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POOLOで見つけた、これからの自分

「あなたが大切にしたい道徳心とは?」

参加から7ヶ月が経過し、継続的に参加を続けられている「POOLO」で、先日受けたワークにこんな問いがあった。

・正解はない。みんな違ってみんな良い
・人に優しく、自分にもっと優しく

と答えた。

 ”道徳心”というのものを、「全員が公平で平和に過ごすために持っておきたい正義」と位置づけ回答した。この答えが出た背景は、POOLOに参加して学んだ”豊かさ”や共創を経て広がった”自分・他者・世界”への慈愛とも言える想いが重なって出た答えだと思う。
 そう思うようになったPOOLOでの変化や気づきをまとめていきたい。

コミュニティに入ることで丸裸になる自分

 新しいコミュニティに入ってから、今までの自分が成り立つかどうか、それを探りつつ参加していた。

「コミュニティの人たちに付いていけるだろうか。」
「持っている思考は伝わるだろうか。」
「何か還元できるものを持てているだろうか。」

 今まで積み上げていた自分というものを試す機会でもあるし、遂に外に出す場面となる。今までの自分が、井の中の蛙状態になっていないか、不安だった。

 少し時間が経つだけで見えてくる他の参加者のすごい所。物怖じなくツッコミ入れられる所、すぐに反応して行動する所、自ら進んでMTG調整したり、議事録として他のメンバーに残してあげる所。1個1個、自分の持てるものや、良い所を発揮しているメンバーを見て、心がとても温かくなったし、感心したり、敵わないなあとも思ったりした。

 その中で自分は何が出来ているんだろうか。

持っている特徴と実践

 「自分と世界の豊かさをつくるニューノーマルトラベラーが育つ学校」の中で、「共に学び、共に遊び、共に創る」。ニューノーマルトラベラーとは、「旅の原体験を元に自分と世界の豊かさをつくる人材」。つまり今回キーとなるのが、「豊かさ」であった。世間でも注目されていたり、昔からよく言われることについて、自分の中の解像度を上げ、自らで”豊かな世界”を作っていく姿が期待できた。

 普段の仕事で話題にしていることでもあるし、日々考えていたことでもあったが、なんとなく考えが定まっていなかったし、ぐるぐると沼にハマっていた。
 しかし、そこに強みがあるのではないかと思っていた。思考を凝らし抽象的なことでも考えられることや、物事を客観的に見る事ができ議論の根本を固める事ができる、そんな所に自分の価値が少しでもあるのではないかと仮説していた。
 つまり、「豊かさ」をテーマにした時に自分の思考する感じというのは、何かしらで役に立つのではないかと考え、実行していった。

 3,4人チームを組んで2-3ヶ月毎に、一つの課題をこなすPOOLOでは、その特徴を発揮する場面があり、有難いことに自分の役割みたいな所もなんとなくわかるようになってきた。メンバーの特徴を活かそうと全員の意見を聞く事だったり、チームとしての答えをまとめるところであったり、抽象的な事象を言語化するところとか、「せめてこれだけでも…!」という気持ちで価値が提供できるかもしれないポイントに顔を出し実践していた。
 それによって、職人タイプだねとか、思考の癖だったり、思考する感じ好きだなあと、新しい気づきを与えてくれたり、自分を認めてくれるような声も聞けてとても嬉しかった覚えもある。

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リキんでいたことに目を向け本当の自分と出会う

「なんでそんなに難しく考えるの?」
「もっとシンプルで良いんじゃない?」
「意識高い”風”に見えるかも」

 POOLOやそれ以外の友達に言われた時があった。思考を凝らし抽象的な事象を考えるのが好きだったり、ぐるぐると考え巡らすことが楽しかったり、ただそれは良いように見えない時もあった。

 自分で思い悩んだり、苦しんでいたりしていた姿を見せていたが故の言葉でもありつつ、側から見るとそんな風に見える像を勝手に作っていたんだと今となって思う。あとは、その価値でしか自分の価値を発揮できないんじゃないかと思い、そこにすがっていた自分もいたと思う。俯瞰して全体を見てから答えようとしすぎていたし、その価値を発揮できるだろうポジションに居座ること拘っていた気もする。
 つまり、思考する自分に頑張ってなろうと努めていた(リキんでいた)ことに気づいた。

 実はそこに気づいたのも、眠っていた自分の片鱗を見たからである。

 現職を辞め、フリーランスになろうと一生懸命自分でアクションし続けているメンバーを見た時に、「うわあ面白そうだな」「いいな、楽しそう」とシンプルにワクワクしている自分がいた。大学生活の4年間を思い返すと、自分のワクワクややりたいと直感で思ったことにチャレンジして後悔したことがなかった。この時のワクワクだ。こうやって生きていた自分もいることを思い出させてくれた。

