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「もし30歳で死ぬとしたら。」売上を減らそう、幸せを選ぼう


「今日は月が綺麗だし外も涼しい風が吹いてるから、ベランダで鍋でもしようぜ」

ベランダ鍋作戦開始

前後の文脈がはちゃめちゃだけど何かドキドキさせるような彼の言動は、ぼくのワクワクをくすぐるには十分すぎた。早速買い出しに向かってすぐさまカセットコンロをセットした。その間に彼は、手伝う…のかと思ったが、

「ちょっと自己分析しても良い?」

と分厚い自己分析書なるものを広げ始め、自問自答の世界にズズッと入り込んでいった。

彼は転職活動に精を出し始めている。それには多少腹が立つのが普通かもしれないが、ぼくは鍋をベランダでやるというワクワクが勝っているので夢中で白菜を切っていった。鼻歌を歌いながら、豆腐を切り終えたあたりで彼が自問自答の世界からヌルっと帰還してきた。


ボンっと重たい鍋を乗っけたカセットコンロを点火させた。コールマンのローチェアをベランダに運び、会場を設営する。もちろん椅子はその時組み立てて。

わざわざベランダで鍋を食べようとするだけでこの大掛かりな作業だ。しかし、無駄がぼくらをワクワクさせた。いや、はたからしたら無駄かもしれないが、ベランダで鍋がしたいぼくらからするとその無駄な過程すらもワクワクするものだった。鍋がグツグツとうなりだしたところでぼくらは銀色のやつを手にした。プシュっ。優勝した。

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鍋をつついていく

いつからその話になったのか。
多分「今死んでも後悔しないかな?」という、何気ない一言だったかもしれない。

今死んだらこれができない、あれができない、でもそれは本当にやりたいのか、いつまでだったらそれをやろうと思うのか、いつかっていつだ。若干23歳の社会人二年目のぼくらには、いつかがいつなのか想像もつかなかった。今日は月が綺麗だから、涼しい風が吹いているから、ベランダで鍋をしてるぼくらに、いつかがくるなんて想像もつかない。じゃあこれならどうだろうか。

「あと約6年後。6年後の30歳に死ぬとしたら、今どう思う?」

あと6年。小学校入学から卒業まで。中学校入学から、高校卒業まで。大学入学から、今の自分まで。今に近づくにつれてその時間はとても短く感じた。1年でやれることの量もどれだけか大体想像がつく。それを6回だけしかできない。


鍋を煮込んでいる


ぼくらは30歳までの自分の人生を逆算した。30歳ちょうどで死ぬ前提の人生を。

***

ぼくは24歳の年にニュージーランドのワーキングホリデーに出かけた。英語を話せるようになったのと、自然に囲まれた生活の中で第二の人生が始まったような気がした。

25歳では、世界一周をしながら、世界中に友達を作って、その様子をブログで更新した。世界一周から帰ってきてから、ぼくは彼と二人でアメリカをキャンピングカーで横断した。ただ横断するだけではない、1ヶ月の期間だけと決めホットドックを売りながら横断をした。アメリカといえば、映画と車とホットドックの国だと思っている。そこで「1ヶ月」という話題を基に売りさばいていった。たった1ヶ月間。その背景をすべてドキュメンタリーとして動画に残した。「100日後に閉めるホットドック店」という名前で。

26歳では、ぼくの一番好きな場所である香川県の父母ヶ浜に移住した。そこで同じ夕日好きの仲間と共に、「落ちる夕日とチルな雰囲気がマッチした、のんびり過ごせるカフェ」をオープンした。カフェのコンセプトとしてNZワーホリ時に身についた、サステイナブルな考え方を入れ込んだ、環境にも良い空間を作り上げた。空間デザインは、僕が一目置いているあいつに頼んだが流石。抜群だ。

27歳では、自作のメディア、動画チャンネル、カメラ作品、がたくさんの人たちの目に留まるようになった。それら運営の傍らに、ゲストハウスの物件を探し始めた。

28歳では、ついに夢のゲストハウスを経営し始めた。誰もがそれぞれの得意なスキルを活かすことができるゲストハウスだ。体験・経験・人脈を武器に邁進した。

29歳では、結婚をした。波乱万丈な人生に付き添ってくれる人に巡り合うことはなかなか難しかったが、そんな自分も受け入れてくれる人に出会った。

30歳。最後の歳。子供も生まれて最後の歳は南国の田舎でゆっくりと過ごした。今まで出会った人に感謝を伝えるべく、ゲストハウス最後の一か月は友人や家族を無料招待した。今まで自分は人に助けられていたことを知った。
よい人生だった。

