどくさい」と思わなかったことが、良かったなあと思う。


 何が言いたいかというと、Twitterが何となく知っている!な人たちで埋まっていたり、Slackの通知がたまっていたり、やらなければいけないことが仕事以外にも侵食してきたり、仕事でたくさんミーティングしてきても、パソコン越しにみんなと話している。という事実を、自分の中でもそれなりに納得して受け入れているんだなということ。もっと言うと、POOLOという空間に自分が足を入れてみたが、居心地の悪さや嫌な感じを今の所感じていないことに、安心、ホッとした。


「やってみないと分からない」について

 新しいことに挑戦することには多少自分の中で葛藤があると思う。それが、やる前に来る・やっている最中に来る・やってから来る。フェーズもそれぞれだと思う。迷っていると大抵はこう言われると思う、「やってみないと分からないでしょ」。めっちゃわかるし、自分でも絶対そう言うが、でも後ろめたさや「いや、でもなあ…」という感情は誰でも湧くと思う。実際自分は、入学する前にそれが来ていた。月の中で講義の時間が2週に1回…チームでのミーティングも隔週で行う…意外と時間かかるなあと。でも、豊かさ知りたいしなあ、島の人以外のコミュニティの人ともつながりたいしなあという感情のはざまで入学した。最後は「まあ、いいか」と。

 しかしそこで、「やってみないと分からない」論がすぐに表れて証明されるかというとそうではない。まずは、自分と対話をすることを先にしなければ、「やってみないと分からない」論は成り立たないと思っている。

 実際に、葛藤のプロセスを挟んだ上での自分の選択に対して自分が向き合わないと、迷っていた時間が置き去りになっているだけだし、やってみる前の自分が可哀想。せっかくあんなに苦しくて悩んでいたのに、やってみるってなったらすぐに忘れられちゃ浮かばれない。だから、自分は、あの時の自分のことも含め“今の自分”を受け入れた。

 だから、ひとまずあの時の自分の葛藤とその時にした選択も含めて、これで良かったんだなと思える。あの時の「うわ~どうしよっかな」があることで、今自分がいる状況に満足感を得られている。入学しただけでもうOKです!大満足です!!とかそういう事ではなく、この選択をした自分自身と向き合うことで、今の自分に対して良かったなと前向きになれるということを言いたい。迷っていない、直感で選んだとしても、これから葛藤が来るかもしれないとしても、あ~良かったなって思えたら良いと思う。そして、その実感があって、「やってみないと分からない」論は成り立つと思っている。

じんわりと

 あと、もう一つだけ。自分はこれで良いんだなと思えることが増えた。これが、良かったなと思える大部分だと思っている。

 去年の10月にいったん自分をリセットし、フラットで何もない自分にした。あえて、自分の進んでいた道を辞めた。そこから、目の前の一つ一つのことに丁寧に向き合い続けることで、自分の感情や考えがより鮮明になって、感じることができた。そしてそれを続けることで、自分のためが人のために繋がっていることや、自分が満たされていないと自分に対して俯瞰して見ることができないことも実感することができた。


 そうして、実感して得たことをベースにやっと自立した自分は、これから進んでいけるのか、ちゃんと自立しているのか、が知りたかった。これがとても大事だった。近くにいる人は自分のプロセスをわかっているから受け入れてくれているが、外に自分を出した時にどうなるのか。


 参加して感じたのは、「あ、自分今のままで全然良いんだ」という事。背伸びせず、感情を置いてきぼりにせず、心の動くまま行動する、言動することは成り立っていたんだなと感じた。特に悩んではいなかったし、心配はしていなかったが、ちゃんと自分で「立っているんだな自分」と感じることができた。今までの少しふわふわとした、今を置いてきぼりにしていた頃とは違い、今は圧倒的自分の存在を感じ取りながら行動や発言ができていると思う。つまり、一旦フラットにした自分は、本当に“本当の自分”として成り立っていたということが、何とか証明されたのではないか。これが嬉しかった。

これから

 最後に、「自分と世界を豊かにするために自分がやりたいこと」という課題があったが、これを言葉にして発表する機会はとても良い機会になった。自分の中で、なんとな~く考えていたバラバラなことが一つ一つ繋がっていく感覚があった。これも後で文章に落とし込めたらより良いなあと思う。

 「豊かさ」をテーマに学ぶ9か月間、これから自己ビジョンをどのような形として出せたら自分と世界が豊かになるか、新しく成り立った自分で感じて、考えて、動いて、過ごしていきたい。


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