卒業に寄せて

アンポンタンポカン氏 『卒業に寄せて』より抜粋 (pp. 1-pp. 5)

----------------------
“僕はこれから一見長文駄文に見える名文を書き連ねていくわけだが、君には未来の直木賞作家である僕の名文を拝読できることに感謝してほしいし、なによりこれは未来の芥川賞受賞者である僕の名文であるので、ぜひ最後まで読んでくれると嬉しい。そこらの兄ちゃん姉ちゃんが書いている投稿文よりも優れており、果たしてこれを読んでいる君の時間を無駄にはさせない。という保証をすることは一切できないのだが、それでも君はこの名文を読むべきであるし、この名文を読むためにはとても貴重な君の時間を、この名文のために少し(もんのちょっとでも)割くことをお願いしたい。
全く愚鈍な切り出しになってしまったのだが、仕方ない。大体僕自身なにを書いているのかさっぱりわからないのだ。特段誰に何を感謝するために書いているわけでもなければ、4年間をまとめるために書いているわけでもない。ただ時間があるから書くのです。そうして直木賞と芥川賞を見事に受賞するといった算段なのです。ええ?なに?しつこいって?許してちょうだい。そんなにお小言をこぼすようじゃあ目尻にシワが溜まってしまいますわヨ。


全くぼくという人間というのは非常にくだらない個人である。約60兆個の細胞で構成されている人間であるので、ある意味では個人というよりは集合体という見方もできるかもしれないのだが、それでもやはりぼくという個人もしくは(細胞の)集合体は非常にくだらない。どれくらいくだらないのかというと、それはもうくだらない。この長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せてゆっくりゆっくりくだっていくという作業を数億回繰り返してみたところで、ぼくのくだらさなには到底及ばないと思う。ある人はぼくのくだらなさを幼児退行的と非難したし、またある人はぼくのくだらなさを愉快に思ってぼくの友人としてぼくの世界に存在し続けているわけだ。


ぼくぼくぼく。つまりは、ぼくという人間というのはね、好き嫌いが極端に別れるという人間性を有しているわけなんだな。ぼくの事が嫌いなやつはとことん嫌いだと思うし、ぼくの事が好きなやつって言うのは、それはもう、ぼくの姿を見ただけでニコニコしちゃうような、そんくらいぼくの事が好きなんだよ。特にとか山田悠介と松岡ショウゴなんていう人間ってのは、ぼくの事が大好きなあまりにだね、部屋にぼくのポスター(そんなものがあるということに驚いているのだけれど)を貼っているくらいなんだよ。本当だぜ?疑っちゃあイケないよ。その証拠にだよ、兵藤ユウキという人間がすべてを目撃しているはずだから、彼にきいてみるといい。彼が覚えているかドウかは別の話だけどね。


そんな人間性を有しているぼくだけれど、この22年間いろいろなことがあったんだな。それはもう、皆さんの人生と同じように、ここに書ききれないくらいにたくさんのことがあった。あるときなんかは墜落してきた宇宙船を直して宇宙人(彼にはアンドリューという名前があるし、今では奥さんと子供二人との四人であの星に暮らしている。)と友好関係を構築したし、またあるときなんかはタイムマシンを開発した彼の有名な科学者と恐竜時代を旅したし、またあるときなんかはなんにもしないこともあった。つまりはみなさんと同じように22年間たくさんのことが起きたし、たくさんのことを経験したということなんだな。まあ、この語り口からわかるようにだね、ぼくという人間というのはね、やはり本当にくだらない人間であるわけだ。


だけどあれだぜ?くだらない人間だからこそ見えてくるものっていうのもあるんだな。それが何かって言うとだね、君、それを今ここで語るわけにはイケないんだなあ。こういうのはね、自分で見つけることに意味があるのであってだよ、うん、厚顔無恥な他人様に言われたところでまるでピンときやしねえ。って。そういった具合に相場が決まっているんだ。決して”くだらない人間だからこそ見えているものが見えていない”わけではないんだぜ。だけどだよ、君、君にしか言えないことが1つだけあるとすればだ、それはもう人間社会っていうのはまるで生きにくい環境である。ということだよ。これはもう、ご勉学が達者な崇高なる君様にはお気づきになられているとお思いですが、えー、あー、人間社会というのは、全くもって凄惨な環境である!と。私は、私はですね、そう、声を高らかにして、叫びたいのであります。野次はやめてください!こういった、まさに今の、現代の人間社会というのは、えー、非常に、非常にですよ、非常に住みにくい世の中である!ということを、私は声を上げて叫びたいのであります。


だってそうだろう?考えても見てくれよ。人種差別は酷いし、性別に関係なく好きな人を好きでもいられねえ。道をあるきゃあ困窮に苦しているホームレスが目につくし、ツイッターなんかじゃあ失言一つで大炎上。世界の貧困は全く酷いもんだし、所得格差なんて広がる一方だ。それでおめえ、日本に目を向けてみろ。少子高齢化は異常に進み、年金ですらまともに貰えやしねえ。税金が上がったところで社会保障が手厚くなるわけでもなしに、それでいて児童虐待、いじめ、売春問題なんて全くなくならなねえじゃねえか。いやはや全くロクでもない時代に生まれてしまったものでございやす。