***


鍋が煮詰まった

ヒタヒタになった野菜の具を取り分けながら、ホロホロの豆腐をアツアツのまま頂いた。やっぱり熱かった。

多分、人生をぎゅっと詰め込んでその間にやりたいことをやっていい、と言われた時にここで描いているものが思い浮かぶはずだ。しかし今やりたいことに振り切っているか。人生を後悔せずに過ごすことはできるのか。今、お互いに辛い思いで日々を過ごしていないか。その時間は勿体なくないか。そんな時間今あるのか。ぼくらは今を見つめ直した。


なぜこんなにつまらない日々を過ごしているのか。
なぜやりたいことを今やっていないのか。
なぜやりたいことを後回しにしてしまっているのか。
なぜやれない、やらない言い訳をすぐに探してしまうのか。

きっと誰しもに当てはまる。
あの時なんで始めなかったんだろう。なぜあの時好きじゃないあの事に時間を割いて過ごしていたんだろう。言い訳はすぐに見つけることはできるし、越えなければいけないハードルも自分でいくつも用意することができる。それは“大人”になればなるほど、自分で用意できるハードルの種類も増えていく。


いくら稼がないと家賃が払えないから会社を辞められない、毎月いくらのローンがあるからこれ以上収入を減らすことができない、両親が企業に勤めろというのでとりあえず理不尽な仕事を続ける。

会社を見てもそうだ。必ず満員電車に乗って9時までに出社しろ。お昼の時間は絶対に12時~13時の1時間のみ。18時までは絶対に帰ることはできない。当たり前となっていることにも、実は制御されて自分の時間なのに、会社のための方が優先順位が上がってしまっている。本来ならば、自分が生きるために働いているのに、今では働くために会社で生きている



そろそろシメ

今日はうどんにしよう。部屋の冷凍庫に冷凍さぬきうどんを取りに行く。少し屈んで冷凍庫を漁ろうとした時にふと気がついた。

うどんを食べたいと思ったらまっしぐらにうどんを取りにいくぼく。何かしたい、やろうと思っても動いていなかったぼく。

結局のところぼくはやりたいことをいつかできると後回しにしていたし、やろうと思っていることのフィールドに片足も突っ込んでいなかった。多分まだ腰も上げていない。うどんを食べよう、「食べたいね」で終わっている、部屋の中に入る素振りも見せてないぐらいだろうなあと思った。そんなぼくの状態を俯瞰で見ようと、多分ベランダで黄昏ているだろう彼を見た。しかしそこには、想像していた「ぼくであろう」姿はなかった。

そこには、宝の地図を見つけたように自己分析の本を広げる彼の姿があった。輝きに満ちている彼の姿を思わずフィルムカメラに納めた。彼は彼で何かを見つけていた。何者にもなれず、理想ばかりを並べていただけなのはぼくだけだった。

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やりたいことはなんだろうか。やりたいことをなぜやらないのか。幸せとはなんだろうか。強烈に自己に問いかけてくる。

あなたはその生き方で幸せか。

アイスを買いに行った

友達と今日も鍋をつついている瞬間はもちろん幸せだし、その後にローソンにアイスを買いに行って「さむっ」って言ってる時なんかもっと幸せだ。でもそれはその時の幸せを選んでいるから幸せだと思うんだ。別にひとりで鍋をつついているのも、ローソンに買いに行かないでお風呂に入っている時も幸せだろう。

働き方は自分で選んでいるか。自分でその会社を選択し続けているか。残業ばかりで思っていた都会暮らしができていない?土日出勤は当たり前すぎて友達と休みが合わない?そんなんで自分の好きなように生きていけるのか。


当たり前のように会社に属し続けないといけないのは、誰が決めたんだ。
会社の売り上げのために死に物狂いで働き続けるのは、誰が得をするのか。

自分の人生の中で、幸せとは何か自分で決めていく。そして幸せは、自分で選択する自由がある。のだと言うことを、ぼくらは当たり前と言う枠組みなのかに閉じ込められて、忘れてしまっている。

普通や通常というドロドロの固定概念に塗り固められて、凝り固まってしまった当たり前の働き方。その根底を覆して、「働き方に当たり前なんかない」「そもそもあなたはそれで幸せなのか」ということを、とても純粋な子供のような柔らかい思考で問い続けてくる。

「あなたはその働き方をして、今幸せですか?」
自分自身を見つめ直すきっかけにもなる。

売上を、減らそう。幸せは、自分で選択しよう。

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