職場の椅子で目覚めたり、極貧だったり、求めるものが変わったり

証人として友人同士の婚姻届に名前を書いたり、2ヶ月で8個結婚式に参加してご祝儀貧乏になったり、俺と弟(7つ下)を除いた全ての従兄弟が結婚したり、今年は結婚というものが常に身近にあったように思う。俺はバリバリ全開で独身ですが。なんで?結婚の話題が出るのが怖くてしばらく実家に帰っていないけど、犬には会いたいな。

柄にもなく振り返ると、今年は過去一目まぐるしかったように思う。
音楽は辞めたつもりだったけど気づいたらバンド始めてたし、始めたらやっぱり楽しいし、酒を飲む量はちっとも減らないし、辞めてたTwitterを再開したら引くほどバズったし、相変わらず貧乏だし、仕事が死ぬほど忙しくて会社に泊まって翌朝椅子で目覚めて腰バキバキになったり、人と分かり合えなかったり、分かり合えたり、そんな感じだった。

2年ほど住んだ千葉をもうすぐ出る。年が明けて2週間ほどしたら、西東京市に引っ越す事が決まった。千葉は海が近くて好きだったけど、海以外の全てが遠くて、活動圏が新宿とその周辺に集約している自分としてはやはり厳しかった。

コロナ禍で千葉に越してきたせいで最初は開いている店もほとんどなく、人もいなくて、風だけがずっと強い寂れた街という印象が強かった。することも無いから頻繁に海まで散歩したり、そこで雑魚い船に乗ったり、広すぎる公園で野良猫に舐められたり、人間とはあまり関わらず生きてきた。それが今年前半。

後半はバンドを再開して、常に誰かと話していたり近くにいたり、1年間の中でこんなに状況が変わるものかしらと首をかしげる程の変化だった。一人でいた方が気楽な時ももちろんあるけど、基本的に誰かといるのは好きな方だし、今の方が性に合ってるようにも思う。あんまり何も考えずに生きているからどんな状況でもそれなりにしんどいしそれなりに楽しいからもしかしたらあんまり関係ないのかもしれない。20代も後半なのに生き方も碌に定まっていない事に世間はやいやい言うだろうけど、俺の周りにはあんまりそういう人はいなくて、恵まれているなと思う。この場合に言う世間というのは主に親族の事なんだけど。

10年前、自分の中で大きな出来事があって、それ以来一切涙が出なくなった。もちろんコンタクトレンズがズレたり鼻殴られたりとかしたら余裕で涙出るけど、そういう意味ではなく。
それが今年涙が出た。もう何度目かわからない『風立ちぬ』を金曜ロードショーで観て、ボロボロ泣いてた。もう10回くらい観ている映画だし、たしかにジブリの中で一番好きな映画だけど、今更泣くのか?と自分でも若干引いた。
もしかしたらこれを機に泣けるようになるのかなと期待したけど、やっぱり今日に至るまで涙は流れなくて、もしかしたら俺が泣くのは10年に1度なのかもしれないと思った。別に泣きたいわけじゃ無いから良いんだけど。

今日は天気が凄く良くて、こういう冬の一番暖かい日のような優しさがずっと続けば良いと思う。前にも言ったけど、人生の中で大きな成功とかそう言うものは全然欲しくなくて、日々がただ穏やかであればそれで良い。それでだいたい幸せなんだよね。

今年もお世話になりました。
良いお年を。

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