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バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編⑪(新バンドMOO-COW結成)

ちょっと怪しめの和菓子工場でバイトをしながらも新バンドの結成は進めていた。

新しく目指すのはメロディックかつ荒々しさもある音。

中でも当時聴いていた音源で一番ピンときたのはGRIMPLEという西海岸のバンドだった。

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punk〜hardcoreのもつ疾走感、ストップ&ゴー、メロディックなんだけどザラついた質感やトゲトゲしさもあって一発で気に入った。ジャケの小汚い感じのイラストもいい味出してる。

最近になって再発もされたみたいだけどこのアルバムはpunkが好きな人には幅広く受け入れられるタイプの音だと思う。

もちろん当時のメンバーも全員気に入っていた。

新メンバーの候補としてギタリストは前にやっていたバンドの時に知り合ったH君がいた。

彼は当時「ロリモップ」という若気の至り的な名前のhard coreバンドをやっており、正直名前はどうかと思ったけど音はfast core〜power violence系でかっこよかった。

H君は大学生で腰位までの長髪。90年代当時のスケーターファッション、第一印象は「なんかチャラチャラしてるな〜」「オヤジ狩りとかしてそう」と思った。(話してみると全くそんなことはなかった)

あとはボーカリストとドラマーを見つけたい。

DOLLというパンク系の音楽雑誌にメンバー募集をかけたところVo &G志望のJ君、ドラマー志望のK君から連絡があった。

J君とは当時(96年位?)高円寺のパル商店街の中にあった旧20000Vの上、GEARというライブハウスで待ち合わせた。

J君は留守番電話にメッセージを残してくれていて(当時のやり取りは基本全て電話)その口調は少し北関東訛りのあるものだった。

「目印にS.O.B.のTシャツ着ていきますから〜」と話していたがいくら探してもあてはまる人がいない。

よく見てみると「S.O.D.のTシャツ」を着ている青年が辺りを見回しながら店内をウロウロとしている。

どちらから声をかけたのかは忘れてしまったが、確認してみるとそれがJ君だった。

俺が留守電を聞き間違えたのかアルファベット一文字違いだけど全然違うバンドじゃないか。

留守電の印象通りの朴訥とした好青年だった。が、どこかギラついたところも待ち合わせている。そして自分と同じくバンドをやりたくて上京してきた地方出身者でもあった。

※J君とはのちにreggae〜dubバンドを一緒にやったりするが当時はそんなことは全く思ってもみなかった。

そしてドラムのK君。

K君とはファーストフード店かなにかで待ち合わせた。

一目見た印象は「メガネの真面目そうな青年」だった。いわゆる世間一般のパンクのイメージとはかけ離れたちょっとナードな雰囲気。(そしてうっすらと漂う静かな狂気)

話してみるとpunk〜hardcore全般について無茶苦茶詳しいがドラムは初心者とのこと。

後にこの青年が数々のhardcoreバンドを渡り歩き海外でもライブも行い、その大食漢ぶりをブラジルのバンド(名前失念、たしかR.D.P.のメンバーが他にもう一つやっていたバンド)に曲にされたりするとは思いもよらなかった。

他にも何人かメンバー候補の人と会ったような気もするが記憶にない。

なんとなくキャラクターはバラバラな気もしたけど「この3人とやってみよう」という気持ちになった。

バンド名を決めようとドラムのK君宅へ。

ワンルームの部屋にあったレコード、CDケースはどれもパンパンでまるで資料館みたいだった。

いくつかバンド名候補もあったけど今ひとつパッとしない。

「こうなったらパッと辞書をめくって指さした単語の中で良いのがあったらそれにしよう」ということに。

その中で出てきたのがMOO-COW(ムーカウ)という単語だった。 

ちなみに意味は「牛ちゃん」「子牛ちゃん」といったニュアンスで牛のことをさす幼児語。

なんとなく馬鹿っぽくていいなーと全然一致でこれに決定。

持ち寄ったビールで乾杯した。

こういった瞬間のことは忘れないものだ。

MOO-COWはわずか3年ほどの活動期間だったが初めてレコーディングや音源のリリースができた。(どんな活動をしていたのかは追ってまた書こうと思います)

ところでバンドのメンバーというのは不思議な人間関係だと思う。

上記の彼等とも付き合いは四半世紀程になるが、その間もなんとなく気まずくなって疎遠になった時期もあったり、かと思えばふとしたきっかけでまた距離が近くなったり。

バンドを一緒にやるということはある意味「エゴのぶつけ合い」みたいなところもある。

それに若さゆえの無遠慮が加ると時に相手を傷つけてしまうことも。

しかもMOO-COWの後期では俺の「第一次酒浸り期」もあって、申し訳ないことに自分で言ったのに覚えていない発言もたくさんあった。(後から聞いて発覚した)

かといってすごく仲が良い友達だっていうだけで一緒にバンドをやれるとは限らない。

のちに組んだバンドでも「もうこいつとはやってられない!」と思った人物とも数年後にまた一緒に曲や音源を作って活動したりということもあった。

MOO-COWの元メンバーは今でも全員音楽を続けている。

ギターのH君ことヒロ君は様々なタイプのバンド歴を経た後HATERというバンドでその道の諸先輩方と本格的なスラッシュメタル道へ。

ボーカル&ギターだったJ君ことジュンワン君もいくつかのバンドで活動の後、ドラマーに転向し(彼は器用で全パートできてしまう)一緒にtotal ponkotsu systemというreggae〜dubバンドで活動。俺は抜けてしまったがtotal ponkotsu systemは新メンバーを迎えてreggae〜dub道を邁進中。 

ドラムのK君ことキムラ君は数々のhardcoreバンドで活躍したのち、現在正式なメンバーとしてはF.O.H.の他 poison artsへも加入。キムラ君自身が十代の頃に聴いて影響を受けまくったバンドで活動中だ。

人付き合いはお互いおっさんになったり、家庭を持つ人も出てきたりすると、それぞれの生活スタイルが昔とは変わりすぎて普段会ったりすることも滅多になくなる。

正直、話も合わなくなってきたりもする。

仕方のないことだけど。

昔の友達とは会う機会でも作らないと長らく会わなかったりするものだけど、バンド近辺に関してはお互い音楽に興味がある限りはそのうちまたどこかでふらっと再会する可能性も高い。

話はそれるけど、ライブハウスで会うタイプの人にはかなり昔から知っているのに本名や普段何をしてるかわからない人もたくさんいる。そしてそういう距離感は心地よいなとも思う。

俺は自分が中心になって結成したバンドを抜けるということを何回か繰り返している。

total ponkotsu systemもそうだし、何回か前に書いたミミックマンもそう。

自分勝手と思われても仕方がない。

リーダーの器でも無いのにリーダーをやるからいけないのか?

かと言って他の人が曲を作ったり、仕切ったりしてくれるのを待ってはいられない。そして何よりも自分の曲をやりたい。

いつだって自分の伝えたかったことをうまく伝えられていなかった気がする。

そして最終的には楽しさよりも理想を形にできない不満が上回っていった。

勝手なもの言いかもしれないけど、俺が辞めていった事に関しての答えは彼らに聴かせても恥ずかしくない音楽を作って態度で示していくしかないと思っている。


MOO-COW編後半に続きます。

※見出しの写真はMOO-COW中期のもの。punksマナーにのっとり頬っぺたを凹ませている。そしてなぜか昭和感がすごい。


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