これからみせます狂人太鼓に狂人節は、地獄のお話にはありませぬ。蛮族蛮人にもあらず、優れた日の丸民族です。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。栄華栄光すがる日本は、今じゃ落ち目やも知れぬ。金が回った昔あいいが、今じゃ貯金がお流行りで、少しも経済回りません。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。少子高齢進んだ社会じゃ、若いもんには希望はねえ。将来託した年金も、どうやら一抹水疱で、どうやらお先がまっくらだ。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。かといい今の若い人、政治に興味がありませぬ。ツイッタ、ラインにユーチューブ、消費社会の一員じゃ、政治はこれまたつまらねえ。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。右翼左翼に政治思想、大卒決めた君たちが、政治がわからぬのが日本だよ。それなら何しに大学に?遊び呆けるため大学に、それとも就活のためでさあ。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。なにも若人だけじゃねえ、我ら騎傲な邦人は言わずと知れた阿呆ばかり。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。年取りゃてまえが大層な、ご身分あられると錯覚し、他人への敬意は欠如いたす。しまいにゃ店員に当たり散らし、非常に惨めな憤怒だよ。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。あらあら勘違いなさらずに、批判をするのが得意でも、啓蒙がすきなわけでもねえ。ただこの目で見たことを、ありのまんまに言うのです。スチャラカコスチャラカコスチャラカスチャラカスチャラカコ。


どうやらここまでお読みの貴人におかれましては、いかにぼくという個人あるいは(細胞の)集合体が狂人的であるかをトクとご理解いただけたに違いない。よろしい。ぼくは確かに狂人的であるかもしれない。全くその通りである。と認識されても一向にかまわないのである。ましてや、ここまでお読みになれれる貴人というのはおおよそ相当にぼくに好意を持ち寄せている人間、相当に暇を持て余している人間、そうして相当にぼくの名文に時間を忘れて己を没入していた人間の3つに分けることができると思う。もちろんぼくは、貴人が1つ目あるいは3つ目の理由によってここまでこの名文を読んでおられるということを願いたいわけであるが、理由はドウであれここまでお読みの貴人に感謝の意を伝えたいと思う。


さてさてこれから本題に入らせて頂くわけだが、、、アハアハアハ!全くの冗談であるよ。これが序文にて、これから本題に入るとなってしまったら流石に貴人もうんざりするだろう?よってぼくはこの狂人日記の終幕に入りたいと思う。”

------------------------------
全くこのアンポンタン・ポカン氏は何が言いたいのか。はたまたこの”ぼく”と揶揄されている人物がアンポンタン・ポカン氏が自己を投影した人物であるのか?と疑問に思っているあなたには申し訳ないのであるが、それにお答えすることは私には一切出来かねる。なぜならアンポンタン・ポカン氏に特段伝えたい事なんて一つもありはしないからであるし、そんなことは結局知る由もないのである。彼が冒頭でも述べたようにこの名文というのは、四年間を総括するためのものでも、何かを批判するために書いたものでもない。ではなぜ彼がこんな名文を書くに至ったのか?と訊きたくなるのが常人の性であると心得るが、狂人であるアンポンタン・ポカン氏においては、(この名文からも推論できるように)常人と異なるためにそういった論理並びに人間性をもとに何かを推測しようなどという常考は、全くもってその本領を発揮することが出来ない。ともすると、この名文を批判するような輩が出てきやがるかもしれない。批判したければ全くご自由にしたらいい。と彼は言うと思う。そうして自己の快感が得られるのであれば、心ゆくまでに彼が名分を批判するべきであるし、貴人にはそうする義務がある。アンポンタン・ポカン氏におかれては、そういった批判を実直に受け止め、かつ次に彼によって書かれることを待っている彼のマスターピースへの道標となるであろう。またアンポンタン・ポカンはわけのわからぬ戯言をホザイテラア。と思いたければ思うがいい。結局のところ、そう批判させ、貴人の批判的思考を養わせることがアンポンタン・ポカン氏の狙いであるかもしれないし、もしくは彼の名分を批判するような貴人のその曲がった人間性を批判することを目的として、アンポンタン・ポカン氏の名文が書かれているのかもしれない。いずれにしろ彼が行方不明になってしまった今では、彼の名文の真意を我々には一切知るすべはないのである。


ただもし彼の名文から何かを推測するとすれば、それは彼は非常に世界並びに彼の祖国である日本を愛している。ということである。そうであるから、彼は世界そして日本が置かれた現状を大きく憂いているのだと思う。また彼は日本の大学生や若者を批判したい。というよりはむしろ、彼を含めた日本の若者が”これからの日本”という美しい国を作り上げていくのだ。ということを信じているのだと、彼の名文から彼の名分が伺えると思う。古い伝統や、いらないしきたりなんかは全部ぶっ壊して、もっともっと住みやすい、日本に住んでいる日本人も外国人も、みんなが幸せになれるような国になればいいと思う。ぼくはそうして日本が世界のロールモデルとなり、世界平和への第一歩を踏み出すことが出来る。とおもうし、それを成し遂げるために十分なポテンシャルを持っていると思う。本当に美しい日本を成し遂げるためには、やはり若い世代の啓蒙が不可欠となるし、単一民族神話がはびこり、無意味に国境を閉ざしているような国家体制はやはりオールドファッションである。だからぼくは日本という国そして世界・地球の未来を担う若者の一人として、できることを、今やるべきことをできるだけやろうと思う。それが何かは今は分からないが、それでもしっかり生きようと思う。


だからお前も一緒に俺と何かやろうぜ?
なにかと面白い人生にしてこうぜ?
俺とお前ならできるぜ?
愛し合ってるかい?We all love each other, don’t we?
最後に、ぼくを四年間精神的にも経済的にも支援してくれた母、$$$$$$に感謝の意を述べたいと思う。サンキュー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?