 なんだかその感覚をちゃんと意識して感じたことが久しぶりで、忘れないように頭の中にその感覚を捕まえた。そこから先は、グルグルと思考が暴れ回り、もやもやと自分の心の中で整理したい感じが渦めいていた。

 慌ててマクドナルドに駆け込み、とりあえずポテトとコーラだけ買い込み、テーブルに着く。うわああとさっきまでの感覚が心と頭の中で昇華し、新しい感覚が自分の中に落ちた。

新しい自分らしさ

 「全体を俯瞰して観察しグルグルと思考を巡らしていく自分」と「目の前のワクワクや直感に素直に行動する自分」が、自分の中に存在している。

 そんな二つのゾーンを使い分けて、行き来できたら良いんじゃないか。
 まずは、自分の中に二つの自分がいることを認める。そして、普段は感情に素直なゾーンに居て、やりたいことや興味のあることにアンテナを張っておく。MTGやディスカッションの場になったら、思考するゾーンに自分を持っていく。
 こんな風に自然に自分を使い分けるような、もっと自然に落とし込んでグラデーションで境目のないような、マインドで生きていけたら、自分らしさを全開に生きていけるんじゃないかなと思う。

自分らしく生きるために必要な余白

 思考と感情のゾーンをうまく使い分けるために、自分に余裕を持つことが必要となる。余裕を持つことで自分自身を客観的に見て判断することができるし、時間やタスクに追われすぎて自分の感情が動かなくなってしまうこともない。つまり自分らしく生きるために必要となるのが、「余白」だ。余白を持つことで自分は自分らしくいられる。

 余白は、時間的な「浮いた時間」だけではなく、心の隙間や奥行きとも表現できると思っている。チーム活動では世界を豊かにするには余白は必要じゃないかと仮説し、デジタルデトックス旅に出掛けたりもした。すると余白には、「内側の自分と向き合わせる」こともできたり、「偶発的な出会い」に繋がったり、「気づいていない自分の一面」に気づいたりもする。
 つまり「余白」というものとの付き合い方には人それぞれの付き合い方があって、表現を定めすぎないことも必要だ。さらに、自分にとっての余白への向き合い方というものをきちんと認識しておくことが大事であり、向き合い方も幅があって良いんだと分かった。

 そんな曖昧さが余白の良さなのかもな。

これからの自分のスタンス

 そんな余白を作るためには、デジタルデトックスのようにあえて余白という時間を作ることでもできると思うが、個人的には自分なりのスタンスを持ちながら生きていくことで余白は生まれるのではないかと思う。
 自分のスタンス。自分の中の道徳心であり、正義だと思っていることを定義すると3つあった。

①ラフに生きる
②器を空に近づける
③人に優しく、自分にもっと優しく

①物事に対して楽観的に捉えることで、正解だと思うことばかりに向かっていかず、みんな違ってみんな良いと、違いや幅を楽しむように生きていきたい。
②他者の考えや想いをありのまま受け入れられる隙間を作っておける。先入観や偏見を失くし、素直に他者や自分を受け入れようとする。
③他者への寛容が、自分の選択の自由に繋がる。逆説的に、自分で選択したら、自分で完結できるよう納得感を他者任せにしない。

 ①②③を自分が生きていくための正義として身に付けておきたい。そしてこれは、自分が余白を得て自分らしくいられるだけではなく、自分を起点として他者や自分の属するコミュニティ、社会、そして世界との接点を持ち、何かしらの影響を与えていく一歩になれたら良いと思っている。

次のアクション

 さて、自分の中に「自分らしさ」「必要なもの」「自分のスタンス」を言語化したことで、マインドセットができたのではないかと思う。自分をきちんと整理して、言語化できるようになったのもPOOLOに参加したからだと思う。新しい価値観や幅広い教養を提供してくれる講義や、共創を通して切磋琢磨する参加者との活動があって、自分がアップデートされたと思っている。

 やっと、スタート地点に立てた。自分で立ち、これからは自分の人生を自分で選択して生きていきたい。これからニュージーランドへワーホリすることもそうだし、フォルケやハイテックハイの教育を学びたいし、自分の好きな焚き火だったり自然農業だったりフィルムだったりを使って何かしたいなあとも漠然と思っている。

 何が起こるかわからない時代で、自分自身のことをきちんと知れたことが、1番の強みかも知れない。この強みを活かし、一生懸命これからの今を生きていきたいと思う。

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